私達人間は

根本から大きな勘違いをして生きているんだと思うに至った。

いや

自分の生き方をしっかり肯定出来てる人は

それを目的に人生を歩むことが使命なのだと思うので

問題は無いと思うけれど

自分の幸せから遠い道のりを歩んでいる様に感じる私には

衝撃的な気付きだった。

 

 

社会的に「仕事」と呼ばれているものから遠ざかって

自宅に引き籠り

日常を過ごしている私。

 

 

収入を得る道も今は閉ざされ

家族の愛に支えられて今を生きる。

 

 

感謝と同時に心苦しい負い目を感じる。

 

 

 

 

 

 

 

という様に感じていたけれど

どうにも収拾がつかないほどの事件が起き始め

ブログも書けない様な日常が続いた。

 

 

と...

そんな中では

私は最強だった。(;´∀`)

 

 

何はともあれ

今までの経験が大きな力になって

突然起こる物事の

迅速な収拾にあたれる自分になっていた。

 

 

そんな流れの中で

人間のなすべき「仕事」って何だろう?

ということに興味が湧いた。

 

 

私には自由な時間があったから

全てがナチュラルに解決できた。

でも

みんなが通常通りにお金を得る「仕事」に従事していたら

それはとても大変な作業で

大きな損害も起こり得る状況だっただろう。

 

 

毎日の生活の中で

一日に必要な仕事がある。

 

 

おもに衣食住に関わることかな。

大昔はこれが主たる人間の仕事。

遠くからお水を汲んで来るのも

そんな中の仕事だった。

 

 

私の生まれた所は

私の子どもの頃は水汲みをしていた。

それは大事な仕事だったし

それが当たり前だった。

 

 

その後

蛇口をひねれば水が出るようになる便利さを手に入れた。

水汲みの時間が無くなった空いた時間はどう使う?

 

 

便利さって時間を生み出せる。

本当に凄いことなんだと実感する。

 

 

実は今の私の話で

いつも使っていた洗濯機が壊れてから

現実的に洗濯機が買えずに

母の形見の二層式の骨董品を使っていた。

けれど

いよいよそれも怪しい音を発していて

壊れる寸前。

脱水機だけは健在なので

脱水機だけを使って以外は手洗いをしている。

なので

午前の多くの時間は洗濯で終わる。(笑)

 

洗濯機を買えば余裕の時間が出来るけど

そこで何をするかって

そんなに重要なことも今の私にはないので

洗濯に集中する。(^^;)

 

 

おかげで

一杯考える時間が出来た。

洗濯は単純作業だし

水流は心を癒す。

なかなか良い仕事だと感じる。(笑)

 

 

たぶん

「急ぐ」ことが無いので

苦痛とも感じないのだと思う。

 

 

全てがこんな感じで時が流れる。

 

 

とね

生活に必要な労働を

今の社会では便利なシステムを使って

片手間にやっているという構図が見える。

 

 

本来やるべきことを

便利に片付ける為に必要なものを手に入れる。

そのお金を得るための「仕事」に精を出す。

ということなのかも。

 

 

今は

お金があれば必要なものは何でも手に入れられる。

子育てさえも任せることが出来るもの。

 

 

もっと時間に余裕があったらって

誰もが思う。

でも

視点を変えて行くと

何か違う方向に時間と力を費やしてるんじゃないかという気がして来た。

 

 

 

 

 

 

 

コロナで社会の動きが止まった時

そこに気付いてというサインだっのかもしれない。

 

 

生きる事の基本。

自分のテリトリーで日常を生きる。

そこでの時間の流れを体験し

その価値を知る。

 

 

そんなことからの

たくさんの気づきがそれぞれの心にあったと思う。

 

 

 

今私は

家の中で

主婦であり医療従事者であり

カウンセラーであり

介護士であり

マッサージ師であり

パシリでもある。

 

 

 

相当に価値ある存在だと

自負することが出来るようになった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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