私は母を反面教師にしている。当時は毒親なんて言葉はなかったし、毒親か?と聞かれればそうでないような気もするが、私は自分がされて嫌だったことを我が子にしない、して欲しかった(けどしてもらえなかった)ことを我が子にするようにしている。

 

衣食住は満たしてくれたので、感謝はしている。もう赦したので憎んでもいない。しかし、母親亡き後、母親のことを考えると寂しくて涙が出てくるというような、感傷はない。

 

母親の何が私を終始一貫苦しめたかと言えば、「条件付きの愛」だ。いわゆる優等生だった私は、母親の機嫌を伺って優等生になったわけではなかったが、母は私が優等生であることが当たり前だと思っていた。だから私が優等生でない一面を少しでも見せようものなら、途端に冷たい態度をとった。小学生のときのテストはいつも100点だったが一度も褒められたことはない。当たり前だからだ。100点でないと途端に私を不機嫌に扱った。優秀な子の名を挙げて「うちの子が○○さんだったらいいのに」と言って私を否定した。私だって好きで生まれてきたのではない。もっと言えば好きであなたの子に生まれてきたのではない。そんな母の言動に傷ついたことをはっきり自覚しているし、全て覚えているので、同じことを我が子にはしないと誓っている。

 

「こういう時、もし母だったらどうするだろう」

尊敬すべき母親なら、自分が迷った時に、お手本にすることができるだろう。しかし私の場合は逆だ。我が子が学校に行きたくないと言ったら…?母は半狂乱になって私を罵り、行かないなんて認めない行かないなら私の娘ではない勝手にしろとばかりにまた否定しただろう。理由すら聞こうとせずに。いやヒステリックに聞いたかもしれない。「どうしてそんな事いうの!(私が困るでしょ?!)」いや理由を言ったところでそれを全否定するのだから、言っても無駄だ。聞かれたとて言う気にもならない。否定され更に傷つくだけなのがわかっている。


自分に都合のいい我が子しか愛せない悲しい母だった。


※追記

げっ、昨日アメトピ載ったのですか?知らなくてこれ投稿した後で知りました。しまったこのタイミングでこんな暗い話載せてしまいました…明日からはまた明るく行きます…いや行かないかも真顔