いつかは観ようと思ってて、そのままになってた「空気人形」
昨日、友達との会話の中でひょんなことからこの映画の話題になった…彼女は、これは気持ち悪い映画だと言っていたけれど、そんなことはない。もっと笑いのある話かとは思っていたし、確かに不快なシーンもあるけれど…これ、とても良い映画だ。
人間の弱さと頼りなさが、それこそ空気に漂うように不安定で、ふわりとした感覚が残る…
そして、ものすごく切ない。決して明るい話ではないのだけれど、うまいなあって思う。
ペ・ドゥナのたどたどしい言葉がまた、耳にとても心地よい。
空っぽ…これがキーワード。
監督は一体誰だったのかと思ったら、あ~是枝監督か…すごいなあ、この人は(も)
ある日、ココロを持ってしまった空気人形のノゾミ。
はじめて口にする言葉
はじめて歩く街、はじめての仕事、嘘、秘密、喜び、そして恋。
空っぽだったノゾミを満たす淡いラブストーリーでペ・ドゥナの可愛らしさも満開
「性欲処理の代用品」であったはずの空気人形。
「なぜココロを持ってしまったのかなんて、それは人間を作った神様にも分からないと思うよ…」と
人形師はつぶやく。彼の存在はこの映画の中でとても大きい。
ココロを持って苦しい…でもココロを持ったからこそ見えたキレイなものもあったはず。
彼女が感じた喜びは、悲しさより大きかっただろうか…
彼女の存在を理解してくれるのは一緒に働くジュンイチ。
できることならずっと隠しておきたい不完全な部分を受け入れてもらえたとき…
ワタシじゃなきゃ駄目なんだ、アナタじゃなきゃ駄目なんだ…そう確信できたとき…
人は、言葉ではとても言い表せないほどの喜びや幸福感を感じるもの。
世間や常識を何も知らないノゾミに、ジュンイチが与えたものは大きかった…
そして彼女は、好きになった彼に同じものを与えようとする。
しかし…そこに生まれたのは悲劇。
この物語にはもうひとつの顔がある。
それは人と人とのつながりがどんどん希薄になってしまった今日の、孤独で不器用な人たちのゆがんだ姿を描いている一面。
空っぽなのはノゾミだけではない…ノゾミの持ち主であるヒデオもそう。中年のOLも過食症の女の子も浪人生も未亡人も。物語の中にはいくつもの「孤独」が散りばめられている。何かを恐れているのか、生身の人間とのコミュニケーションが上手くいかない哀しい人たちばかり。
人は誰もが欠如した部分を持っていて、それを受け入れてもらいたいと渇望する反面、どうにかそれを隠そうともしてしまう。そして代わりの何か、でその空虚感を埋めようとする。人間だって、空っぽなんだ…
ライアン・ゴズリングの映画をいっぱい観たときに「ラースと、その彼女」という作品があったのを思い出す…これもリアルドールが出てくるけれど、こちらはライアン演じるココロを病んでしまった青年ラースと、彼を見守る家族や街の人たちの優しさが前面に出て、じ~んとなる暖かい話だった。
「ラースと、その彼女」にしても「空気人形」にしても、主役はダッチワイフ。
一歩間違えればとてつもなく下品な作品になり得ただろうに…
地下鉄に乗っている人たち
会社で働いている人たち
道ですれ違う人たち…ワタシも含め、ワタシの周りにいる沢山の人たちもまた、どこか欠けてしまった何かを埋めてくれる人を探し続けているのかもしれないな…



































ポップコーンは







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