新脳図鑑

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『新脳図鑑』~ちょっとだけ別角度で考えてみよう~

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December 06, 2013 19:06:10

ここ最近…

テーマ:社長業

こんにちは。

すっかり寒くなってきましたね。



今年って、「秋」ってありましたか?

10月ぐらいまでが夏。その後はすぐに冬。

そんな印象があります。



お久しぶりです。

オン・ザ・プラネットの小谷です。




ここ最近…出掛ける先々で、アベノミクス効果なのか…なんとなく景況感を感じることがあります。

景気の回復が本物だといいですね。


ですが、やはり、成長の本質は「企業努力」、つまりは「一人ひとりの努力」でしかないので、

景気の振り幅に多少は揺さぶられながらも、しっかりと地に足をつけて成長していきたいものです。




早いもので…OTPも五期目が終了しようとしています。


今期は、前年対比成長率122%(※現時点での予測)という所に落ち着きそうです。

見方はそれぞれだと思いますが、僕の感想、社員の感想としては…ぜ、ん、ぜ、ん、ダメな一年だったと感じています。


もちろん、中身においては、嬉しくなるようなこと、今後に大いに期待が持てることもありますが、それを口にして説明している時点で負けです。


決算書は経営者、または会社の通知表。

毎年、利益を出すのは当たり前。

そんな次元を見てはいけない。


大切なのは成長率。そして、自分達で掲げた高い目標。

そう言った観点で考えると、反省点、課題の多い一年でした。



創業以来、概ね120%~140%くらいの成長を重ねて来ていますし…一番大切なことは「コンスタントに成長を続けること」ですが…

やはり、200%というような結果を目指さないわけにはいきません。

そこから逃げるなら、企業力の成長が鈍化しますし、

そもそもお茶を濁すつもりもないので、ここからやるだけです。




売り上げの中身は、創業当時とは大きく変わりました。


中身という点では、新規事業が伸びた一年でした。

来年は、新規事業をさらに拡大する一年として位置付けていますが、

そこは、若干へそが曲がっている私…。

今までは、「メインを抜くぞ」とばかりに新規に力を入れておりましたが…来年前期は、「抜かせてなるものか?」と、本家本丸にのっかって、メインの座を死守しようと目論んでおります。



その気になれば、いくらでも新市場があります。


だからこそ、その事業を背負える人間が必要です。



と、採用にも力が入ります。





そんな「ここ最近」でした。





これにて

January 09, 2013 09:45:34

テーマ:考え方

やっと。






オン・ザ・プラネット 小谷です。






やっと、日本社会、日本経済が動き出した感がありますね。



自民党政権も、参院選を控えているので、

大きなことは手控えしているとは思いますが、

その中でも的確に、淡々と、そしてスピーディーに物事を推し進めている印象を受けます




日銀の2%のインフレターゲット、お金ジャブジャブ攻撃も、

「今の段階での市場の反応」が全てではないでしょうか。


2012年の2月14日に日銀がインフレゴールを1%に定めただけで、

ただちに株価が1000円上がり、円安が4円進んだのと同様で、

やはり「マクロ経済における日銀の関与」は大きなものです。


世界における経済理論の中で孤立してしまっている「日銀流理論」に固執せず、

国民に意識を向けて、

安倍総理の言うとおり、今後も「責任を持って」取り組んでほしいですね。





マクロ経済、ミクロ経済とも、担当される方々の顔ぶれを拝見すると

「優秀なブレーン」が結集していますね。

ここが民主党政権との一番の違いのような気がします。



政策にしても、どの情報を持って政策決定するか?が勝負ですから、

指南役であるブレーンの存在がやはり大きいと思います。






これは政治に限ったことではないのですが、


結局は、チームの力が全てです。





①リーダーにどのレベルの情報を提供するか?


②リーダーは、その情報を分析し、問題の本質を射抜き、方針を決める。

 そして何より重要なことは、明確なビジョンを打ち出すこと。


 何(誰)のためか?

 どこへ?どのようにして?駆けていけばいいか?

 を共有させること。


③実行部隊は、そのイメージを深め、やり抜く。

 抵抗勢力に負けず、推し進める。



どの工程も大切ですが、まずは、①②がないと、事が進みません。


①②に関して、現段階で、「市場の期待」が表れているのでないかと思います。


後は、③ですね。





日本として、変わらなきゃいけないことが多いことは周知の事実ですが、


それに対して、既存勢力がどのようにして抗うのか?



・・・ここが勝負ですね。


彼らは後先考えず、時代の波が押し寄せようとも、自らの論理が破たんしようとも、自らを守るデータだけを用いて、既得権や今までのやり方を守りますからね。






ミクロ経済に関しては、「競争力強化」、つまりは「競争強化」以外に方法はないと思います。


官民基金などの、国家予算からの投資額増などで賑わっていますが、

僕は個人的に、市場の期待を持たせるという意味では非常に有効だと思います。



市場を動かしているのは結局は「人」なわけでして、

人である以上、「期待」や「悲観」などの感情に動かされるわけですよね。



・・・ですが、概ね、取りっぱくれることになるでしょう。

民間自体の成長力にも疑問はてんこ盛りですから。


むろん、それすら承知で、100に1つの大化けを狙っているのですが、

その風に乗る起業家が1人でも多く誕生する事を願っています。


本来は自分で何とかするものなのですが。

自分で何とかしようとするからこそ、

能力が増し、真の意味での強みが形成されるのですから。




何より重要なことは・・・


資本主義経済である以上



①救わない(救ってくれるという依存をつくらない)


②そのかわりに邪魔しない(意欲を削ぐような規制をつくらない・取っ払う、世界市場の中での間抜けなギャップをつくらない・解消する)


と、これだけでいいのです。




市場の本当の期待はそこにあるのだと考えています。


救ってほしいと願っている人が多いなら終わり。

一度、ぶっ潰れないとわかりません。


「あ、もう、終わる」


それくらいの危機意識を持って初めて、脳は動きだしますし、

・・・意外とどうにかなるものです。




「過当な競争意識」に苛まれるのは違うと思いますが、



「不当な競争防止に彩られた非競争」の下では、何も育ちません。




危機感も使命感も能力も人格も。







これにて







January 08, 2013 11:35:48

過去最高の自分に出会おう③

テーマ:考え方

(過去最高の自分に出会おう②の続き)



自己最高を狙わない」というのは、「最高の努力を模索しない」ということでもある。


「最高の努力を模索しない」ということは「方法を知らずに生きていく」ということである。




また、そのような生き方のタイトルは「現状維持志向」とでも呼ぶのであろうが、

「市場が世界規模化」し、

「自由競争が激化」し、

「普通消滅化」し、

「ドッグイヤー化」する現代においては、

「存在の死」を意味するのである。




また現状維持ほど難しいものは、この世にはなく、7割の力で投げるつもりが6割になり、6割のつもりがその0.8掛けで5割になり…。というように、


奈落の底であり、

ならば常に全力で投げる方が簡単なのである。



これはマラソンの話ではないのである。

これはロールプレイングゲームの話ではないのである。

これは投球術の話ではないのである。



これは例えなのである。

これはわりのかしに真剣な話なのであり、自他共々へ贈るエールなのである。



過去最高数字が出れば幸せか?…それは人それぞれと言いたいところだが、そうとも言えない。


「今の自分が最高だ」と思うことが出来れば、万人が幸せなはずだ。

もしそうではないとでも言うならば、毎朝5時に起きて乾布摩擦を行い、青汁をのむことを勧めたい程に考えが破たんしている。


また、何度か記してもいるが、「最高数字が出た=幸せ」というものより、「そのスコアを出せる自分がそこにいること」が崇高だ。




きっと「そのあなた」は見たに違いない。今まで見なかった景色を。

やり方を、戦略を、自分の動かし方を、社会の中にどう生きていくべきか?を、そして、誇らしい自分の姿を。




「そのあなた」があなたの人生を生きていくのだから、もはや「仕事のみの話」ではなくなる。
物事の見方、捉え方、人との付き合い方、視野、着眼点、精神性、能力、それらがメキメキとうなりをあげて、あなたの身、あなたの将来を存分に助く事であろう。


社会においては最終的に人との勝負になるが、自己最高を持ち寄ってもいないのに、「お相手をたのもう」などとは不届き極まる。

まずは自分。過去の自分に勝利した自分。過去最高の自分を創造するに尽きる。
逆に言うと、常にその自分を模索し、更新して、生きていくなら、もはや人がライバルではないだろう。



全力で走らない者には、気付きが訪れないが、常に最高を模索する者には特別なアンテナが存在する。



そのアンテナが様々な情報を拾い、両者の差を格段に広げる。


「過去最高に対して覚悟を決めて生きていない」なんて、馬鹿馬鹿しい話だ。

そこに開いた風穴から、「望んでいない筈の未来」が吹き込んでくるのだ。






さあ行こう、過去最高地点へ。

2013年 過去最高の旅路へ。


やれるかどうかの前に本気でやろうとするかどうかだ。



過去は変えられないが今は変えられる。

今が変われば未来は変わる。

人は変えられないが自分は変えられる。

自分が変われば自分から見える世界は変わる。



「今の自分」を変えること。

それだけが「望むべき未来」へと進む唯一のドア。







これにて
January 07, 2013 12:00:45

過去最高の自分に出会おう②

テーマ:考え方

(過去最高の自分に出会おう①のつづき)





そう、やるからには「目標」を持って取り組まなければ意味が消えるのだ。


では、この時の目標とは何か?

それはいかにもシンプルなものである。



それは常に「自己最高記録」を狙うというものだ。



これをやりさえすれば人生は必ず輝く。

「今どん底だぞこの野郎」という威勢すら吸収してしまう程この発想は偉大なのだ。



しかしながら、そうせず、「必ずこれをやると言う人」と、「時と場合による人」に分かれるのもこれまた世の常なのである。


なぜ分かれるのか?なぜ常に最高記録を狙わないか?…「言い訳がある」のである。


…忙しい、少し怪我をした、加齢。

このような「時と場合」が「必ず自己最高を狙う」というシンプルながらに崇高(なかなかいない)な思考を奪うのである。


逆に言うならば、「必ず狙う人」はいかなる状況下においても「必ず狙う」という…なんとも当たり前かつ説明不要な人のことであり、ここら付近の文章が要らないではないか?という苦情が殺到する様なことを徹する人のことである。



抽象的に言うと、成功者とは、「特別なことをする人」と思われがちだが、そんなことではなく、「当たり前のことだけども多くの人がやらないことを徹底的にやる人のこと」なのである。



結果的にそれが、「人がやらないことをやる人」となり、偉業を遂げることに繋がる。


また、それをやり続けることで、他の人が気付けない法則、

要は「受け売りではない自らが体感し習得した成功法則」に出会うのである。

また、この例における彼・彼女たちはこれを続けるのである。

ということは、「自らが習得した生々しい成功法則自体が成長し続ける」のである。なにしろ、「それが偉大だ」という話なのだ。



何かにおいてのチャレンジを行う折、誰だって自己最高が次々に更新されるなら、こんなに喜ばしいことはない。僥倖甚だしいのである。

だけど、99%の人がそれをやらない。

いや正確に言うと、「次々に自己最高が…という括り」では100%の人がそうならないのだが、人口の100人に一人くらいは、それに近い人生を送る。

お気付きの通りこの人たちが名を残すのである。



なぜそうなるか?両者の差は何か?


これまた書くと怒られるほど当たり前のことだが、「常に自己最高を狙うか」「時と場合によるか」の違いである。

「常に自己最高を狙う」…言ってしまえば、この考え、またこの時の覚悟で人生は決まると言っても過言ではない。




無論、そうしない人達に言わせれば、そうしない理由は「しんどいから」ということになるのだが、その選択が正しいのなら、この世界の閉塞感、夢が果たせない大人たちの多さはなんたることか?(挙句夢がなくなる、夢を見る力そのものが損なわれる)

それは果たして時代のせいか?政府のせいか?…ならば全滅であろう。

いるではないか?輝きまくっている大人が。



そう、今の社会では「一般的こそ破滅」、「多数派こそ負け戦」なのである。




はっきり言えば、しんどいと思って楽な人生を選ぶからこそ「しんどい」のである。


人生の主人公である自分自身のレベルが上がらず、「HP」も「アイテム」も「使える呪文」も「高いレベルで共鳴できる仲間」も増えず、「スライムと同等の能力で魑魅魍魎が集う迷宮に入り込んでいる」のである。



「自己最高を狙わない」というのは、「最高の努力を模索しない」ということでもある。


「最高の努力を模索しない」ということは「方法を知らずに生きていく」ということである。




また、そのような生き方のタイトルは「現状維持志向」とでも呼ぶのであろうが、


「市場が世界規模化」し、

「自由競争が激化」し、

「普通消滅化」し、

「ドッグイヤー化」する現代においては、


「存在の死」を意味するのである。



また現状維持ほど難しいものは、この世にはなく、

7割の力で投げるつもりが6割になり、

6割のつもりがその0.8掛けで5割になり…。


というように、奈落の底であり、


ならば常に全力で投げる方が簡単なのである。





これはマラソンの話ではないのである。


これはロールプレイングゲームの話ではないのである。

これは投球術の話ではないのである。



これは例えなのである。


これはわりのかしに真剣な話なのであり、自他共々へ贈るエールなのである。



これにて

いや、続くのである。















January 06, 2013 20:58:14

過去最高の自分に出会おう①

テーマ:考え方

「過去最高の自分に出会おう」







「おもいで話」は大いに結構。共に戦いぬいた仲間たちと、酒でも酌み交わしながら「あの時はこうだったね」と語らう夕べは最高じゃないか。時間も忘れるほどに、楽しさこの上ない。


だが、「俺の若い頃は…」と自慢話が過去形になるのだけは御免だ。

「今を見てくれ」「今が最高なんだ」…出来る限りそう言い続けたい。

「今年こそが今までで最高の一年だった」…死ぬまでその様に言い続けられたなら、この上なき幸せだ。「いや、そうではない」という人などはいまい。


もちろん、上手くいくことばかりではないだろう。

しかし、自分から手を降ろすなんていやだ。その時点でちっぽけだ。

「自分の今」を見くびっている。

そう、ここが分岐点。ここの考えこそが「その人の人生をまるごと決めるシンプルかつ重要な思考」なのだ。







例えば、最長で5km走しか走ったことがない人間が、42.195kmを走るということになれば、様々な努力が必要になる。


「ただ大会にエントリーして会場へ向かう」ということだけでは、完走は難しいし、経験のある5km走の様なイメージでフルマラソンを走るなどということはできまい。

出走する日から逆算して、トレーニングを行うのが人の常であろう。

自分の弱点を分析し、その部位を鍛えたり、徐々に走行距離を延ばして準備を重ねる。

中には食生活や生活リズムなどまで気を配る人もいるであろう。

その延長線上に完走や満足のいくレースというものがあるのである。


日本全国にこれだけマラソンブームというものが訪れたということは、それだけの「価値」を感じる人が多いという表れでもある。

得られる価値が多いのであろう。

体質が改善されたり、ストレスが和らいだり、痩せたり、達成感を感じられたり、「やり抜く精神」が身に付いたり、友情などが芽生えたりと、その例は枚挙にいとまがない。


ただし、「たった一度」で終わりなら、その「価値」は希薄である。

続けなければ意味がない。

また、「ただ続けること」だけではこれまた希薄。

目標を持って取り組まない限り、「出走=しんどくなったら歩く」ということになり、意味が消滅し腐る。



そう、やるからには「目標」を持って取り組まなければ意味が消えるのだ。



では、この時の目標とは何か?

それはいかにもシンプルなものである。





それは常に「自己最高記録」を狙うというものだ。





これをやりさえすれば人生は必ず輝く。

「今どん底だぞこの野郎」という威勢すら吸収してしまう程この発想は偉大なのだ。


しかしながら、そうせず、「必ずこれをやると言う人」と、「時と場合による人」に分かれるのもこれまた世の常なのである。

なぜ分かれるのか?なぜ常に最高記録を狙わないか?…「言い訳がある」のである。




つづくのである








January 02, 2013 15:42:33

2013年 自己新記録をただただ更新する 

テーマ:社長業

明けまして、おめでとうございます。


へび年です。


蛇のように、したたかにいきます。





オン・ザ・プラネット 小谷です。





正月そうそう、携帯電話がありません。


ま、なきゃないで、いかようにでもなります。



おかげで想像力が養われることでしょう。






年末のニュースで、「公的資金で製造業支援」という記事を見ました。


ぶっ飛びそうになりましたね。



どうなんですかね。

これは随分ちがうと思いますね。


どの歴史を見ても、

「保護して良かった」・・・なんて結末はありましたっけ?


ないと思いますよ。





公的資金って税金ですけど。



優良な企業が知恵を絞って身を粉にして働いて納めた、

言ってみれば「血税」ですよね。


それを徴収して、浮かばれない企業に・・・。

というのはちょっと。


いろんなことが馬鹿らしくなってきませんかね。



支援を受けなきゃいけない企業は、

どれだけうまい言い方をしても、

それだけの理由があったのです。



他の優秀な人たちがやったことをやらなかった。

他の優秀な人たちがやらないことをやってしまった。



それだけの話です。


その根本が改善されない限り、

飼い殺しの生殺しです。



「時代のせい」の様な報道にぼやかされてしまいますが、

「間違えた挙句、さぼった」のです。


この現実を受け止めなければ、

「その公的資金とやら」は、どぶに捨てたのと同義です。




政府が救って、

最終的に生き残った企業なんて、皆無に等しいですし、

それ以前にその行為は、あってはいけないのです。



景気回復を急ぐあまり、

「なんでもござれ」だけは勘弁して頂きたいですね。





これは、企業内でみても同じです。


鶴の一声で、救ったようでいて、

実は被害が拡大しているなんてことはよくあることです。



非情こそ大きな愛情。

同情こそ大いなる無情。



概ねそうなりますが、国家規模でやられると・・・。



また、若者は、自己メディアを持つ時代なのですから、

「愚策だな」と思えば、どんどん発信してほしいですね。


特に税金の使い道に関しては・・・。

権利があります、十分に。


塵も積もれば、世論ですよ。




と、まあ、正月早々、

携帯電話はなくすは、

悪態つくわでは、

どうにもなりませんので。


そんなこんなで、

「今年の抱負」なんぞを書き初め風に綴って、

おいとましようなんて思っとります。






           た  

           だ

      自    

      己    

      最    

      高    

            
   
     

小   

谷   

武  す

也  る    






うむ。これでよい。


綺麗事など要らぬ



勝負の世界に生き、勝負の世界を全うする。




たまに、団子と茶などを楽しむも善いが、

それは勝負の余韻ありきであろう。


たまには、踊りを踊ったり、歌を歌うのも善いが、

少し冷えた酒をぐぐっと飲んで、扇子を振るのも随分と善いが、

ま、それは、それは永遠に続く戦の小休止。


たまのたまには、花見なども善いが、

少し熱めの燗をぐぐぐっと飲んで、梅見や桜見もこれまた絶好ではあるが、

そんなものなぞ関係のない。



切った張ったの大勝負。


勝てば全てが、素敵に見えよう。


負けておいて、尚、慰めてなど要らぬ。



団子も花も少々で良い。


いや、要らぬ。


大切なのは、それを見、感じる心。




やってやりましょう、OTP諸君。


2013年、いざ、自己最高に出会う旅。


なんだっていい。


こだわっていることを数値化して、過去最高を明らかにする。

それにぶっちぎりに勝つ。


それでいて不幸なんて言う人は、

乾布摩擦をすればよい。

おしゃれすぎる。


過去最高を出すためには、

大きく人間成長せねばならぬ。


さすれば、鳥も花も美しく見えることでしょう。

団子も酒もさぞ美味しかろう。






これにて



December 28, 2012 13:00:21

論理と感情③

テーマ:考え方

「市場という舞台」の上で、

「プレーヤーである企業たち」が切磋琢磨し、

懸命に自己研鑽を重ね、

「消費者」にジャッジを仰ぐ。


・・・当たり前のことです。





オン・ザ・プラネット 小谷です。





この「当たり前」が、全くなされていない。

このような、信じられないような構造を持つ市場が、今だ、てんこ盛りなのです。



エネルギー、医療、農業、教育機関・・・。

様々な世界で、「本来、あるべき範囲での競争」が成立しきっていない。


「競争」という言葉を使うと毛嫌いする方もいるでしょうが、

消費者の視点から言うと、

「顧客主導の市場」が形成されていないということになるのです。


これはすごく怖いことです。




例えば、

自分の家族が「とある飲食店」で食中毒になり、

「しばらく入院しなくてはいけない」という事態になったとき、

退院祝いに「もう一度そのお店で食事をしよう」

・・・なんて話にはならないと思います。



多くの人が、

いかなる事情があろうとも二度とその店にはいかないでしょう。






簡単に言えば、

これが「顧客主導」です。





消費者に「意志選択権」があるということです。


「選択」できなければ「意志」は反映されません。


自らの人生に、「意志」を反映できないというのはとても辛いことです。





そうです。


「選択こそがその人となりの部分」なのです。




例えば、「何かの取り決め」で、

「やはりこれからも、食事はその店で行わなければならない」

と強制されているならこんな悲劇はありません。

ですが、みなさまもご存知のように・・・たくさんあるのです。

こんな市場が。








消費者に「選択権」がなく、

「コスト上積み方式」などの「業者の論理」によって、

市場が構成されているのが「業者主導の市場」です。



「エネルギー産業」などで言えば

既に深刻な問題となって多くの人を苦しめています。



原発の問題は、声高に「反対」といえば、すぐに無くなるものでもないかもしれませんが、

(個人的には再稼働をして欲しくなかったが、使用済み燃料の問題や代替エネルギーの問題、停電リスクなどに対する結論が未だ見えていないという意味から)


やはり、「原発反対」という強い姿勢を持っている方々が大勢いらっしゃると思います。




もちろん、そうでない方もいらっしゃいますが、


せめて、


そのような反対の姿勢を持った方には、

「他のエネルギーを選ぶことができる」という選択肢を与えていかねばなりません。




・・というか、「神話に溺れて現時点で存在していない」ということがもはや悲劇なのです。



子供をお持ちの方などが危機意識を持って反対活動されたあとに、

・・・「やはり今日も原子力エネルギーを買わなければならないという事実」は、とても悲しい現実です。





この問題はエネルギーに関することだけではありません。


医療しかり、教育しかり、食品しかり、

(他にもありますが・・・)


「それらに対する選択」とは、

「その人という人間を表す根幹の部分」なのです。





企業である以上、自分たちのことを考えなくてはならない。


それは当然です。

自分の身を助くことができなければ、次のステップはありません。



ですが、生き残るということは、

決して「業者の論理」を遂行することではありません。



林檎の種を植え、水をやり、肥料を与えて、育てるからこそ、

林檎の実を収穫できるのです。


「価値は一周めぐらないと長続きしない」

ということです。



構造自体に着手しない限り、


「歪な市場構造」が最終的にそこにいるプレーヤーたちを

まるごと呑み込んでしまうのです。




こんなことって、当たり前でしょう???



と思われるかもしれませんが、

それがなされていない業界はたくさんあります。


よくよく考えてみれば、なぜか選べない。


いや、選べるには選べるが、

強烈な妨害工作が働く。


そう、そこに「既得権者たちの論理」が闊歩するのです。




どう考えても、こういった社会になったほうがいい。


だけど、なかなかそうはならない。



なんで?





様々な理由があるでしょうが、


論理と感情①にも書きました、

「反対勢力・既存勢力の存在と行動」が大きいと思います。




なんでそんなことをするの?



多くの人がそう思うでしょうが、

(僕も含めた)やはり人間は、自らの立場から物事を考えてしまう動物だから・・・ということになるでしょう。




変われないのです。


今から競争と言われても、体が反応しないのです。


論理(頭)ではわかっていても、

感情(体)が動かないのです。


「ずるい」とかなんとか言って、批判するしか見当がつかない。


だから、「ネガティブキャンペーン」によって、

「競争や競争によるイノベーションを妨害する」しか選択肢がなくなるのです。






「付き合っていた彼女」を別の男性にとられた時に、

「奪った相手」を責める。


だけど、それでは何の解決にもなりません。


必ずこちらにも原因がある。


いや、100%こちらに非があると考えるべき。



そこにスポットを当て、

改善することだけが、やり直す入口。


しかしながら、そこは人間。

それが頭(論理)でわかっていても、

体(感情)が動かないのです。




本来は誰のものでもなかった彼女が

常にそばにいてくれた。


それに慣れてしまい、

いつの間にか誰のものでもない彼女を「私物化」してしまった。


よって「自分のもの」を取られたという

「錯覚だらけの被害者感情」に突き動かされてしまうのです。


挙句、感情に支配されるばかりに、

論理的な行動が取れなくなり、

ストーカーなどに成り下がる。




これは、各業界にも同じことが言えます。


本来誰のものでもなかった「顧客」を、

競争がない中で「既存顧客化」できてしまった現実から、

企業が顧客を「私物化」してしまい、

それを「奪われた」と「見当違いな被害者感情」をアッピールしているのです。


競争が起きただけなのに。


今までないものが起きたからどうしていいかわからない。


だから、彼らは、「イノベーションにより強みを持つ」ということを選ばない。


変わらない。


変われない。



「明らかな論理」を狂わせるほどに、

「今までの蜜」が甘かったんだろうなと思います。

(若い人たちを筆頭に変わろうとしている人はいるのだけれど、古株がそうはさせてくれない、でもそれすら負けですよ




崩壊した民主党政権が、

「中央集権の脱却」や「政治主導」というテーマを掲げて、

自民党から政権を奪取しましたが、

あれよ、あれよという間に、それらの主張が頓挫してしまいました。



なぜでしょう?



「強烈な反発」です。




もう、彼此、何十年も前から、

「明治以降から続くこの中央集権制度における様々な問題点」について、

多くの専門家や議員たちが指摘していまいしたが、それが未だ変わらず。




なんで?



単純な話です。



反対勢力の根回し、バッシング、です。




そうです。


「このようなことのミニチュア版」が各業界や企業内に起きているだけ。



よくある話なのです。




国民を幸せにする、国家のために尽力するはずの政治家や官僚が・・・。

その業界を発展させ、正常化し、消費者主導の市場に成熟させる義務のある企業が・・・。



「手前の論理」に溺れる。




答えは1つだけ。


「競争から逃げている」だけ。




そんなお話でした。







物事には必ず、メリットデメリットの両面があります。


「競争による弊害」というものも必ずあります。


ですが、そこは、どちらの方がメリットが大きく、どちらの方がデメリットが少ないか、しっかりと全体像を把握した上で論議しなければなりません。


そして重要はことは「誰の便益」に則っているか?

ということですよね?






ここが決定的に破綻しています。




反対勢力はある一点突破によって

国民を不安にさせます。


悪口という領域に思いっきり体を突っ込んだ、

誇大なネガティブキャンペーンです。



ですが、多くの場合において、

もう、このネガティブキャンペーンの効き目はなくなってきています。


流石に時代が許してくれません。


既得権を守ろうとすると、

政策と世論の強烈な板挟みにあってしまいます。

また、悪口を聞くのは、誰でも嫌な気持ちになりますしね。



イノベーションを起こそうとする組織が、

「付け焼刃のような信念しかない集団」であるなら、

猛烈な反発に屈するということもあるのでしょうが・・・。


「強固な信念を共有する集団」なら、

屈しないどころか、より団結を強固なものにしてしまうのです。



むしろ、育ててもらえる。

強固な信念を。



僕はそう考えているというか、事実いつもそうなんです。


世界を見渡してもそう。


強固な信念を持った者は諦めない。


外的圧力に屈するという選択肢自体を持っていない。


先方からの批判を力に変える。



既存組織からの反発、批判は「筋トレの負荷」です。

なくては成長できない「研磨剤」なのです。





ま、このようなことを言えば、

「何かを変える」なんてことを言ってくれる若者が減ってしまいそうですが、

多くの若者に「変える」というチャレンジをして欲しいと願っています。


それが若者世代にとっての「働く」ということなのではないでしょうか。





何度となく既存勢力に打ちのめされながらも、


「問題意識」と「日本を変えるんだという気概」を持って。


政治に対しても、


経済に対しても、


誰に依存するわけでもなく、


「自覚」と「当事者意識」を持って。





「変えなきゃいけないこと」、


「変わらなきゃいけないこと」だらけですよ。






国家全体を考えるなら、

まずは、「若者が選挙投票に行かなければ駄目だ」と思います。



「世代別投票率」を見ると、

巷で問題視されている「社会保障の世代別格差」などの問題は、

「若者世代の自己責任」と言われても言葉が返せない気がします。


だって、「投票にすら行ってない」のだから。



行動しなきゃ。


単にそう思います。






最後に。



自由競争といえば、TPPの話は避けて通れませんが、


TPPに関しては、

「アメリカのスタンス」があらわになるまでは、

動きづらいことがあるとは思います。



ですが、いずれにせよ、

「自由競争の波」には抗えません。

時間の問題なのだとは思います。



ここに来ても、

「反対勢力」が際立ちます。




組織で選挙を後押しし、

自分たちの意向(TPP断固反対)を果たそうとする農業集団がありますが、

そこは正直、気になります。



これからの成長市場ということで、

「農業」というテーマを掲げられる経営者も多いですが、

どう考えても今後は民間参入が相次ぐでしょう。


農家の方々も「売り先」が増えれば、

まさに「選択肢」が増えるわけで・・・。

さらに日本の農業技術を持ってすれば・・・。

世界市場でボロ負けなんて考えられないと感じるのは間違いでしょうか。


事実、「農業界のカリスマ」と呼ばれるような方々の中には

「TPPに賛成の姿勢」をとっている方もいらっしゃいます。



農家の方々にとっても、たしかに難しい問題なので、

団体の方の言われるがままになってしまい、

「実は自分たちの業界にイノベーションを起こすかもしれないというビッグバン」に反対してしまっているなら、それはとても悲しい現実です。



事実、言われるがままに、

減反政策などの1人っ子政策のような無茶な方針を強要され、

「結果的に豊かになった農家の方」って存在するのでしょうか。




もちろん、自由化の波が押し寄せたら、

淘汰されてしまう農家が出てしまうのも現実だと思いますし、

メリットしかないなんてことではありません。


したがって段階を踏むこと、

また、今まで散々振り回した分、「こうしていくと農家は発展する」という

ロードマップをしっかと示し、具体的な方向性を照らすことが不可欠ですが。




もちろん、僕自身も農業という業界にはとても関心がありますし、

参入してみたいという気持ちはありますが、

「誰がやるか?」というより、「誰のために?」が先決です。

「いち団体のため」ではなく、「農家と国民のため」に正しい競争が行われることを望んでいます。



「民間からの参入」、「優秀なコンサル」、「選択肢のバリエーション」がキーにはなりますが、最大のテーマは「農家の自立」ではないでしょうか。

「職人気質」から「商人気質」への変貌が鍵になると考えています。


様々な衝突があるでしょうが、ここでも「若者の奮起」が必要になるはずです。








最後の最後に。



「既得権者たちが悪い」という話ではありません。


彼らによって、その産業が担われてきたことは確かですし、

そこには敬意を評しているつもりです。


だからこそ、「黒船襲来→総倒れ」にはなってほしくない、

というのが本心です。




日本は、江戸末期まで、「自由競争」というものが存在しておらず、


「Competition」を「争う」と約すならば、

お偉いさん方が「けしからん」とのたうちまわるので、

かの福沢諭吉が苦心して「競争(それまでにはなかった言葉)」と説くことで、

少しばかり「自由競争」というものを理解したという逸話があるほど、

「身分」と「談合・癒着」によって経済が成立してしまう時代を長く過ごしました。



そのような性質も手伝ってか、

「既得権」というまるで「身分」と見まごうかのような非競争が未だはびこり、

真の、正しい、消費者主導の市場が形成されていないということを、今だに多く目の当たりにします。



まさに福沢諭吉殿がおっしゃった


「天は人の上に某(なにがし)」という言葉を思い浮かべてしまいます。





ここです。



「ここに若者がチャレンジしなければどこでする?」

と言えるほどに使命を燃やせる場は、なかなかありませんよ。


「身分」なんてそんなものがあるはずもないのに、

「身分のような関係性」が成立し、

上手から「企業の論理」を振りかざすなら、


そんなものは壊せばいい。



やられるならそれはそれ。


また立ち上がればいいじゃないか。



いずれにせよ、競争がないなら若者のエネルギーはどこへ向かう?


何を持って評価してもらう?



そんな風に思うわけです。




もちろん、


「あかずの間」をこじ開けようとするなら

批判されます。



「根回し」や、「風説の流布」なんてお手の物です。



ですが、そこに屈するなら、

信念に反して誰かの利権を守るための人生を費やすしかない。


間違った論理に加担して、のうのうと暮らすなら、

「批判覚悟」で行こうでじゃないか。


僕はそう思います。




既存勢力に批判されなくなったら終わり。


それは各業界を見ても明らかです。




その時は、



影響がない弱小に成り下がったか?


志を捨てて、自分たちがそちら側についたか?



のどちらかです。







敵は、外ではない。


内。



諦めるか諦めないかだけ。



最後は「自分」なのだ。







「社会に新たな価値を創造したい」



学生との面接などで、よく聞くセリフですが、


新たな価値の創造とは、


アイディア勝負とかではなく、


既存勢力との戦い。



いや、それに向き合う「自分」との戦い。





概ね、ここに書かれた様なことです。




これにて





December 27, 2012 00:00:06

論理と感情②

テーマ:考え方

「他力経済」・・・「自力による経済的創造」ではないなら

・・・「最初からそこにあったような錯覚」

そして「それが永遠に続いていくような錯覚」に囚われてしまう。


経済に限らず、空気や水、

また、友情や愛情に対しても「そのような錯覚」に囚われる。

悲しいかなそれが、「人間という生き物」なのでしょう。


「自ら得た」のではなく、「与えられた」ことによって生じる錯覚。




そこが落とし穴。


気付けば奈落の底。





オン・ザ・プラネット 小谷です。




市場の中に「最初から存在する売上」などと言うものが、本来あるわけもないのですが、

「高度成長」や「バブル経済」によって、「業界感情」に過ちを生み出してしまったのかもしれません。




そもそも「資本主義そのもの」が絶対的に素晴らしいかどうかはわかりませんが、

W・チャーチルが言ったように、

現時点におきましては「ベストではないがベター」ではあるのだと思います。

「それに代わる主義」が既にあるなら、世界はその色に染まっていますよね。




当然のことながら、

(現在の市場環境のように)

競争原理が働く以上は、

価値を決めるのは他ならぬ「消費者」でなければなりません。

(どのような主義においてもそうあるべきですが)



これは「顧客第一主義」であるといった「主義」以前の問題であり、

そこにいるのが「どのような主義の持ち主」であろうとも、

全ての存在に当てはまる「原理」ですよね。


空に向かって何かを投げたら、

放物線を描いて落ちてくる」という話と同じなのです。





ですが、そこが「置き去り」にされている。


「消費者の論理」が置き去りにされていることがよくあるのです。





何によって?



概ね、「競争の妨害」です。



誰によって?



概ね、「既得権者」です。





競争が起きなければ、企業努力によって価格が下がることはありません。

昨今のエネルギー問題で、電力料金の「コスト積み上げ方式」などが取りざたされていますが、このようなものが「競争という研磨剤によって磨かれた業界」にて通用するわけもないですよね。


むろん、話はそれだけに留まりません。

「1社独占」や「地域独占」が実力ではなく、「規制」や「競争潰し」として起きるなら、「ガラパゴス化」ならぬ「業界そのもののイノベーション不全症」が深刻化することでしょう。


「競争という名の切磋琢磨」によって起きるはずの進化が、

「競争妨害という名の既得権者の論理」によって不全となる。


これでは、市場の中心にあるべき存在の消費者がないがしろにされるだけでなく、

結果的に渦中の既得権者たちも、根こそぎ足元を救われることになります。



一周回って、自らによって自らの成長を阻害する。

投げた石が自分にぶつかってしまう。

自分で自分の首を絞める。

そんなこんなのなれの果て。



「黒船の襲来」です。



「定番シナリオ」です。


「時代がそれを許さない」、いや「それを許さない時代がやってくる」のです。





高度成長期やバブル期なら、

成長市場が山ほどあります。


だからそのことを問題視する人は少ない。


だけど、それらの時期も過ぎ去り、

既存産業が概ね斜陽産業になろうものなら・・・「あれ?」となるわけです。


民が潤っている時代なら、王様の贅は批判されないが、

民に貧困が続いた時に、「あれ?」となるのと同じです。




ありとあらゆる世界において、

原理に背けばどうなるか?と言えば、


・・・淘汰されます。


完膚無きまでに粉々になってしまうのは、

歴史から見ても「火を見るより明らかなこと」なのですが、

「そこにはちょっとした仕組み」があります。




粘るわけです。


彼らも。




簡単には捨てません。


それはそれは「甘い、甘い蜜」ですから。


自分たちから「甘い蜜」を捨て、

自らを競争に晒してまで、

「自由競争を導入していこう」というような大物はなかなかいませんよね。

(いたら歴史上の人物なのですが・・・)



よって粘るわけです。


どのようにして粘るかというと???



「競争妨害」に走ったり、

「競争を起こそうとする人たち(概ね若者)を徹底的に叩く」わけですね。



あらゆるコネクションを使って、

もう、必死なまでに「ネガティブキャンペーンを行う」わけです。


ま、工作です。


これを「発展へ向けた努力」と呼ぶなら、

確かにこの国は終わりですが。





競争から逃げるものが淘汰されることは必然なのですが、

・・・粘る。


俄然、粘る。


そこで「タイムラグ」が起きる。




大げさかもしれませんが、

僕は「このような時代背景無視の粘り」こそが、

「失われた20年の根幹」なのだと考えています。


歴史に「たら」「れば」は禁物ですが、

もしあの時、既存勢力が自らによって変われていたなら、

「今この地点から見た日本の将来像はもう少し視界が良好だったのかもしれない」なんてことが、たくさんあるのだと思います。





この場合において、

「既に利権を受け取る立場だった者」が、

競争を受容し、変わっていくならば、その存在が淘汰されることはないでしょう。


「環境に適応する者が生き残る」のはもちろんのことですが、

自ら変われるなら、その行為と努力は偉大であり、

今までの業界経験も手伝って、「明日の業界」のイニシアチブを握ることになるでしょう。


また、それそのものが「新たなる」、「生きた」、「本物」の「参入障壁」となって、その存在を助くでしょう。



さらに、今までの利権を捨て、

「正しい競争によって業界内を正常化することを推奨するような存在」

ならば、間違いなく「業界の中心に座ること」になるでしょう。




ですが、それができない。


変われば生き残れるのに。



「論理」としてはわかっていても、「感情」がそれを許さない。

頭ではわかっていても、体が動かないのです。



だから、最後はまるごと持っていかれる。

跡形もなくなる。



そうと分かっていれば、変わるのに。

だけどそれは後の祭り。

まさかそこまで朽ち果てるとは思っていない。


原理に背けばそうなってしまうことは頭で分かっていても、

今、目に映るわけではないので、実感が伴わない。


神頼みと工作。


結果から最も遠い行い。




結果をつくる要因が、「思考」ではなく、「行動」であるならば、

破滅には抗えない。


自ら変わるなら生き残るが、時代に変えられるなら死。


これは普遍です。


(福本先生の描く天才アカギに言わせるなら「死ねば助かるのに」です)






これは経済界とか業界に限った話ではありません。

「あらゆる団体」、そして「この国の統治機構」にも及ぶ話です。


今、手の中にあるものを「自分のもの」としてみてしまう。

(私物化)

「これを捨てる」というのは確かに並大抵ではないのだと思いますが。




また、この「既得権者たちの論理」は、

企業内、要は個人的に見ても当てはまるのだと思います。


僕自身も数々見てきました。


既存の立場、利権を守ろうとする個人。


競争ではなく、「競争妨害」や「新しき実力者たちへのネガティブキャンペーン」によって自分の立場を保持しようとする者たち。



勝負できなくなったら終わりです。


若者を妨害するだけの存在が粘る。


それこそが「企業版、失われた○○年」なのだ思います。





ここにおいて重要な考えは、


「何処を見て動くか?」


そして、


「誰を見て動くか?」


なのだと思います。





「勝負を決める審判」を見失わず、


なおかつ、


「自分とできるだけ遠い存在」に向けて動いていきたいものです。





明治維新の立役者たちが、

今だに、いや、いまこの時代だからこそ「多大な尊敬」を集めるのは、

それぞれの「藩益」を捨て、真に「国益」を考えて動いたからです。


また、「今の国益」ではなく、「遥か彼方なる未来の国益」に則って、

自らの命を賭して挑んだ戦いに、我々はただならぬ感情をおぼえるのだと思います。



幕末の藩士、脱藩者たちのそのような姿勢は、

「無私」という言葉で語られます。


自分を捨て、大きな世界や未来の世界へ向けられた「志」に突き動かされた世界です。



彼らの時代では、まさに「無私」・・・要するに自分に対する見返りなどない世界。

そのような世界に私財を投げ打ってまで尽力された方々も多いと思います。

既得権にのさばるなんてもっての他でした。

(例外はいるようですが)



だだ、今の時代は、「無私のつもり」でやっていったとしても

「実際には無私ではない」と思います。


「時代のスピード感」がまるで違います。


求めるか、求めないかに関係することなく、

サイクルの早さから、「得てしまう」のだと思います。





幕末の頃とは時代のスピード感が違う。


ただし同じことがある。


それは「日本が危機的状況である」ということです。



つづく





December 26, 2012 14:08:38

論理と感情①

テーマ:考え方

自民党政権からだけでなく、

他の政党からも「競争の声」が、

多く聞こえてきます。





オン・ザ・プラネット 小谷です。





小さな政府(政府関与の少ない自由競争社会)か?

大きな政府(政府関与の大きい社会保障型社会)か?



僕個人の主観でパッとものを言えば、「小さな政府」を求めてしまいますが、

「日本という国家モデル(全体像)」から考えるならば、

過去のアメリカモデルを追うように「自由経済」だけを増長させて、

ただただ「小さな政府」を推し進めていくことが、

必ずしも得策とは思えません



何より、日本人は「真の競争社会」に慣れていませんし、

「超少子高齢化の将来像」から考えても、国民感覚が許さないでしょう。


かと言って、自由競争が妨害され、

規制でがんじがらめになってしまうような市場構造が改善されず、

働けど、働けど、若者世代に対する負担が広がる一方であるなら、

何かを生み出す上で最も重要である「モチベーション」が著しく損なわれることでしょう。







ここが、「重要な鍵」です。







規制を緩和し、競争を喚起し、

その上で高いのレベルの「保証型社会」を実現させる。


アメリカのような小さな政府でもなく、

ヨーロッパ諸国のような大きな政府でもなく、
「独自の国家像」を抱き、共有し、目指す。


過去にあるものを踏襲するだけでは、

決して切り拓かれることはないのが「日本の未来」なのだと思います。



そのためには、


「経済界」はもちろんのこと、

「それ以外の様々な世界」においても

「イノベーション」が起きまくらなければなりません。


大変な道のりであることには変わりがないが、

「日本人」ならやれる。



僕はそう思います。



やれるがしかし、難関も多い。



これが現状に対する結論。






では、この場合における難関とは???


それは諸外国ではなく、内なるもの。


「国内の反対勢力・既存勢力」なのだと思います。






「競争を推進する社会像」というものが、

「国家像」として打ち出されるなら、少し敬遠されがちですが、


その一方で、「国家像から一つ降りた世界」、

いわゆる「それぞれの市場における共通のベクトル」は、

もはや誰にも変えることはできないのだと思います。




それは上記にもあります、

「自由経済化」、簡単に言えば「競争の激化」です。





「既得権によって、がちがちになってしまっているあらゆる業界」においても

間違いなくこの「自由経済の波」は押し寄せてきます。




このベクトルが進行するのは、

「多くの政党が支持しはじめているから」ということではありません。

(ステップとしてそれはあるでしょうが・・・)




理由は至って簡単、そして明快。



それは、

「消費者が求めているから」にほかなりません。









日本という国は、戦後に空前の高度成長を経験しました。



「日本列島改造論」とはよく言ったもので、

あらゆるインフラが一気に整備され、

今まで存在しなかった利権も、これまた一気に膨れ上がったのです。



インフラである以上、

国民にとっては、「なくてはならないもの」(本当になくてはならないものかは置いておいて)であるので、

その利権は「神話化されるほどに絶対的なもの」となりました。



また、それ以降に起きたバブル。




これらによって、「現在の日本の市場構造・・・その基礎工事」が

完成してしまったのです。






これらを、抽象化すると、




「自分たちが創造しなくとも、自然と需要が勃興してしまった」のですね。



ここが肝。


「自力(主体)経済」ではなく「他力(客体)経済」である、

ということです。





もちろん、そこには様々な努力もあったと思いますし、

ご尽力された方々がいらっしゃったことも事実です。

誰が悪いという話では毛頭ありません。


ただ「もうひとつの事実」として、

「主体的な創造」をしたわけでもなく、「自由競争に勝利」したわけでもなく、

言ってしまえば「出来レース」によって「あらゆる市場」が誕生してしまった。



ここに、「歪な市場構造」、そして「歪んだ社会構造」が、

生まれる発端があるわけです。




また、よりによってそれを守ってきてしまった。

ここに「今日の日本経済がある」と言っても過言ではなかろうかと・・・。


そのように思う次第であります。





つづく


December 25, 2012 23:02:22

一年を振り返る③

テーマ:社長業

「決算」もまだですし、「今年」もまだ終わっていませんが・・・




オン・ザ・プラネット 小谷です。




賞与査定などを終え、

そろそろ「ある程度の精度を持つ期末予測なるもの」が、

出てくるわけですよね。




OTPは、今年度で「4期目」になるわけですが、


「創業1年目」と比較すると、「売上」、「営業利益」ともに、ほぼ倍増というところです。


そこを中心に考えますと、ここ4年間で、

「平均120%~125%」ほどのプラス成長を繰り返してきたということにはなります。




ですが、業績というものは、

そこだけで判断する訳にもいかないわけですよね。




1人あたりはどうなのか。

とか、

バランスシートの中身はどうなのか。

など、

突っ込んだ分析が必要になってくるわけです。




・・・といいますか、それ以前に・・・。


「4年で2倍」というものを「まずまず」と感じてしまったな

ら、終わり。

衰退あるのみです。



ここはある種、「いっちゃって」なければなりません。


「世間の足並み」と合ってしまってはいけないところです。




一年で2倍。


ここが最低ラインなのだと思います。



一年で1.25倍と2倍。


この差は歴然。


そしてそれを続けると、その差は「とてつもないもの」へと、

化してしまいます。




両者の差は?


たった4年で考えても大きいです。



一方は4年で2倍。

10億が20億にしかなりませんが、


もう一方は4年で16倍。

10億が160億にもなるわけですね。



一年単位で見れば、

「2倍差」にもなりませんが、

当然のことながら、

積み重ねの差は巨大。


たった4年で、両者には「8倍もの差」が生じるわけですね。

(当たり前の話ですが・・・)




そして重要なことは、この時の両者の「取り組みの差」ですね。



120%や130%の成長を目指すなら、

人員を増やすとか、効率を上げるみたいな、

「そのあたりのどの企業でもやっているようなこと」をしておけばいいわけです。


ですが、200%成長を持続しようものなら、

もっと「根本的な問題」にアプローチしなければならないわけです。



「必要は発明の母」と言うように、

「それを前提としているからこそ見える世界」というものがあるのでしょう。


そう、その差こそが「絶大」なのだと思います。


それは、「○年がいくらという売り上げだったという過去形」に留まるようなものではなく、

これからも成長を支え続ける「現在進行形の勝因」にもなるわけですからね。






そう考えれば、この4年の動きは愚鈍。


鈍さ極まりないと言われても返す言葉がありませんし、

誰に言われるわけでもなく、自分たちでも強く感じています。







「1人あたり」という点におきましては、

創業期と比べれば、

若干ではありますが、落ちています。


ここも真摯に受け止めなければなりません。




ただ、ここだけは付け加えておきますが・・・

今このようなご時勢において、私たちのような若輩者が、

なぜ積極採用をしているのか?

・・・当然ながらそこには確固たる「理由」と「戦略」があります。



もちろん、いかなる場合においても

「一人あたり売上」、「一人あたり利益」というものが即座に上がるならば、

それはそれでこの上ありませんが、

一方で、売上や利益には、「どうしてもタイムラグが発生する」という原理は常在するものでもあり、


当然ながら、そこを踏まえて経営しているわけですが・・・

そこに関しては十分に許容の範囲ではあります。



「今、カウントできる売上」と同時に、「未来でカウントできる売上」が増えてきたということです。




事実、事業単位で見ても、


新規事業を含めて「4つの柱」を持って運営しておりますが、

いずれも前年対比プラスではあります。



特に「2つの新規事業売上」はぐんぐんと伸びています。




今現在は、新規事業の「ダブル2号店」の工事が進んでおります。


ダブル2号店は、「両新規事業を、まとめて(3階建て一棟丸ごとで150坪ほどのビル)に出店しよう」という、

ま、我々のようなベンチャーにとっては、緊張感のある勝負ではあります。



また、両事業あわせて、

来年中に5店舗から6店舗の出店を計画しております。


結論で言えば、人が足りなさすぎる・・・ということですね。




ということで、「14採用」にも力が入るわけです。





このような局面を見ると、それなりに成長しているようにも見えてしまうのですが、

そこは誰と比べるか?です。


下を探して安心しているなら世話はない。




こんなものではいけない。


狙っていない。


OTP社員の多くがそう思っています。



1年で2倍。


いや、取り返さなくてはいけません。


常にそこから考えます。








これにて












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