電気とたべもの~地震後の東京 | ⋆

現在、東京は東北に比べて(比べなくても)、まともに生活できています。


勿論知らないことも多いんですが、節電がある地域もあって、

コンビニやスーパーで食べものがないとか、交通が少ないとか停まったとか

なんだか、そういうのは贅沢だと思います。


けど、なんでこんなパンとか食べものがないんだろう?

実際、あまり入荷自体していないのもあるけど、

ひとり買占めてどうなるんだろうか…状況はみんな一緒なのに。

トイレットペーパーも電池もないらしい…どうなの、真相は?


個人的には、食べ物はフツーに米があれば、余裕だと思っていますし、

トイレも紙がそんな必要ないくらい「キレ」がよくなるよう鍛えてね(爆)。


まあ、交通は(山手線は特に)使う人が多いから、昼も満員だし、

やっぱいつも通りがいいかなとか…いろいろ私の生活圏での解釈がありますが。


ギタリストのとこは神奈川の川崎市なんですが、信号もきれたという状態を経験したらしい。

それは不便だろうと思いますが、根本的に、東京にそんな電気って必要ないんでは、と思っています。


しかも、なんでか電気供給、東京優先されてますよね。

なんでかって、いうとヘンかしら?


(後日談:交通や信号、本社の多さから優先されているというけれど…むしろ東京からが手っ取り早いような。

 都会に住むというのは、便利だけど目まぐるしいシステムでもあるし、ストレスも多いだろうとも思うけど、

 田舎だっていろんな枠はあって大変ですよ・爆。ただ大変な枠がそれぞれ違うだけで、東京が殿様じゃない)


ここ数日は、コンビニとかお店やらも、看板を消したりして「節電対策」しています。


今日も歩くと、看板さえ節電もしていない店や広告とかもあって、そこまでして

夜の人間にアピールしたいものは何? という気になりました。


普段だって必要ないなーと個人的に勝手に考えていだけど、こんなときには更に。

むしろ逆効果なのでは…(爆)。


あと、普通にお店の中も煌々としていると、なんだかな~と。

コレ、わたしの好みですけど、常日頃もふんわかした灯りがすき。

かかっているBGMもガチャガチャしていない大きさがすき。


それなのに、こういう災害のときなんて、もっとシビアに見ちまいます、失礼。

常日頃から必要なのかなっていう、明るさ…。


以前、地下鉄で。

電気の供給がうまくいかなくて、電気を50%にしたことがあったんですけど、

それで十分明るいわけです。本も全然問題なく、読める。


いつもが、明るすぎ。

常にこのくらいでいいと、私は思っています。


S i n g  O N - E N


蛍光灯が明るすぎると、イライラする原因にもなるとなんかデータでありましたけど

減らしたら、むしろ駅のトラブルも減るんじゃないかなぁとか(笑)。


いわゆる「エコ生活」って、そういう人間にとっていいんじゃないかと。

勿論、自然や生態系もうまくまわっているというか。


実際、わたしは夜(も)煌々とした蛍光灯にいるのが苦手なんですけど

ほどよい灯りは、よい安眠に誘うのにいいらしいし、「快適な生活」はエコになってしまう。

しまうってのも、変な言葉だけど☆


例えば、本読みたいのに、暗すぎるのでは本末転倒ですけど、

夜は暗いものなのですから、明るすぎるのはどうかと。


昔に戻らなくてもいいけど、現在は行き過ぎているように思えるのです。


「心地よい」を思い込みではなく、全部が改善されるように考えてみて、試してみてから、

選んでゆくと、生活や環境は改善してゆくし、ムダ使いのない「エコ」になると思う。


だから、根本を見ると、何でもエコってのは人間のため。

胡散臭い「エコ」という言葉を盾にした商売のことは言っていません(爆)。


前の職場での、パソコンモニター もそうですが、

また別の職場では、エコを意識し、電灯を50%間引きしたこともありました。

私にとってそれでも十分明るいから、他の人に言われるまでそのことに全然気付かなかったり(笑)。


現在の節電対策も、このお店やってないんだーと、よく観察すると消えていたりして、

どんだけ普段は明るいんだって(爆)。


人によって、快適度もさまざまだろうけど、

電気のムダ使いということは、わかっているはず。


だから。

地震だからとかじゃなくて、

根本から見直すチャンスということなのではないでしょうか。そう、想いたい。


できることをやる。


いろんな企業を見てるし、東京でずっと生活している私から勝手に言いますけど、

…特に東京だけが優先されることなんて、何もない。


かわらないし、むしろ、恵まれている。

そして、あるものを、みんなで分ける。


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ちょっと逆なことになってしまいますが、

実は「資源」って、必要ならば、みんなで分けなくても十分に存在しているそうなんです。

文献は、失念してしまいすみません。


奪いあったり、我慢して分けなくても、「必要であれば」世界にはあふれているそうです。

精神世界ではないと思います。そして、ついでに石油も使いすぎなのだと、考えます。

洗剤・シャンプー ではないでしょう、石油の役目は。


と、自分のなかでいろいろリンクしていて、ブログでいつもまとめるのに一苦労ですが(爆)、

(読んでくださる方も、すみません…)


とにかく。

分けなくてはいけない現在は、使いすぎている証拠なんだろなーと思うわけです。