BS-TBS 

にっぽん!歴史鑑定

「べっぴんさんの真実」

2016.12.5放送

 

歴史鑑定士:田辺誠一

さあ、ショーケース2つからはじまったベビー服のお店はもはやひくてあまたの大人気。今度は新宿にある大手百貨店から子ども服展を開催してほしいという依頼が舞い込みます。しかし担当者から送られてきた計画書に納得がいかない 惇子(あつこ)さんはレポート用紙40枚にも及ぶ新たな計画書を書き、送り返したと言います。さらに会場の設営がはじまると現地に赴き納得がいくまで細かく注文をつけました。のちに百貨店の担当になった当時の担当はこう語っています。

 

担当者「とにかく猛烈を通り越して壮烈だったよ。一見したところ山の手の家庭婦人なんだがものすごく気合いが入っている。徹底的に実行するバイタリティには驚嘆させられたね」

 

壮烈ですか。それも「お母さんと子どものためのべっぴんを作る」という強い信念があったからでしょうね。そんな彼女たちのもとにまたも思いがけない依頼が舞い込みます。

 

「皇太子美智子妃殿下のご懐妊に際し、そちらの商品を妃殿下にご覧いただきたいので至急持参してほしい」

 

ナレーション:鈴木順

べっぴんが皇室にも認められた? 惇子、美智子妃殿下と緊張のご対面

 

昭和35年

皇太子と正田美智子さんがご結婚。その夏、美智子妃殿下のご懐妊が報じられました。すると 惇子たちに嬉しい知らせが舞い込みます。自分たちの商品が妃殿下のお子様のための候補になったと。さっそく東宮御所に赴き緊張のおももちで待つ惇子。お見えになった美智子妃殿下にひとつひとつていねいに商品を説明していきました。自分たちの愛情がいっぱいつまった「お母さんと赤ちゃんのためのべっぴん」を。後日、皇室からベビー用品80数点の注文がやってきました。品質の良さを認められたのです。その後、礼宮文仁親王や紀宮清子内親王ご誕生の際も 惇子たちのベビー用品の注文がありました。

 

創業から10年。ショーケースわずか2ケースからはじまった 惇子たちのベビー用品店は飛躍的な成長をとげました。

 

クローバー仕立てを担当していた田村光子は最新式の量産システムを導入することになっても商品の品質がさがることがないよう厳格な商品チェックを怠りませんでした。

 

クローバー手芸部門を担当し、ほとんどの商品の図案を描いていた田村江つ子はどうすれば子どもがよりかわいく見えるのか研究し続けました。

 

クローバー販売と手編み商品を受け持っていた村井ミヨ子は若い社員たちに編み物の手ほどきをし、後進の育成に力をそそぎました。

 

そして

 

クローバー坂野惇子は、ひんぱんに海外のベビー用品会社を訪れ、日本にない商品や子ども服への新しい考え方(写真:輸入した育児用品)をつぎつぎと取り入れて行ったのです。

 

歴史鑑定士:田辺誠一

生きるため。4人の主婦たちがはじめた子ども服の店。そこに並ぶ商品はたとえ店が大きくなっても1つ1つ丁寧に、丹精込めて作られた物ばかりでした。母と子のため、よいよい商品を作る。創業時の誓いを胸に4人は常に現場の先頭に立ち、社員たちにその精神を徹底邸に教え込んだといいます。中でも惇子さんは会議の際、

 

坂野惇子「これがママにとって本当によい商品なのかしら」

 

と、社員たちに厳しい言葉を投げかけ、自ら商品開発の指導も行いました。お母さんから愛されるベビー用品のパイオニアとなった彼女は80歳まで第一線に立ち続けたのです。べっぴんを守るために。