北からのお客様③ | 縄文招来 かヲり日記

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北からのお客様①、②のあらすじ↓↓↓
 東京上京で出会ったボイラーマンのおじいさん、実は超クラッシック通のおじいさん。
おじいさんの古民家で若者が集い、くつろぎ楽しく過ごしていた中で仲間の一人の死をきっかけに、、、


 あの頃の事を思うと、鮮明な部分とボンヤリとしか思い出せない部分がマダラになっていて、何ともいえない空気感として蘇ってきます。
 地面から切り離されたようにフワフワして、何をしても何を考えても分離しているような心地悪さを感じていました。
 冷たい言い方になるかもしれないけれど、自分が泣いていても周りがパニクッていてもどこか俯瞰して、さめてみている感じ。
今思えば防衛本能のようなものかもと思えます。
 自分が絵を描く時に最初に思ったことは、自分の闇に向き合う事じゃないかと思ってました。
自分の心の動きに敏感になること。
スケッチをはじめた時に大切にしていました。
そこに向き合ってはじめて芯からの光に触れられる確信がありました。
 しかし、仲間の死はそんな思いを揺さぶるのに、余りある出来事でした。
でも、思い出すと光を映し出すような周りの言動や行動、景色、世界ばかりを思い出します。
根がお目出度いのでしょうおねがいおねがいおねがい

 おじいさんはと言えば、、病院の職場が同じだったこともあり、おじいさんにとっては大切な大切な方だった為に、うろたえて居ることも隠さずにうろたえてましたキョロキョロキョロキョロキョロキョロ
今思うと無理もありません。おじいさんにとって本当に大切なかけがえのない存在だった事は周囲にも明白でした。
 亡くなった看護師さんは、北海道出身の方でその当時はまだ実家も北海道にありました。
仲間の中には看護師さんの弟妹もいたのですが、おじいさんは自分の家をはらって余生を北海道でおくるつもりだと告げていました。
北海道の自然の厳しさを知っている弟妹の方は反対していましたが、おじいさんの決意は固く引っ越しの準備を始めました。
 この時期が看護師さんが亡くなってからどれくらいの期間だったかあまり覚えてませんが、混乱の最中、かかわっていた皆が自分の事で精一杯だったように記憶してます。
 おじいさんはほぼ身内がおらず、少ない身内の方とも仲違いをしていた為、ほぼ独断で事を進めていきました。
あんなにクラッシックが好きだった、おじいさんが音楽を聴かなくなっていたことにも驚き、心の傷の深さをヒシヒシと感じてはいたものの、一度動き出した針は元へは戻せずハラハラ見守りながら自分達も歩む道のりの大きな変化を感じ取り、それでもおじいさんのところで過ごした楽しい日々と仲間への感謝と絆を拠り所に、微かな希望の光の糸を、皆、手探りでたぐり寄せていました。