昨日の爺は、目は遠くを見ていたけど、
こちらの言っている事は、何とか分かるみたいでした
私たちの言う事に、笑ったり頷いたり
それもかすかなんだけど…反応してくれました
最近では、テレビもあまり見ません
爺の見たい番組が、お昼にやっていないというのも
あるのですが
演歌界のドンの、博多座公演なんかを
放映してくれないかしら
それから、爺の贔屓の野球チームの皆さん
あまりにも不甲斐ないじゃないか
もっと頑張ってください
爺の様に、『○○・大鵬・玉子焼き』で育った世代の
方々には、貴方達が奮闘して勝つだけで
活力を与える事ができるんですから
日の大半はずっと、遠くや天井をみながら
過ごしている爺
時折、隣の部屋のお婆ちゃんたちの声に反応し
目だけを頭上の壁に向けたり、
様子を伺う仕草をしています
車椅子にでも乗れれば、少しは違うと思うのですが…
脳梗塞というのがあるので、踏み切れず
日当たりの良い部屋で、少しでも爺に
活力が戻ればと祈るばかりです
婆は…相変わらず、毎日毎日、同じ言葉を吐いて
私を苛立たせます
夕食の事…
私が長男の塾の送り迎えがあろうが、
私が頭痛に悩まされていようがお構いなし
自分の腹時計が鳴ったら、居間に現れる
ご飯が出来ていないから自分で作れ、と言うと
食べんで死ぬからいい、と吐き捨てます
ここ数日は、ここに越してきた頃の
『リビングで食べる』という記憶が蘇っている様で、
当然の様に入ってきては席に着こうとします
あの頃は、婆が部屋にいないだけで
あちゅが吼えて騒ぐので
爺が私たちと一緒に食べ、
爺が終わったら、交代で婆が食べに来るという
システムを取っていました
それだって、自分があちゅを甘やかし
ちゃんと、躾けないから悪いのであって
自業自得なのに
爺が食べている最中も、
何度も何度もリビングを覗きに来たり 、
自分が食べていないと言う事が、
あちゅが食べていないという事にすりかわり
あちゅを抱いて、あちゅのご飯の催促にきていました
婆を爺より先に食べさせたら
と旦那がよく言ってましたが、私はそれに断固反対
以前にも記しましたが、
私たちが子どもの頃は、婆は自分の経営する食堂で
昼に出すお弁当(それも幼馴染のおばちゃんが作ったもの)を
三つ持って帰って、私達の夕食に充てていたんです
わざわざ、三つ多く作って…
お弁当が盛況の時は、その三つさえ売って
私達の夕食は、あり合わせのもの
6時間以上前の冷えたおかずを
自分の母の手作りじゃなく、他人のお母さんの作ったおかずを
自分たちで電子レンジでチンして食べていたんです、毎日
その頃、婆は何をしていたか
お客さんと飲んで騒いでいました
趣味と実益を兼ねる、等とほざいて
生活の為
爺の給料だけでも、充分、やっていけていました
ただ、自分が楽しみたいだけ
ただ、自分の我侭を通したかっただけなのです
それを少しも悪いとは思っていない
それどころか、自分は忙しいから当たり前だ
と正当化していました
だから、爺より婆を先に食べさせるなんて
私は、絶対に許しませんでした
現在もそう…
毎日毎日、私が夕食を作る事が当たり前で
孫の名前や、爺の顔や、あちゅの最後や…
色々なものは忘れるくせに、ご飯を食べることは忘れない
私がご飯を作っていることだけは、絶対に忘れない
それが無性に腹が立つのです
病気である事は事実だけど、
その振る舞いと言い分は、病気になる前と少しも変わっていない
ケアマネージャーさんにも相談したのですが
介護2で預かっていただける施設に入所させるには
それなりの費用がかかり、それなりの順番を待たねばならない様で
婆の年金で回せるだけの費用なら出すのですが
どうもそれだけでは足りそうになく
旦那は、
(我が家の収入から)費用を手出ししても、
婆と離れる事で、お前の気持が楽になるなら、
その方がいい
と言ってはくれるのです
でも、婆の為に、旦那が働いて得てくれた給料から
費用を回すなんて、とんでもない
結局、毎日、苛々しながら、
婆に接しないといけないのですが
私からも家族からも、邪険に扱われる婆
でも、本人に自覚がありません
自分で撒いた種、ご丁寧に水まで与えて
我侭の花を咲かしたのだから
今更、優しくしてもらおうというのが虫のいい話
私はそう思います
私が苛々しなくて良い様に
婆の言動を、右から左へやり過ごせる様に
私自身が変わらねば、といつもいつも思うのです
が…毎日同じ様な愚痴の繰り返し
なかなか上手く行きません
鍛錬が足りませんね(笑)
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