「親戚の、2人目まだ?」に思うこと

 

魂怖いがないと生きられない魂

オカルト愛好家のおみが

 

気になるスポットを巡りながら“妄想旅行”を綴っています鉛筆

 

 

 

 

 

なんて重たいブログを書いてしまったんだろう…とは思うけれど、コレが今の私を形成するルーツみたいなものだから不安

無理に切り離そうとしないで、ブログという形で昇華しようと思いました。

 

 

 

 

 

親戚の集まりで何気なく飛んでくる「2人目はまだ?」の一言。


悪気がないのは分かっていても、その言葉は私の胸に深く刺さる不安

 

そもそも私は、よく結婚できて、1人目を授かれたなと思うほど

 

愛情とは無縁の生活を送ってきた。

 


母に支配された幼少期

 

10/6の記事でも書いたけれど、

 

私の母はいつも自分の人生に手一杯で、

 

子供の私たちと真正面から向き合ってくれなかったもやもや


子育てはいつも「占いの指示通り」


その結果、私は「自分の感情より、他人の正解を優先する子供」になっていった。

 

「お前は結婚できないと思っていた。」
「お前は子育てに向いていないね。」

 

結婚後に母から言われたこの言葉たちは、今でも心の奥に残っている悲しい


否定され続けてきた私が、

 

ようやく自分を肯定できるようになるまでには、長い年月がかかった。

 


“肯定で終わる人生”に変えたかった

 

親元を離れ、様々な価値観の人と出会い、


倫理観のしっかりした友人や恋人に出会う中で、

 

少しずつ私は変わっていった気づき


「否定されて終わる人生」から「肯定されて花開く人生」へ。


その転換点にあったのが、結婚と、そして娘の誕生だった飛び出すハート

 

私のもとにやってきてくれた大切な娘は、

 

唯一無二の存在であり、生涯愛し抜くと心に決めている目がハート

 


“2人目まだ?”が突き刺さる理由

 

正直、1人目を授かるときですら、心の底では不安でいっぱいだった悲しい


「愛されて育ってこなかった私に、愛を教えることができるだろうか?」


「一度母親になると、長い人生を“母として生きる覚悟”ができるのだろうか?」

 

そんな迷いと向き合いながら、今ようやく親として歩き始めている。


だからこそ、

 

「2人目は?」という言葉は、簡単に受け取れるものではない。

 

あの言葉の裏にある無邪気さや善意は分かる。


でも、それは私にとって

 

“命の重さ”を軽んじられるような気持ちにさせることがあるもやもや

 


命の決断は、周囲が測れるものじゃない

 

もちろん、親戚に私の過去を話したことはない。


だから彼らの言葉が浅はかに出たものだと分かっている。

 

これからも「2人目まだ?」と聞かれる日が来るかもしれない。


そして、もしかしたら私自身が「もう1人欲しい」と

 

思う日も来るかもしれない。

 

でも、人の命は軽くない。


周囲の意見でどうにかできるものではないし、


どうにかしたくても授かれない場合だってある。

 

だからこそ、私は今日もこの命を大切に抱きしめて、


“今ここにある幸せ”を噛みしめながら生きていきたい。

 

 

 

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