緩くても暖かいこの国(沖縄ライフ) | 風のブログ

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東京都墨田区から沖縄県糸満市名城へ移住し、
イヌたちとバイク、ヨットを楽しんでいます。
沖縄田舎暮らしをお届けします。
というか、自分のための備忘録です。

梅雨明け宣言は酷暑のはじまり

6月の中旬は清水港の愛艇All RightⅣの下架と駿河湾クルージングを楽しんできた。

沖縄へ戻るとすぐに梅雨明けが発表(6/20)され、酷暑の季節が始まった。梅雨明けの沖縄は、それまでに降った雨が一斉に蒸発しはじめるため、ものすごい湿度になる。同時に観光客も激増していくのだが、我が家も同様でたくさんの人が次々に訪れた。

 

ハワイからカラスを持ってTAKAが来た

僕が沖縄へ移住する1年前、某大手発動機メーカーに勤務するTAKAは、ヨーロッパ5か国を皮切りにブラジル、そして最後はアメリカと世界中に赴任し、ようやく日本へ戻ってきた。久しぶりに東京で互いの贔屓の店を紹介しあったり、ヨットでクルージングしたりと旧縁を取り戻した。僕の沖縄移住はすでに実行段階に入っていたことから、50歳をすぎた今後の人生についてずいぶん語り合った。そんな時間が彼の転機になった。コロナ禍で大手を振って人と会えない中、TAKAは清水港のARⅣの船内で重要な人のヘッドハンティングをサポートした。このサポートが実を結んだだけでなく、TAKAもその組織から誘いを受けることになり、半年後、仕事、家庭を調整し、ハワイ行きを決心した。

僕が沖縄へ移住しもうすぐ4年、TAKAがハワイへ移住し3年。

この間、僕の会社のオフグリッドサイトにオフグリッドやハワイの生活について起稿してくれており、それなりの人気記事になっていた。そんなTAKAが日本への出張ついでに来沖してくれた。
「お前、カラスが好きだったよな?こんなん見つけたから思わず買おてきたわ」と、カラスが電球を咥え遊んでいる置物と自宅の近所にあるラム工場のラム酒を手土産にあらわれた。
TAKAがカラスを持って。鷹が烏を持ってきた。

 

 

時々Facetimeで連絡を取り合うものの、対面し呑むのは4年ぶりだ。沖縄のこと、ハワイのこと、仕事のこと、人生のことなど、話題は尽きない。少し嬉しかったのは、彼が熟睡できたことだ。長く海外勤務をしていると、自宅以外で安心して眠ることができないそうで、というか常にピリピリしていたそうなのだが、日本の、とりわけ沖縄の環境は「隣の島にいるみたい」と安心して2泊を過ごしていってくれた。

 

鰻が空を飛んできた

TAKAが沖縄を去ると1日あけてOND夫妻が来沖。この夫妻とは東京時代に立ち上げたボランティア活動を通じて知り合った。旦那のOND氏は食道楽、釣り道楽を趣としており、この時期は荒川の支流で夜な夜な鰻を釣っている。東京時代から、隅田川花火大会に合わせ、我が家で花火を鑑賞しながら釣った鰻を捌き、うな重をつくり、食すというイベントをやっていた。沖縄へ移住し「旨い鰻がない!」と愚痴をこぼしていると、「分かった。こっちで釣った鰻を下ごしらえして凍らせて、そっちへ持っていく!」と嬉しい提案をしてくれた。

同日から、沖縄へ移住してできた初めての友達のメグちゃんが転勤で福岡へ異動するため、最期の週を我が家で過ごすことになっており、ここにケンクルーズのケンナオコ夫妻も加わり、大鰻宴会が開催された。

 

 

 

天然鰻は腹が黄色い。これを証するように黄色い皮がほどよく焦げるまで焼き、OND氏特製のタレをかけ、何度も焼く。すでにかば焼き状に調理され冷凍された鰻は、蒸され、焼かれ、タレにまぶされ、こんな旨そうな姿に化身した。メンバー8人の胃袋を満たすのに十分な量の鰻が提供され、夢のような食卓となった。

 

津堅島上陸

鰻を堪能した翌日、同じメンバーで与那原マリーナに係留しているNydellへ。レストア作業が進むNydellを披露。そして出航し10NM先の津堅島へ向かう。OND夫妻の歓迎、メグちゃんの送別クルージングだ。あの美しい海を見せてあげたい。

 

 

 

この海を見て、飛び込む人、船上でまったりする人、釣りをはじめる人。
僕は一応キャプテンなので、皆の行動を注視しながらも、船上でまったりとした時間を過ごした。

それにしても、この海は美しいし、この船も美しい。

 

イベント準備

実は今回のOND夫妻の来沖は、鰻を食べてクルージングを楽しむ以外にも重要な仕事があった。それは週末に予定している社団法人水辺環境創造グループ(通称:みずかん)の来沖対応だ。このグループは都内の河川をカヤックを使って水面を清掃し、キレイになった水面で一般の方々にカヤックやSUPの乗船体験を行うボランティアグループで2012年に僕が立ち上げた組織だ。沖縄移住に伴い代表を交代したが、後任たちが頑張り、この4月に晴れて一般社団法人となった。

例年は落水、救助訓練を神奈川県葉山町の海岸で行っているが、コロナ禍を経て、今年は沖縄・名城ビーチで開催したいという。この受け入れ準備を行う必要があり、創業時から活動を供にしてきたOND夫妻の力が必要だったのだ。

事前に敷地内の草刈りはしていたので、会場となるデッキや演者の控室となるガレージの清掃など、汗だくで作業をした。ここで「演者」と軽く書いたが、実は4年ぶりに再会するグループのメンバーにサプライズを用意することにしたのだ。当初は名城の友人に「東京のボランティアグループが来るから三線の演奏を頼むよ~」などと軽くお願いしていたのだが、友人が所属する民謡教室に相談したところ、話が大きく花開き、民謡ステージが計画されることになった。それも日に日に話が大きくなり、前日には「獅子舞もやる」となった。これは我々だけで楽しむのはもったいないと、近所の移住者仲間に「明日の夕方19時半から三線の夕べをやるから、飲み物持参でおいで」と声をかけ、準備を終えた。

 

みずかんマリンスポーツ体験、救助訓練

そして迎えた6月29日13時、4年ぶりに再会するメンバーと、地域の子供たちを招待し「みずかんマリンスクール」を開催した。マリンスポーツは何か強烈なきっかけがないと始められないスポーツだと思う。湘南の端っこで生まれ育った僕でも、同じ学年でマリンスポーツをやっている友人は2~3人しかいなかった。ここ沖縄でも同様で、こんなに美しいビーチのそばで育ちながら、初めてカヤックやSUPに乗り、はしゃいでいる地元の子供たちを見て、そんなことを思い出した。

 

 

当日は5m/s程度の風が吹いていたが、カヤックやSUPに慣れているみずかんのメンバーはすぐに海域に慣れ、美しいビーチを往復し、機材に慣れた。

岸から1キロほどの範囲は珊瑚礁内であること、500m程度沖に出ると水質が変わりびっくりするほどキレイになること。そしてそこにはウミガメがいることを教えると、メンバーたちは喜々として沖へ出た。

よほど感動したのか、後日、メンバーたちのSNSは名城ビーチの景色で彩られていた。

 

沖縄民謡ステージ

ビーチでマリンスポーツ体験、救難訓練を行ったのち、充分に休憩時間を設け、夕方19時30分からそれは始まった。

みずかんのメンバーと我々スタッフ。そして近所に住む移住者仲間が続々と集まり総勢40人を超える人々で宴はスタートした。

照明やPAが備えられた舞台で三線奏者と大太鼓が沖縄民謡を奏ではじめた。

このステージは東京チームにはサプライズだったので、一同その迫力、技量に驚き、魅了されていった。

 

 
 
大人の演者が三線、太鼓を奏でる中、突如、子供たちがかわいい衣装を着て舞台に上がってきた。
そしてついには子供たちだけのステージとなった。三線の腕は大人顔負けで、しかも場慣れ感さえ漂っている。
しかし良く顔を見てみると、それは昼間にマリンスポーツや救難訓練に参加してくれた子供たちではないか。これは僕にとっても大きなサプライズだった。
さらにだ!宴の最後に演じられた獅子舞だが、これも見事な演舞で感動していたら、獅子の中のふたりもSUPを教えた高校生の兄弟だったのだ。
子供たちは教室の先生や生徒さんの子供たちだそうで、ステージ上で将来の夢を聞かれると「三線や踊りがうまくなりたい」などと、沖縄伝統文化の継承を目の当たりにできたような時間だった。
素晴らしいステージをつくりあげ、東京の仲間を歓待してくれた喜納千春民謡教室の皆様、本当にありがとうございました。

 

 
 

沖縄よ。ありがとう。

翌朝の早い時間。みずかんのメンバーは名城ビーチにいた。

昨日のお礼として、名城ビーチを歩き、ゴミを拾い清掃活動をした。もちろんあらかじめ予定したプログラムだが、清掃活動中の皆の話題は夢のような昨夜の出来事についてだった。

事前にOND氏と糸満市役所を訪れ、イベントの趣旨を説明し、拾ったゴミの回収を依頼したのだが、このような活動が多く行われているのか、QRコードが印刷された紙を渡され、写真を撮ってアプリで回収依頼をしてくださいと指示を受けた。なかなか優れたシステムで感心させられた。

みずかんのメンバーたちは、沖縄へのお礼を口々にし名城ビーチをあとにした。

 

OND夫妻と入れ替わりでムスメが来沖

OND夫妻を那覇空港に送る時間に合わせるように、娘の未海が来沖し、今日まで5日間滞在した。滞在中、何本ものWEB会議をこなしながら、ロウの後継の陽菜、エドの生まれ変わりの結と戯れた。

合間、潮を見ながら「ウミガメに逢いに行こう!」とSUPで海に出る。

 

 

沖に出てウミガメに遭遇するたびに落水し、ついにはアグラをかいて漕ぐ姿は何ともかわいいもんだ。

君の名前の未海(みうみ)は、おとぉが若い頃、未来の海も今のまま美しくあってほしいと願いつけた名前なんだよ。などとひとり呟きながら、その通りのキレイな海をムスメと眺めている時間にひとりごちながら、長く来客が続いた日々を終えた。

日本における「沖縄」って何か不思議だよね。

仕事なのに「沖縄出張」というと羨ましがられるし。

沖縄県民が総意で反対しても、国に色々なことを押しつけられたまま状況は変わらないし。

移住してもうすぐ丸4年。沖縄について思い感じることはたくさんある。

だけどひとつの結論めいたものがある。

それは「ここは外国だ」ということ。

よくも悪くもこれで片づけないと納得できないことが多々ある。

緩くても暖かいこの国。

郷に入れば郷に従え。の諺の通り、移り住んでようやく分かる沖縄の大きな魅力がここにある。