占いが好きで四柱推命などを市販の本で勉強したことがあるが田舎なので本業にしたくても習うところがなかった。最近は陰陽師などでズームで習える時代でうらやましい。


わたしの父親は自分で宗教をしていて占いなどをしているようだが、わたしは養女として他で育ててもらったので後をつぐこともできない。


他人の不幸話しを背負えるほど強くないから

その道へ導かれないのだろう。



よくある宇宙の話しは、まるで小学生に言うようなお花畑な考えが通用するらしく、そんなので

生きていければ苦労しないだろうと思う。

みんながみんな同じではないからだ。


そりゃあ、毎日るんるんホワホワと夢見て生きれば幸せという他ないだろう。

シンクロばかりの日常で、何かに見られているとか何かに導かれているとか、助かった、それでよったとか、私自身もそういうスピ系の性質だけれど、それは平和な人生の中のだだの暇つぶし、

ひとりで脳内の誰かと話しているだけのこと。


そりゃひとりで生きていれば、特に家族内の

人間関係すら苦しまなくてすむ。


ひとりが1番楽しい。



普通の人は結局たいした夢ももてず、発達障害の友人のようにわたしすごいんですと思いこんでいたら幸せでしかないだろうが、現実にはどこに行ってもいじめられている。


それが何とも感じない人間はいるだろうか?

むしろ、そのなんとも感じない能天気さがいじめられる原因であったりする。


したい事や夢があるならいいが、人に使われるだけの人が、大多数だろう。

半ば諦めすらあるだろう。



じゃあそのその他大勢は本当に人生を楽しんで

いるのだろうか。楽しむために生まれてきたのか。



占いは統計学だ。

そしてなぜそうなるのかわからない。

そこに宇宙がある。


一人一人に宇宙がある。

それには、自分のことを知る事が必要だ。



例えば、わたしの生年月日の命式は、

どこを、とっても賭け事の星がついている。


だから、賭け事からのがれられない。

自分がしなくても、親しくなった恋人も、結婚した配偶者も賭け事をする。


その苦しみがわかるだろうか?


わたしは賭け事は無駄だと思っている。

仕方なくこの道しかないからやっている。


儲からなければ、見切りをつけなければならない。

本当は賭け事なんか大嫌いだ。

例えば宝くじでも、たまに「持ってるなあ」と言われることがあるが、


いつも1番ではなく、2番手だ。


金運はない。


金運があれば、恋人でもお金を持っているだろう。金持ちの家の彼氏でも、本人はお金を持っていない。そんな出会いしかない。


今の旦那は、とにかく運がいいと言われる。

人相も手相も、見れる人が見れば、運がいい人だと言う。

ところが明日の1円もない暮らしだ。

それのどこが運がいいのだろう?


それぞれの人間が、それぞれの運命、

それぞれの人生を生きていく。どうしたって

親も変えられないし、生まれた星のとおり

事は起きてくる。


大切なのは、その人生がどうとかではなく、どういう心で生きたか。



やはり真実の人間であることが大事だと思う。


そして、地上のみが生きる世界ではないことを

知る事だ。