前半戦は緩く恒例の後楽園2連戦を開催した全日本。3日は鶴田対カマタのUN戦を組みます。当然、テレビ岩手では放送されません。

ですがいよいよハンセン登場の1月15日木更津スポーツ会館は放送してくれました。この寒い時期は岩手競馬もゴルフないらしく今思うと結構、放送してました。正月の後楽園大会が放送されないのは当時、日テレ系とTBS系の民放2局しかなかったのでそれ以外の正月特番を昼に放送しているためです。ちなみに「笑っていいとも」は平日の16時から、「ひょうきん族」は土曜の16時だったと思います。チャンネル争いなんかありません。あるとしたら土曜19時の「宇宙戦艦ヤマト」と「日本昔話」の時だけでした。

ハンセンが後年語っておりました阿修羅は相性がいいらしくこの一戦後も自ら阿修羅との対戦をリクエストしたとか。実際この試合は格とかなんとか関係なくしたらベストバウトの候補になっていたかもしれません。衝撃度は一番でした。それまでスタン・ハンセンは雑誌上の生き物でウェスタン・ラリアットなのかウェスタン・ラリアートなのか雑誌によってまちまちでした。動くハンセンを初めて興奮しました。凄かったです。以後、馬場との初対決までゴング誌上や倉持アナが今日は誰が餌食になったとか石川は2大会欠場したとかの話題ばかりでした。後半に進むにつれ「ジャンボと馬場だけがラリアットの餌食になっていない」ということでした。

当初予定では最終・東京体育館での馬場対上田が前倒しになり1月20日の鹿児島で実現。遺恨やらなんやと盛り上げますが凡戦の上、鶴見の乱入です。最終戦なら暴動もんです。その鹿児島では鶴田・マスカラス組対ハンセン・ジプシー・ジョー組というのも何気に実現。

2月2日岐阜ではニック対マスカラスのノンタイトル戦、セミで鶴田・天龍対ハンセン・上田で天龍が豪快にラリアットの前に屈します。

2月3日横浜で馬場・鶴田対ニック・ボックウィンクル、ニコリ・ボルコフのインタータッグ戦なんて訳の分からないカードも組まれます。

そして2月4日東京体育館。

馬場対ハンセンの初対決はこの年のベストバウトを取りました。しかし新日から「視聴率20%も取れないカードがベストバウトでいいのか!?」なんてクレームもありましたが、いい試合でした。でも15%前後の視聴率だったんで日テレ的には良かったらしいです。しかも馬場があんなに動けるなんてビックリでした。気をよくした馬場は国内の次のシリーズ「チャンピオン・カーニバル」開幕戦では「馬場コール」に応えてリング状をピョンピョン跳ねたりしていました。

この試合の他にもニック対鶴田のAWA世界戦も結構いい試合でしたけど。いつも鶴田は世界戦はピンフォール以外はタイトル移動がないルールなのにリングアウトを狙うのが不思議でした。

そしてマスカラス対天龍のIWA世界戦。最近初めて知ったんですがこの試合、マスカラスはIWAのベルトを忘れて「ALLL」っていうタイトルのベルトで挑んだらしいです。でもそんなことを聞いても気にならないぐらいいい試合でした。後年リッキーとのUN争奪戦では凡戦だったのに天龍はマスカラスとは結構いい試合をします。この日から「サンダーストーム」が採用されています。

この時期、ゴングとプロレス誌でハンセン引き抜きに関して紙面上でももめてたみたいですが子どもにはわかりません。

そうそう、ハンセンは「猪木としかいい試合ができない」なんていろいろなところで言われておりましたがその後の活躍を見ると杞憂に終わりました。でも新日時代のハンセンのラリアットを見ると腕を伸ばしたままぶつけてるだけのように見えます。全日での振り切るスタイルではなかったように思うんですが。

あの長州ですら初めのラリアットは腕をのばしたまま相手に向かっていくだけの技でしたからね。