6月30日は僕にとっては特別な日。



 

テーラー夙川の本体は、大阪に本社を持つ「紳士服オルボ」という昭和38年設立の紳士服製造卸の企業なのだが、かつては北摂を中心にローカルチェーンの紳士服専門店だった。

 

最盛期は15店舗を有していたが、大手ナショナルチェーンとの戦いで徐々に衰退。
閉店を余儀なくされ、さらに平成19年に発生したサブプライムローン経済危機は我が国の経済にも多大な影響を及ぼした。

それにより本店として位置付けていた大型店が平成20年に閉店。

さらに翌年、梅田にあった店も閉店に追い込まれた。

その両店を閉めたのが6月30日であった。

 

 

 

この2つの店が立て続けに閉店に追い込まれたことは僕にはとてもショックな出来事だった。

あと1店舗を残してはいたが、この店は新大阪センイシティという問屋街にあり、その問屋街もまもなく大幅に縮小することになっていて、それにより弊社の店は撤退することが決まっていたため、事実上、弊社は洋服屋として消滅することが決まっていたのだ。

 

 

本店を閉めた平成20年の今日から、梅田の店を閉めた平成21年の今日までの1年間、僕は立て直しに全力を傾けた。
早朝から駅前に立ち、道ゆく人に店の案内のポケットティッシュを配り、一人でも多くの人にお店に来てもらおうと宣伝に一所懸命だった。

暑い夏も、寒い冬も続けた。

店が終わる午後8時。
それが終わったら、深夜までネットショップの店長としての業務が始まる。
毎晩深夜までネット通販の業務をこなし、また早朝からティッシュ配りに行く。

 

そんな過酷な毎日を過ごした1年間。
少し業績が上がり始めたが、今度はリーマンショックが世界中を襲う。

またも売上は大幅に落ち込み、ついに先代は閉店を決めた。


もう12年前になるが、あの日のことは鮮明に覚えている。
 

6月30日が契約終了の日だったので、最後の日は後片付け。
商品も什器も撤去して、ガランとした店内を掃除し、20時にスタッフと店を出た。


ささやかな慰労会をスタッフ2名とやり、店を出たあと、最後に別れのあいさつを交わしたとき、ずっと我慢していた感情が一気に溢れ出た。
一所懸命やったが状況を変えることができなかった無念。

己の無力さが情けなかったのと、その日を持って退職をしてもらう2人に対する申し訳なく思う気持ち。

 

悔しくて悔しくて、号泣した。

梅田の真ん中で、僕は声を上げて泣いた。

 

 

翌朝からまた、最後に残された1店舗の売り場に立ちはしたが、精も根も尽き果てていた僕はそれからしばらく病院に通い、毎日点滴を打つ日々を過ごすことになった。


体力を消耗していただけではなく、それからどうやって生きていったらいいのか、まさに途方に暮れる日々だった。
 

 

梅田の店を閉める数日前、配達の帰りに近所の天神橋筋商店街を歩いていたとき、いつも商店街の角に座っている易者が目に入り、フラフラと吸い込まれるように手相を観てもらったことがある。

易者は僕にこう言った。
 

「お前さんは運が強い。

 

今は苦しいけど夜明けは近い。

夜が明ける直前が一番暗いんだよ。

もう少しの辛抱。
 

東の方角から夜が明けてくるように、

お前さんの運勢も東の方角から開けてくる。」

 

彼の言う通りそれからほどなく、それは誰かに導かれるように僕の人生はまさしく東の方角から開けて来た。

 

 

あれから10年。
変わらず1日の休みも取らず、僕は働き続けてはいるがあの頃とは違い、自分が今何をすべきか、今の僕には明確に見えている。

たくさんの人々から支えられて、洋服屋として今もこうして生きていられている。

コロナ危機は大変ではあるが、乗り越えらえない壁ではないと思えるし、むしろチャンスにさえ感じている。
 

 

僕を変えてくれたのは2年にわたって撤退を余儀なくされた屈辱の、あの2つの6月30日のおかげ。
あの日々のことは一生忘れないが、明日7月1日を変わらぬ場所で迎えられることを本当に有難いことだと僕は噛みしめている。