本日から4日間にわたり『根本的に学校教育が間違っている』と題して、貧困国まっしぐらのこの国の現状考察を試みてみようと思う。

 

今の日本(・・)社会(・・)()閉塞感(・・・)総貧困化(・・・・)社会(・・)()高齢化(・・・)進行(・・)(少子化)は「官製」であることにお気づきであろうか?

 

拙ブログをご高覧賜っている読者諸兄姉におかれては「私()は貧困ではない」との声、想いが頭の中に充満していると想像できるが、そう思われていらっしゃる読者諸兄姉も間違いなく「貧乏化」「貧困化」していると思慮できよう。

単に「気がついていないだけ」の方々であり、決して『富裕1』というわけではなかろう。

個人年収で1,000万円を超えていない方々は、その事実を可笑しい/変だとも思わず、「周りも似たり寄ったりだし」「私は至ってフツーの生活を送っているから」と、より深い思考を停止させているだけではなかろうか。

1: 「富裕」を明確に定義できる基準はないが、一般的に「純金融資産若しくは純資産」が “5億円以上の『超富裕層』、1億円以上5億円未満の『富裕層』、5千万円以上1億円未満の『準富裕層』、3千万円以上5千万円未満の『アッパーマス層』”が該当すると考えることができる。

また、個人年収ベースで1,000万円超並びに家庭収入が1,800万円以上ある人たちもまた「富裕」と考えて差し支えないと私は考えている。

 

ほぼ全員、アタマが悪いわけではない。

アタマの使い方を知らないだけなのだろう、と私は推察している。

アタマ/オツムは使えば使うほど、賢くなる【その理由は後程】。

だが、抑々(そもそも)粗々(ほぼほぼ)大多数の人がオツムを使って考えていない、と言っても過言ではないと信じるに足る要素で溢れている。

 

一つ例示をしてみよう、世の中で起きる事象で他の事象と全く関連なく発生する事象はほぼない。

COVID-19の発生から世界的パンデミックに拡大させた原因は政治、政治家/屋にある。

だが、世界の誰一人その責任を取ることもせず、「血税」をドブに捨てるかのように大して効果が期待できないワクチン/薬剤購入2やロックダウン/小売&飲食店の強制閉鎖/休業要請を平然と自国民に強いている(中には“ガーゼマスク”を1戸に2枚だけ配布した、なんとも御目(・・)()()何処ぞの国の宰相もいたな・・・。タマとタラちゃんだけマスクをすれば防げるとでも思ったか?)

発生源との疑念を抱かせているとある大陸本土の国の為政者「クマのプーさん」は、強権発動で事実抹消、隠蔽に必死のようだが。人民の生命よりも面子(めんつ)と外形的成功という勲章の方が大切にされる哀れな人民・・・。

 

話しを元に戻そう、防疫/国防の世界と医療の世界、政治の世界、そして経済の世界が見事なまでにリンクしている、当然のことだが。

日本を含む防疫/国防に失敗した各国の医療機関、医療従事者への過度な負担増により本来助かるべき多くの人の生命を犠牲にしてしまった。

 

また、感染拡大防止を口実に度重なる経済活動の盲目的(・・・)()停止命令/要請(ロックダウン/小売&飲食店等の強制閉鎖/休業要請のこと)と世界規模での人流の完全抑制に躊躇し、爆発的に全世界にCOVID-19をばら撒かせてしまった結果、多数の飲食店および関係食品供給関連店が廃業/閉鎖しなければならない事態に陥り世界各国の「食文化」の継承へ多大なる影響を与えてしまったではないか。

中には「COVID-19は風邪/Flueと大差ない」との暴言を発し、感染抑制にNegativeな行動に走った宰相も複数名現れ無様な姿を晒してしまった人もいる/いた。

結果的に経済活動に与えた打撃の深刻さが大きくなってしまっただけではないか。

2: 大多数が重症化しないは結果論であり、当初よりヴァクチン接種が重症化抑制目的ではなかった。現時点でワクチン接種済者のΟ オミクロン株感染が世界中で多数発生、報告されている事実を、論理的整合性のある理由を明確に説明できる方がいらっしゃったらこの私の立てている仮説が誤りであったと、公式に公開謝罪と訂正をさせていただく。

 

 

話しの焦点を少し変えるが、教師の質と知性の低さ、知識の欠落が児童/生徒を幼稚にさせている。

 

教師が幼稚だから授業がつまらない。

子供が児童/生徒に教えられるわけがない。

「教える」という行動は全てを理解した上で、更に相手に合わせてわかりやすく、時に例え/例示を駆使しながら相手の理解を深める行為だからだ。

 

だが、日本の教育現場では【1+1=2】とだけ教え、[][][]=2を考えさせる授業がない。

拠って児童/生徒はマニュアル暗記同様の「授業/学習」に興味を覚えるはずもなく、「授業/学習」がつまらないから授業中に他行動を起こしているだけではないかと推測している。

しかしながら残念なことに、教育現場の無知/無能な教師/教員たちは自身の幼稚/低知性が原因にも関わらずその責任を児童/生徒に転嫁しているのではないか?

 

大人であっても「つまらない講演会」、「学会、会議/会合」等で中途退席しているではないか。

これが「学校」という空間で起きた途端に「落ち着きがない/集中力がない」とのレッテルを貼り付け、ADHD3とビョーニン/ショーガイシャ扱いをして教員の無知/無能という責任を児童/生徒になすり付けているだけではないか?

3 ADHD: Attention-deficit (注意 欠落/欠陥)/Hyper-activity Disorder(多動性 障害)の略称。『注意欠陥・多動性障害(ADHD)とは発達障害の一種(・・)()病気(・・)です。』とまでHP上で言い切ってしまう医療機関があり、その無責任さと無知さに益々現代医療への不信が増している。

 

無能な教師に加えその教師を一歯車として酷使し、使い捨てしている教育組織と行政組織もまた、無知/無能な者の集まりではないか2021年11月18日ポスト分『誰のための国家、行政組織なのか?』を参照】

無知/無能が良くもまあこれだけ揃うものだ、と感心するばかりである。

 

 

さて、本日この記事を記述するに至ったキッカケだが、最近「読書の虫」化している私なのだが、昨年「心の病はこうしてつくられる 石川憲彦氏 高岡健氏共著 批評社 20066月刊(対談形式本)」を拝読して、本書著者で医師の石川憲彦氏の言葉「セルフエスティーム論4」にドキッとさせられたからだ。

 

 

抑々(そもそも)、セルフエスティームとは“日本語に訳すと、「自尊心」または「自尊感情」です。 自尊心や自尊感情というと、一般的には、自惚れや傲慢と考えられがちですが、心理学上の「自尊心」「自尊感情」はそれとは全く異なる意味で用いられています。 つまり、自分自身を大切に思う感情を意味します。 自己肯定感と言っても良い恵泉女学園大学 人間環境学科HP セルフエスティーム より転載】”ものであり、自分自身の存在価値を自認し、大多数の日本人の極度な自己卑屈/卑下感情を正して自信を持たせる原動力となる感情というべきものだと私は解釈をした。

“『自分を認め、肯定できる感覚。自分が有能であるといういわゆる自信と、自分に価値があるという自尊の2つの要素』といえ5”るそうで、単純に『自尊心』のことを指す言葉として使われている。

Self-Esteem セルフエスティームとそのまま使われるようにもなってきているようだ。

Self-Esteemを要素分解すると“Self=自分(自身)”、“Esteem=尊敬/尊重”で「自分を尊敬/尊重する」=「自尊()/自己肯定」との意味を持つ言葉である。

『自尊心(じそんしん)とは、心理学的には自己に対して一般化された肯定的な態度である。

英語のままセルフ・エスティーム(: self-esteem)とも呼ばれる。

ここでは社会心理学における自己の概念に関して、育み維持される自己評価や、あるいは「ありのままの自己を尊重し受け入れる」態度とする。

多くの研究者によって自己肯定感は人格形成や情緒の安定のために重要であると考えられており、自尊心はそのためには必要な感情であるとも言える。

自尊心とは、他人からの評価ではなく、自分が自分をどう思うか、感じるかである。

つまり、一時的に快感を与える、知識、技術、財産、結婚、慈善行為や性的な征服、容姿から生まれるものではなく、言い換えれば、外に求めることでも、人に与える印象でもない。

競争でも比較でもなく、自尊心の重要な原因は自分とも他人とも戦っていない状態である。

その起源には、幼いころに大人から尊重され、価値を認められたか、励まされたかといったことがある。

しかし、最も重要な影響があるのは、自分自身で選択したということである。

言い換えれば、自分の可能性を実現したいという気持ちから、生き方を変えるということから自尊心が育まれていく。

自尊心は、自分が有能であるといういわゆる自信と、自分に価値があるという自尊の2つの要素から成り立っている。

研究者によれば、自尊心の欠如は、不安、憂鬱、恐れ、アルコールなどの乱用、成績不振、暴力や虐待、自殺などにかかわっている。Wikipedia【自尊心】より抜粋転載

と定義されている。

4: セルフエスティーム論

石川憲彦氏の唱える「セルフエスティーム論」は、他者に害悪を与えない一般社会的には不都合/不適格行為/行動と捉えられる行動(例示:NEET/引き籠り、汚部屋等々)に対して、「自尊心が低いから」「自己肯定感が低いから」等々の理由をつけてその人物の価値を相対的に引き下げさせている、というもの。

 

次回に続く