フジテレビのノイタミナ枠で
9日の25:20から放送された
『乱歩奇譚 Game of Laplace』
第2話「人間椅子(後編)」
ライブで観ました。
以下、ストーリーや演出に
ちょいと触れております。
未見の方はご注意ください。
前回の最後で
警察に捕まったコバヤシ少年は
ハシバにあることを頼みます。
それは犯人に罠をかけることで
被害者である担任教師の携帯電話を
教室で発見させることでしたが
それを犯人が取りにいったところで捕縛
という流れでした。
ただ、そのケータイは偽物で
にもかかわらず
犯人が回収しにいく
というのが
今思うと解せないのですが……
だって犯人なら
その本物の存在は知っていただろうし
(だから偽物には引っ掛からないのでは?)
知らないのなら
本物は、実際はどこにあるのか
物語上
説明すべきではないでしょうか。
今回の真犯人判明の場面では
誰なのかが明らかになった時に
コバヤシにとっては
影のようだったキャラが
実体化する
という演出でした。
犯人を追いつめるとき
犯人しか知らない知識を
容疑者が持っていたことを
指摘するという
うっかり発言の伏線は
お約束ですけど
その発言は
犯人だと知ってみなければ
伏線として前掲化しないわけで
なるほど
伏線だと気づいたら実体化する
という
前回書いたような演出は無理かあ
とか思ったり。
コバヤシ少年が逮捕され
それがニュースで流れた際に
いろいろな各界文化人のコメントが
インサートされましたけど
そのひとつ
「子どもは宝です。
もっと配慮していただかないと」
とコメントする
教育学博士(Ph.D)
アムネスティ・シャン氏
というのは明らかに
アグネス・チャンを模していますね。
こういう識者のコメントは
テレビではお馴染みですし
(たぶん。ニュース観ないから分かりません)
そういう通り一遍の表面的な理解では
いけないんだと
作り手は
いいたいのかもしれませんが
ファンとしては
なんかイヤな感じで。
あと、検死の結果を
「3分間ショッキング」
と題して
女の子キャラ(南検死官)と
人形(死体くん)とで
解剖やら何やらを
コミカルに表現してました。
作った方は
洒落た演出だと
思っているのかもしれませんが
ジョークで流せば
いいというものでも
ないのではないかしらん。
人形になら
なんか残酷なことをしてもいい
みたいな感じは
子どもの人形遊びを連想させ
意外と乱歩テイストなのかもしれない
とは思うものの……
深夜アニメでも
血の規制が強いことは
『吸血姫美夕』の例で
知ってましたし
今回は乱歩原案作品ですから
そこらへん苦労するんだろうなあ
と思ってましたが
割とスッと描いているのが
ちょっと意外でした。
これに限らず
今回のアニメは
証言による再現の場面や
謎解きの場面など
単調にならないよう
演出で頑張っていると思います。
それを面白いと思うかどうか
それは人それぞれですが(苦笑)
それにしても今回の「人間椅子」は
エド・ゲイン的なオブジェとして
イメージされているようですが
動機はかなり違うふうな描かれ方でした。
愛する存在は椅子に変えれば
ずっとそばにいられる
被害者も犯人を愛していたから
進んで殺された
というようなことを
コバヤシ少年が
嬉しそうに(楽しそうに?)
説明してましたけど
それが何体もあるというのは
少なくとも犯人の側は
「愛」の名に価しないような気が……
一人の人間を椅子にしたら
別の人間を愛して
また椅子にするというのは
単なるサディズムの現れでは
ないのか知らん。
今回の真犯人の想いが想いだけに
愛の美談みたいになってましたけど
こういう理解も
テレビのコメンテーターと同じ
表層的なもののような気がしてなりません。
もっとも
コバヤシ少年や
真犯人が誤解していただけで
人間椅子の製造者は
単なるエゴイストの
サディストなのかもしれませんけどね。
あと、真犯人の正体や
あのオチは
いろんな意味で
リアリティに欠けてますが
アニメだからいいのかな。
(こういう言い方をされるのが
アニメ制作者には
いちばんイヤなことかも
知れないのですけどね)
それにしても
乱歩を映像化すると
どうしてこうなっちゃうんでしょう……
とかいいながら
来週も観ますけれども。
この程度の改変には
慣れちゃいました。( ̄▽ ̄)

9日の25:20から放送された
『乱歩奇譚 Game of Laplace』
第2話「人間椅子(後編)」
ライブで観ました。
以下、ストーリーや演出に
ちょいと触れております。
未見の方はご注意ください。
前回の最後で
警察に捕まったコバヤシ少年は
ハシバにあることを頼みます。
それは犯人に罠をかけることで
被害者である担任教師の携帯電話を
教室で発見させることでしたが
それを犯人が取りにいったところで捕縛
という流れでした。
ただ、そのケータイは偽物で
にもかかわらず
犯人が回収しにいく
というのが
今思うと解せないのですが……
だって犯人なら
その本物の存在は知っていただろうし
(だから偽物には引っ掛からないのでは?)
知らないのなら
本物は、実際はどこにあるのか
物語上
説明すべきではないでしょうか。
今回の真犯人判明の場面では
誰なのかが明らかになった時に
コバヤシにとっては
影のようだったキャラが
実体化する
という演出でした。
犯人を追いつめるとき
犯人しか知らない知識を
容疑者が持っていたことを
指摘するという
うっかり発言の伏線は
お約束ですけど
その発言は
犯人だと知ってみなければ
伏線として前掲化しないわけで
なるほど
伏線だと気づいたら実体化する
という
前回書いたような演出は無理かあ
とか思ったり。
コバヤシ少年が逮捕され
それがニュースで流れた際に
いろいろな各界文化人のコメントが
インサートされましたけど
そのひとつ
「子どもは宝です。
もっと配慮していただかないと」
とコメントする
教育学博士(Ph.D)
アムネスティ・シャン氏
というのは明らかに
アグネス・チャンを模していますね。
こういう識者のコメントは
テレビではお馴染みですし
(たぶん。ニュース観ないから分かりません)
そういう通り一遍の表面的な理解では
いけないんだと
作り手は
いいたいのかもしれませんが
ファンとしては
なんかイヤな感じで。
あと、検死の結果を
「3分間ショッキング」
と題して
女の子キャラ(南検死官)と
人形(死体くん)とで
解剖やら何やらを
コミカルに表現してました。
作った方は
洒落た演出だと
思っているのかもしれませんが
ジョークで流せば
いいというものでも
ないのではないかしらん。
人形になら
なんか残酷なことをしてもいい
みたいな感じは
子どもの人形遊びを連想させ
意外と乱歩テイストなのかもしれない
とは思うものの……
深夜アニメでも
血の規制が強いことは
『吸血姫美夕』の例で
知ってましたし
今回は乱歩原案作品ですから
そこらへん苦労するんだろうなあ
と思ってましたが
割とスッと描いているのが
ちょっと意外でした。
これに限らず
今回のアニメは
証言による再現の場面や
謎解きの場面など
単調にならないよう
演出で頑張っていると思います。
それを面白いと思うかどうか
それは人それぞれですが(苦笑)
それにしても今回の「人間椅子」は
エド・ゲイン的なオブジェとして
イメージされているようですが
動機はかなり違うふうな描かれ方でした。
愛する存在は椅子に変えれば
ずっとそばにいられる
被害者も犯人を愛していたから
進んで殺された
というようなことを
コバヤシ少年が
嬉しそうに(楽しそうに?)
説明してましたけど
それが何体もあるというのは
少なくとも犯人の側は
「愛」の名に価しないような気が……
一人の人間を椅子にしたら
別の人間を愛して
また椅子にするというのは
単なるサディズムの現れでは
ないのか知らん。
今回の真犯人の想いが想いだけに
愛の美談みたいになってましたけど
こういう理解も
テレビのコメンテーターと同じ
表層的なもののような気がしてなりません。
もっとも
コバヤシ少年や
真犯人が誤解していただけで
人間椅子の製造者は
単なるエゴイストの
サディストなのかもしれませんけどね。
あと、真犯人の正体や
あのオチは
いろんな意味で
リアリティに欠けてますが
アニメだからいいのかな。
(こういう言い方をされるのが
アニメ制作者には
いちばんイヤなことかも
知れないのですけどね)
それにしても
乱歩を映像化すると
どうしてこうなっちゃうんでしょう……
とかいいながら
来週も観ますけれども。
この程度の改変には
慣れちゃいました。( ̄▽ ̄)
