
(2011/羽田志津子訳、ハヤカワ・ミステリ、2012.11.15)
ジェイン・オースティンという
イギリスの女性作家に
『高慢と偏見』(1813)という
長編小説があります。
イギリスの上層中産階級
(アッパー・ミドル・クラス)の
下の方に属する家庭の女性が
上の方に属する男性と
結ばれるまでを描いた
風俗小説 novel of manners です。
ハヤカワ・ミステリのオビには
「ロマンス小説の古典」とありますが
まあ、今はそうも
捉えられているのでしょう(苦笑)
P・D・ジェイムズの作品は
『高慢と偏見』で描かれた事件の
六年後(1803年)という設定で、
『高慢と偏見』の最後に結ばれた
エリザベスとダーシーの住む
ペンバリー館で殺人事件が起きる
というお話です。
これは『高慢と偏見』を読んでないと
楽しめまい、と思って
古本で(古本で?)買っておいたのを
読んでから、ジェイムズの方を読みました。
読んだのはこちら。

(小尾芙佐訳、光文社古典新訳文庫、2011.11.20)
岩波文庫版も買ってあったんだけど
(もちろん古本でw)
新しい訳の方がいいかなあと思いまして。
もちろん(もちろん?)初読です。
オースティンの小説の感想から書いとくと
前半は、物語が転がらない感じで
やや退屈でしたが
中盤の、エリザベスが
ダーシーの求婚を拒むあたりから
面白くなりました。
エリザベスの下の妹リディアが
駆け落ち騒ぎを起こすあたりは
谷崎潤一郎の
『細雪』(1944~48)を連想したり。
ダーシーの変貌に
やや説得力が感じられない気はしたものの
そこそこ楽しく読み終えることができました。
P・D・ジェイムズの続編を読んでいると
オースティンの小説の端々が思い出され
それで、まあ何とか
読み終えられた気がしないでもありません。
ジェイムズの小説を読み終えて思ったのは
何で今さらこういう話を書いたんだろう
ということでした。
P・D・ジェイムズのミステリは
そもそもトリッキーな面白さや
フーダニットの巧みな構成や
どんでん返しを楽しませる
といったていのものではなく
人物描写や視点の新しさで
読ませるタイプの作品です。
そのジェイムズが
19世紀を舞台に
19世紀のキャラクターを書くのは
おかしくないような気もしますが
それなりの意味を考えたくなるわけで。
本作品は、いわば時代ミステリです。
法廷シーンがあり
有罪が決定したところで覆されるという
雪冤のストーリーですので
たぶんセンセーション・ノベルのパターンを
踏まえて書かれているのだと思います。
ただ形式的にそうだというだけで
19世紀を舞台にすれば
そうならざるを得ないだろうなあ
という感じしかしませんでしたけど。
現代のミステリ作家が書くのであれば
真相に至るまでに
何らかのひねりやサプライズを
加えてほしいところなんですが
ジェイムズはあまり気にしていないようです。
ではジェイムズが書きたかったのは何なのか。
ひとつには、まだ
スコットランド・ヤードも存在しない時代の
警察(的存在の)捜査のありようや
裁判のありようを
リアルに書いてみたいという
作家的欲望があったのかもしれません。
そこらへんが、時代ミステリっぽさを
感じさせるところでもあります。
もうひとつは、
『高慢と偏見』が上層中産階級の
家庭内のお話にとどまっているのに対し
もう少し社会的なものを絡ませたかった
という狙いがあったのかもしれません。
ジェイン・オースティンの小説には
下層階級が登場しないという
批判もあるようなので
下層階級を登場させやすいように
犯罪を絡ませたらどうだろうと
思ったのかもしれません。
仮に、オースティンのパスティーシュを
やりたかったのだとしても
残念ながら、ジェイムズの小説は
ユーモアの要素がほとんどなく
オースティンには及んでいない
というのが正直な感想です。
『高慢と偏見』は、特に前半は
翻訳で読んだ限りでも
割とユーモアがあったような気がします。
唯一、面白かったのは
66ページで
「これが小説だったら、
もっとも才能ある作家ですら、
そんなに短期間に
高慢が抑えこまれ、
偏見が克服されたことを
説得力をもって描けただろうか?」
と書いているところ。
上にも書いた
『高慢と偏見』におけるダーシーの変貌を
称賛しているようにも読めるし
皮肉っているようにも読めますので。
あと、これは
原作の責任ではありませんが
全体的に訳注が少ない。
157ページに出てくる
「ウルストンクラフト夫人」には
訳注が欲しいところです。
ウルストンクラフト夫人こと
メアリ・ウルストンクラフトは
当時の女権論者。
夫は、思想家(アナーキスト)で
『ケイレブ・ウィリアムズ』(1794)の作者
ウィリアム・ゴドウィン。
二人の間の娘が、後に
詩人シェリーの妻となり
『フランケンシュタイン』(1818)を書いた
メアリ・シェリー
だということは
Wikipedia で簡単に調べられるから
省いたんでしょうか?
そんなん、調べる人も
パッと分かる人も、少ないでしょうに。
せめて、18世紀の女権論者だ
という註がないと
「ウルストンクラフト夫人の
弟子になる必要はなく、
女性は自分に関わりのあることに
意見を口にしてもいいはずです」
という台詞の意味が
分からないと思います。
少なくとも自分は
調べないと分かりませんでした……
この小説を書いた時
P・D・ジェイムズは
御年91歳だったそうです。
これが最後の作品になるのか
まだ新作が出るのかどうか。
うーん( ̄▽ ̄)