$圏外の日乘-『貴婦人として死す』(HM文庫版)
(1942/小倉多加志訳、ハヤカワ・ミステリ文庫、1977.3.31)

ちょっと必要かなと思って
久しぶりに読み返しました。


カーター・ディクスンというのは
ジョン・ディクスン・カーという作家の
別名義です。

『貴婦人として死す』は
もともとはハヤカワ・ミステリ
通称ポケミスの1冊として
1959(昭和34)年に訳されたもので、
1977(昭和52)年に文庫化されました。

文庫が出たとき買って、すぐに読んだか、
しばらくしてから読んだか、
ちょっと記憶が曖昧なんですが、
読もうと思ったきっかけは
お気に入りのミステリ作家である
故・都筑道夫が傑作だといった作品だから
ということではなかったかしらん。

でも、最初に読んだ時は
ふーんという感じで、
あまり感銘を受けなかった記憶があります。

なんでだろうなあ。


断崖から飛び降りて
心中したと思われた男女二人の死体が上がり
実は至近距離から射殺されたことが判明。
ところが断崖の外れまで残されているのは
死んだ二人の男女の足跡のみ。
その足跡はきわめて自然で
一人が靴を履き替えて後ろ向きに歩いた
といった体のものではなかった
という不可思議な状況をメインとした作品です。

この足跡トリックの解明は
シンプルで見事だと思いますが
それだけで持っている作品ではなく、
いろいろな要素が絡み合ったフーダニットですので、
まあ、トリック好きではあっても
原理より現象面に興味を持つ程度でしたし、
かてて加えて、人生の機微に疎い高校生にとっては
さほど面白味が感じられなかったのでしょう。


今回、読み直したのは
この作品が事件関係者の手記の形を採っている
ということを知ったからです。

そんな設定だったことは
当然ながら、すっかり忘れていたので(^^;ゞ
何か意味でもあるのかと
慌てて読み直した次第です。

そしたら、まあ
それなりに意味があったので
ちょっと勉強になりました。


それと、心中したことになっている
被害者の女性の心理的な機微が
カーにしてはよく書けている方でして
(カーは女性を書くのが下手だと
 いわれることが多いのですw)
ここらへんは田舎の純朴な(?)高校生には
分からないだろうなあ、と(苦笑)


ところで、上にアップした写真は
文庫版の初版のカバーです。

ハヤカワ・ミステリ文庫に収録された
ディクスン・カー作品のカバーは
初期の泥臭い(と個人的には思う)イラストを
しゃれた(と個人的には思う)ものに
改めましたことがありましたが、
(ということは再版されたということですね)
『貴婦人として死す』も改められたのかどうか
ちょっと記憶にありません。

このところ創元推理文庫から
ディクスン・カーの新訳が続々出ていますし
ハヤカワ・ミステリ文庫の方でも
『火刑法廷』(1937)という名作が
新訳されましたけど、
『貴婦人として死す』のような地味めの秀作は
かえって簡単に入手できないようでして。

残念なことです。