$圏外の日乘-街場のメディア論
(光文社新書、2010年8月20日発行)

内田樹の新刊が出たことを知ったので、
日曜日、音羽に行く途中に急いで買いました。

だってまた、『日本辺境論』の時のように、
出たばかりなのに2刷、3刷しか店頭になくて慌てる、
なんてことになりたくないので(苦笑)

雑誌『小説宝石』の広告によりますと、
どうやら「注文殺到で発売前重版」のようだし。

「街場の~」シリーズは
たぶん最初から買ってるんじゃないかな。
毎度毎度おもしろく読んでますが、
今回のも面白い。

メディア論です。
マスコミの功罪とかだけじゃなくて、
iPad などの電子メディアの登場で
紙の本がどうなるか、という話もしてます。

これはこれまでの本にない話題で、
なかなか面白かったです。

いつの頃からか忘れましたが、
内田樹が議論する時の最近のポイントは
市場原理に委ねてはならないものを
市場原理で語ろう・理解しようとすることから
負のスパイラルに陥る、というものです。
(内田樹の教育論のキモは、ずーっと、これ)

この論点から、メディアを論じているのが本書
ということになるのですが、
市場原理でなければ、どのような構造が
メディアを支えている原理なのか、といえば
フランスの構造人類学者レヴィ=ストロースのいう
贈与・交換モデルだ、というのには
いろんな意味で意表を突かれました。

レヴィ=ストロース、懐かしいです。
構造主義という思想が流行ったころ、
さんざん聞かされた名前でした。
自分は橋爪大三郎の
『はじめての構造主義』(講談社現代新書、1988)
で啓蒙されたクチですが、
内田樹にも
『寝ながら学べる構造主義』(文春新書、2002)
という本があります。

内田樹の本は未読ですが(【^^;ゞ
でも、買ってはある。
この、買ってはある、ということの意味が、
紙の本の意味・意義だという論も展開されてます。

この議論は、めったやたらと本を買う人間としては
ちょっと嬉しかったなー(藁

あと、著作権の話が面白かった。
著作物そのものに、あらかじめ価値が内在している
わけではなくて、それを受け取る(読む)人がいて
価値が生じるはずなのに、
今の著作権をめぐる議論はそこが考慮されていない。

というような論旨なのですが、
印象的だったのは、
「ものを書く人間は待たなければならない」(p.187)
というフレーズでした。

これはいろいろ考えさせられましたですね。

あと、ブログについても論じられていて、
ブログに(ブログで)書くことの意味
みたいなことについて、改めて蒙を啓かれた感じです。

『街場のメディア論』で展開されている議論は、
自分がなぜブログでイベント・レポを書いているのか、
なぜペタをつけたりコメントをつけたりしているのか、
ということに当てはめてみることもできて、
なかなか示唆的でした。

そうか、自分がやっているのは
そういう意味があったのか、と
あらためて感じ入ったのでした。

まあ、「注文殺到で発売前重版」だそうですから、
改めて書く必要もないのかもしれませんが、オススメです。

ちなみに、なぜ改めて書く必要があるのか、は
この本を読めば自ずと明らかになります(笑っ