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昨日ヤフオクに出品し、落札されたノーラベルオールドを発送しました。
梱包する前に木製ケースに入れ、さようならと心の中で言ったのだが、
まるで。葬式での別れのような気持ちだった。

この楽器自体悪くはなく、私の感性が変化し、物足りなくなったのが、
手放した原因だ。GelasやEgildoなど弾いていると、軽く
て音量も劣るのだ。重厚でパワーのある楽器に慣れすぎたのだ。
例えて言うなら、バーボンの甘い味を長く楽しんだ後、スコッチを飲
んで、ひどく苦く感じると同じだ。もし、長期間Gelasなど弾か
なかったら、あるいは出会わなかったら、こんな事にはならなかった
ろう。

いずれにせよ、この楽器と別れるのだが、考えてみれば、いずれは皆
愛器と別れる運命にあるのだ。
それは自分自身の「死」だ。
これは逃れられない現実だ。
若い人は、実感しないだろうが、今年の震災体験から見れば、死は無
条件に誰にでも忍び寄るものなのだ。
だから、自分の死後の愛器の行く末を考えておく必要が誰にでもある。

私は今まで何台も未調整のオールドを収集してきましたが、いつも思
う事があります。「きっと元の所有者が見たら嘆くだろうな」と、、。
ネックが曲がったり、表板が湾曲していたり、割れてたり、リブが剥が
れていたり、埃がこびりついて黒ずんでいたり、胴の中にくもの巣がは
っていたり、、、、。こういう楽器はたいがい黒く錆びた弦が張ったま
まで、元の所有者がこの世から亡くなって何十年も経過していると推測
できるものです。
恐らく第二次世界大戦後は一度も弾かれていないのでしょう。
戦争に行く為に、大好きな楽器と別れなければいけなかった人もいるで
しょう。そう思うと切ないものがあります。

ところで、弾き手がいなくなって何故こんな状態になるのでしょう?
恐らく遺族の人は、マンドリンに興味がなかった人に違いありません。
特に大戦後は、音楽の嗜好もアメリカンナイズされ、マンドリンも欧米
では下火になりました。家にあるから弾いてみようなぞ思う人もいなか
ったのです。遺族にとっては、遺品であるマンドリンはただの「物」に
しかすぎなかったのです。しかも何の役にもたたない「最下位の物」。
だから、屋根裏部屋の埃だらけで雨漏りもするような所にでも置かれた
のです(しかも弦が強く張られたままで)。
そのような環境では、上に述べた状態になるのは当たり前です。

もし仮に所有者が長生きして、今も生きて現役で弾くような人だったら、、
(そんな長生きの人はいるはずはないが)、
楽器はもっと良い状態であったはずです。少なくとも埃まみれにならぬ
よう湿気を与えないよう注意はしたはずです。

だから、愛器は自分の死後に、即座によろこんで弾く人に譲るようにす
るべきなのです。家族に弾く人がいればいいが、今時少ないでしょう。
何も家族に依頼しないなら、死後は「物」扱いで、今のオールドマンド
リンと同じ運命になるに違いありません。他人事ではないのです。
特に何十台もお持ちの人はよく考えておく必要があります。

オールドマンドリンの愛好家でも、楽器店で修理調整された楽器を買わ
れる方は、こんな事は毛頭考えないでしょうね。
惨めな姿を見慣れた私だからこそ、マンドリンの将来を案じ、このよう
な話をしたのです。どうか皆さん自分自信に置き換えて考えてみてくだ
さい。
特にマンドリン愛好家の大半を占める中高年の方、「自分がマンドリン
を弾けるのもあと何年か」よく考えましょう。

でも、ここで問題があります。喜んで譲り受け弾いてくれそうな若手が
少なくなっているのです。一人の人に何十台も押し付ける訳にはいきま
せん。もっと若いマンドリン愛好家を増やさねば、今ある楽器の行き場
はなくなってしまいます。

オールドマンドリンはもちろん、最近製作された日本の楽器やカラーチェ
も50年後100年後に惨めな姿にさせてはいけないのです。

マンドリン音楽の復興がどれだけできるか?
地道な活動をすれば、きっとマンドリンに目を向けるような時代が来る
と私は信じているのですが、、、、

そうそう忘れてましたが、しばらく楽器を使わない予定なら、弦は緩める
べきでしょう。もし万一自分がいなくなったら、、、弦を張りっぱなしに
していたら、恐らくそのままになるでしょう。しかも、そのまま放置され
ぱなしにされたら、ネックは曲がり、リブや表板に圧力が加わり、割れや
ゆがみにつながります。弦は張りっぱなしの方が良いと言う人もいますが
私は緩めるべきだと思います。