サロマ湖近くの湧別町に住んでいた頃、紋別まで原付スクーター(50㏄)で行ったことがありました。
30kmほどの距離なので1時間くらいで着く距離です。
紋別市内に入ってからは、慣れない道でどこを走っているか分からなくなり、気が付くと旧渚滑(しょこつ)駅前あたりに出ていました。
既に鉄道は廃線になっているのですが、蒸気機関車が展示してあり、信号の掲示板も渚滑駅前の表示のままとなっていました。
昔あった駅前と思われるところには、食堂1軒と隣接してライダーハウスがありその時は「こんなところにもライダーハウスがあるんだ」としか思っていませんでした。
そして数年後、稚内に転勤になり、宗谷岬から網走方面に繋がっている国道238号線をバイクで走っていた時です。
宗谷岬を出て数キロ走っていると左手にボロい木造の小屋が目に飛び込んできました。
おそらく宗谷岬から時計回りで北海道ツーリングをしているライダーも必ず目に入っていると思います。
これです。
壁には何か文字が書いてあります。食堂とライダーハウスの案内のようです。
なんとなく読めるのは「ライダーの宿 ライダーチャリダー共和国」「ライダー定食 はたの食堂」 「旅の写真展」と書いてあるように見えます。
最初、この小屋がライダーハウスかと思いましたが、どう見ても違うのでただの案内看板のようでした。
ただ、この看板は住所が書いてないので、このライダーハウスと食堂がどこにあるのか分かりませんでした。
はたの食堂とライダーチャリダー共和国のキーワードで調べるとあっさり場所が分かりました。
紋別の渚滑にあるということが。
ん、紋別、渚滑!?
そこで思い出しました。数年前迷い込んだ渚滑にあったのがはたの食堂とライダーチャリダー共和国というライダーハウスだったことを。
そのライダーハウスまでは約180kmも距離があるこの場所に看板を設置していたということは、それだけ宗谷岬を見たライダー達が利用していたということがうかがえます。
気になったので、現在の様子をグーグルマップで見てみました。
食堂もライダーハウスも解体されてなくなっています。
調べてみると2017年頃閉業したようです。
もし宗谷岬近くのあの小屋と看板がまだ残っているのなら、その看板は案内する場所がなくなっても、はたの食堂やライダーチャリダー共和国を案内し続けている、何か切ない感じがします。



