(再録)中村彰彦「闘将伝(小説 立見鑑三郎)」(角川文庫・740円+税) | 野球少年のひとりごと

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(再録・2022.2.6既出)

午前中、娘夫婦一家は孫娘たち(小学4年生の双子)の進学塾入塾テストで、朝から出かけている。その進学塾(大阪では有数の)にはわたしの次男も娘も中学時代にお世話になったところで、娘は高校生になってからも通い続けた。お陰で、高校も大学も希望通りのところに進学できた。隣に住む次男夫婦一家のところの長男も中学3年間をそこで学び、先日は府立高校との併願校である和歌山県の私学を受け通った、今週末には大阪の私学を受ける予定である。その弟(小学6年生)も5年生からそこへ通っている。もう一人いる孫(堺に住んでいる長男夫婦のところの春から小学1年生になる)は別として、当地に住む4人は早くも受験期に差し掛かってゆくわけである。まあ最終的に大学は、関西4私学のどこか(それぞれの両親同様に)入れば充分であるが。わたしも中学時代は教員である叔父のところに3年間通い、高校時代も父の友人である高校の英語教師の家に週に2回くらい通わせて貰ったが、サボることばかり考えていてほとんど効果があったとは言えない。高校時代だけでももう少し勉強していたらと考えることがあるが、そのことで人生が大きく変わったかというと何とも言えない。絵描き(その頃、一応著名ではあったがそう絵が売れていたわけではない)の父が、当時(大学進学率が20%に満たない時代)わたしを含む3人の子供を大学(弟は東京の法政、妹も4年制の)にやってくれたことは、いま考えても凄いことだったと思う。わたしも子供に教育だけはと思い、いちばん下の娘も含め大学にやった。父と比べたら経済的に余裕があったが、長男次男が同時に大学に通った(どちらも私学で)2年間は、学費でボーナスのすべてを使ったらしい(女房の話です)。それにしても、孫達の受験が始まりつつあるのは少しだけ感慨がある。

 

本の話である。中村彰彦「闘将伝(小説 立見鑑三郎)」(角川文庫・740円+税)、「明治新選組」(角川文庫・485円+税)の2冊のことを。いずれも、幕末から明治にかけてが背景のものである。中村彰彦は時代小説作家としても重要なひとりで他にも、(☆☆)が「その名は町野主水」、(☆)が「眉山は哭く」「海将伝」「鬼官兵衛烈風記」「保科肥後守お耳帖」など、見るべきものが沢山ある。

 

「闘将伝(小説 立見鑑三郎)」 佐幕派最強と謳われた桑名藩雷神隊を率いて戊辰戦争を戦った立見鑑三郎。鳥羽伏見から越後口まで転戦し、冷静な分析、的確な判断、大胆な攻撃で劣勢を勝ち戦(いくさ)に転じさせた名将である。温和な物腰に武士の気概を併せもち、官軍を相手に一歩も退かなかった。戊辰戦争で親しい友と実弟を亡くした鑑三郎は、維新後、叛徒の汚名を雪(そそ)ぐべく西南戦争で新撰旅団を率いて采配を振るう。その後、日清・日露の両戦役でも用兵に優れた才を発揮し、陸軍大将にまでのぼりつめた。/不屈の闘志で激動の人生を疾駆した男の生涯を雄渾(ゆうこん)な筆致で描く歴史長編!

 

   

 

「明治新選組」 明治五年初冬、浅草蔵前(くらまえ)の裏長屋の一室に、男が居を定めた。函館五稜郭(はこだてごりょうかく)で降伏し、新島(にいじま)に終身刑で送られていたものの、思わぬ赦免状(しゃめんじょう)で江戸に移った相馬主計(そうまかずえ)である。彼は常陸笠間藩(ひたちかさまはん)を脱藩して新選組隊士となり、鳥羽伏見(とばふしみ)戦争後、各地を転戦、土方歳三(ひじかたとしぞう)の戦死後は新選組隊長を名のっていた。だが、先に逝った者たちを想いつつ日々を過そうとした主計には数奇なめぐりあわせが待っていた―。/第十回日本エンタテインメント小説大賞を受賞した表題作をはじめ、歴史の闇に埋もれた志ある男たちの姿を描き出す気鋭の傑作歴史小説集。

 

   

 

写真は、東山丘陵で撮影する。