谷沢永一「読書の悦楽」(PHP文庫・476円+税) | 野球少年のひとりごと

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また、父・洋画家「仲村一男」の作品を毎日紹介しています。

午前中、月参りで岸和田の西方寺さんが来られる。いつものように法然上人の「一枚起請文」を含む「浄土宗日常勤行集」を唱えていただく。私たち夫婦も経文を見ながらであるが唱和する。読経後に、先月の月参り時に、わたしが風邪(8度3分の熱発で)で欠礼したことに話が及ぶ。西方寺さんは30年間風邪をひいたことがないとのことで、強く生んでくれた両親に感謝していると仰られた。毎日(以前に、檀家が300軒ほどあるとお聞きした)月参りで10軒前後まわられているわけで、身体が弱かったらどうしょうもないにしろ素晴らしいことである。私より5歳年下なので72歳になられたのだと思うが、せめて80歳までは月参りにいらして欲しいものである。その旨をお伝えしたら滅相もないというような口ぶりであったが、私の正直な願いでもある。それまでこちらも夫婦して心身とも健康でいる必要があるが。矍鑠としてまず80歳を、そして85歳を迎えたいものである。

 

本の話である。久し振りに谷沢永一のものを読みたくなって本箱を確かめると、未読のものが十数冊出てきた。これまでに92冊読了していて、いちばんたくさん読んだ著者(野坂昭如が82冊でこれに次ぐ)である。私の学生時代に文学部国文科(私は新聞学科)の助教授で、一般教養の「日本文学」と「文学概論」を履修することでその名を知った。4年間を通じて最も刺激的で面白かったのが谷沢さんの講義で、これは群を抜いていたと思う。「大正期の文藝評論」(塙書房、1962年/中公文庫、1989年)、「近代日本文学史の構想」(晶文社、1964年)、「明治期の文芸評論」(八木書店、1971年)などの専門書で気鋭の学者としての評価は高かったようであるが、1974年に刊行の「署名のある紙礫:私の書物随筆」(浪速書林)から書誌に裏付けられた独特の(辛口)の書評で世間にその名を知られることになった。書評集のいずれもがたいへん刺激的であり、その中の「紙つぶて」シリーズを集成した、「紙つぶて(自作自注最終版)」(文藝春秋・5000円+税)は大部のものであるが、一読の価値は充分にあると思う。今日は、「読書の悦楽」(PHP文庫・476円+税)とともに紹介する。刊行年は、「紙つぶて(自作自注最終版)」が2005年、「読書の悦楽」が1998年(単行本は1994年)。

 

「読書の悦楽」 毎日、店頭にあふれるほど刊行される新刊書のなかから、なにを、どう選んで読めばよいのか?図書費をおさえつつも、できるだけ幅広い分野の書物に目を通しておきたいが、なにかうまい方法はないものか?本読みプロ・谷沢永一が経験的に得た“読書の手口“を明かした「雑学的序説」ほか、「読まねばソンする二十五冊」など、活字好きなら誰でも知りたい読書の智恵・読書の楽しみ方を公開。

 読書の本筋は雑読である。雑読学とは型通りに言うなら、即ち“読書の方法“。読書に一般的方法などあり得ないから、もちろん我流の“手口“を語るしかない。つまり私は今まで右往左往しながら結局こんな頼りない“手口“で本を読んできましたという及び腰のキザな告白論。また、新刊古書あわせて書肆(しょし)に“膏血(こうけつ)をしぼられ“続けながら、書籍費をなんとかスムーズに手に入れること、こればかりに苦労して来た半生をふりかえっての苦い体験談である。(本書「雑学的序説」より)

 

   

 

「紙つぶて(自作自注最終版)」 希代の絶品書評コラム全455篇がすべてに書下ろし自注を加えた最終版。愛書家の真情あふれる情熱と執念の書、堂々完成。向かうところ敵なし。

 

   

 

「フランス」で描いた色鉛筆と水彩によるスケッチから

「洋画家 仲村一男」のホームページ

 http://www.nakamura-kazuo.jp/