【神道つれづれ 109】

※R4.11発行「社報」251号より

 

先月、Eテレ「100分de名著」という番組で、折口信夫の『古代研究』が取り上げられていました。見ているだけで、学生時代の記憶がよみがえり、しばし思い出に浸ってしまいました。私が在籍していた國大時代は、柳田國男・折口信夫から直接指導を受けられた方が教授としておられ、主に民俗学・神道学の分野で確かな心の奇跡を感じたものです。

 

第二次世界大戦で敗戦国となった日本が、何故、キリスト教国にならなかったのか、宗教の自由を掲げる国になれたのか、当時は、そのあたりの経緯を明確に認識できていなかったのですが、番組の中で、その周辺も紹介され、合点がいきました。

そして、折口信夫という人が、いかに万物を慈しみ愛しておられたか、後世の学生までも慕われる存在であったのかを考えるきっかけにもなりました。

 

学生時代の私自身は、民俗学に興味はあったものの、戦前・戦後の人々の信仰について、それほど関心があったわけではありませんでした。ただ、万葉人の自然観、自然と共に生きている魂の喜怒哀楽を感じ取ることが面白くて、太古の人々の暮らしや風習を、もっと知りたいと思っていたことは事実です。

実際、記紀神話から学ぶことも多々ありましたが、自分の関心は神道学より、民俗学に近かったのかもしれません。雅な神道ではなく、土臭い信仰。・・。その理由がわからないまま、数十年経ちました。

 

今回、番組を通し、折口信夫と再会して、何故、民俗学なのか。何故、神道なのか。改めて認識させられたように思います。

明治政府が国家神道を強要した際、神仏分離・廃仏毀釈が勧められました。

実際には、聖なる地には、神仏を問わず宗教を問わず、強い感受性・パワーを感じる人々が集まるようです。

私の神道学専攻科の同期生には、その対象となった神社や寺院関係者もおり、当時の話を聞き伝えておられたようです。時の政府は、社寺の森の大木やご神木をも、戦争の材料として利用。庶民の信仰とはかけ離れた政治。そんな時代もあったのです。

 

日本という国に、日本人として生きている事。気の遠くなるような長い歴史の中で、私たちの祖先は、日本という国に命を頂きました。そして、様々な「まれびと」や「ほかいびと」と共に、この日本という風土や風習を受け入れ、伝え育んできました。そこには、自然の喜怒哀楽をも受け入れて、自然と共に生きる術を模索してきた人々の知恵が詰まっているように思うのです。

日本人とは何か。何故、何のために、伝統行事や祭りがあるのか。何故、伝え継ぐのか。考えてみるのもいいですね。