【神道つれづれ 3】 

※H23.3 発行「社報」 111号より

 

大祓祝詞には、高天原に神々がおられると、伝えられています。

そこには、たくさんの神々がおられ、いろいろな会議をされています。人が犯すあらゆる罪に、どう対応するか、許すか許さないか審議されているようです。

 

高天原はその文字通りに解釈すると、天の高く広い所です。宇宙を意味するのか、もっと、異次元的な空間を意味するのか、未だよく分かりません。

 

人は、なぜ、自分たちの生い立ちや歴史を考えるのでしょうか。

それは、恐らく、他の動物たちには できない事ではないかと思います。

人は、なぜ誕生したのか。どうして生きているのか。何のために生きているのか。

昔の人は、考えました。 一生懸命考えました。

でも、答えは出ませんでした。

 

そんな時、目に見えない とても大きな存在、大きな世界を知っている存在が

あることを 発見しました。

そう考えないと、自分の存在が無くなってしまうからです。自分の存在意義。

そして、その自分の生みの親の原点、つまり人の生みの親を、神様と考えるようになりました。

自分を生かしている存在。それこそが、神様だったのです。

 

当然、神様は、他の身近な動物とは、違っていました。超人的な能力を持っている はずだからです。

そう考えると、人は、時々、可笑しなことを考えるようになりました。

動物にも、人間を超える能力があると。

それが、他の動物とは、並外れた力を持っていた時、これもまた、神と認識するようになりました。

 

神話の中に、動物が、しばしば神として登場するのは、その為でしょう。だからと言って、動物が神であるわけではありません。そんな勘違いも、罪をつくる原因になりました。

生身の肉体を持つものは、人であれ動物であれ、一生のうち、本能に逆らえない瞬間があります。大なり、小なり。 時に、生身の肉体ゆえの罪を犯してしまうのです。

そして、それを恥じ、人としての生き方を修正するのが、大祓祝詞だったのです。

 

神道は、神の道。 遠い先祖の生きた道。人の道という人もいます。

私も、神道は人の道だと考えています。これは、神道を学んで感じた私の解釈です。

一般論とは、違いますが、

つれづれなるままに、神道を語りたくて・・・・

お許しください。