はじめまして。
この度、おこつ供養舎のブログをはじめました。
「お骨」という特殊な題材を中心に綴られるブログとなりますが皆様、宜しくお願いいたしますm(_ _)m


さて、このブログのテーマとなる「お骨」についてですが、私には亡くなった方の「ご遺骨」や「死者」に対し、多くの思い出や思い入れがございます。
その思い入れの強さから、当≪おこつ供養舎≫を立ち上げることになったと言っても過言ではないかと思います。

その「思い入れ」のきっかけとなった事柄から、本日はご紹介させて頂こうと思います。

私が田舎の高校に通う、少年だったころに時代はさかのぼります。(※遠~い昔です(^_^;))

通っていた高校の近くの無人の公民館?らしき所の展示ケースの中に、他の展示物と共に何故か?人の頭骨のみが展示されていました。
ケースには鍵もかかっておらず、誰でも扉を自由に開けることができました(古き良き時代なのでしょうか…現在では考えられない事ですね…)。

当時は、その頭骨を両手で持って女の子を怖がらせるという事が、男の子の悪ガキどもに代々伝わってきた度胸試しであったようです。
私も例外ではなく、その【度胸試し】を経験しました。

初めてその頭骨を持った時の事を今でも良く覚えています。
友人を脅かすために勇気を持ってはじめて頭骨を持った時の気持ちは、先輩が頭骨を持って私の目の前に出してきた時の100倍は怖かったです(((( ;°Д°))))

今思い起こすと、恐らく焼いていないお骨だったのでしょうか、それなりの重さもあり
心の中では「大事なものなので落としてはいけない」という気持ちも働き
必要以上に力を込めて握りしめていたのを覚えています。

友人を驚かし終わり、ショーケースに頭骨を戻した後に頭骨に触れた手に独特の臭いがついて、しばらくは手から匂いが取れなかったことを覚えています…(今考えると保存のための薬品の匂いだったのか?定かではありませんが・・・)

怖がってくれた友人は、頭骨の怖さよりもきっと私のひきつった顔ゾゾゾの方が怖かっただろうと思います。。。

そんな弱虫だった私も(笑)気がつくと[光陰矢の如し]で残りの余命を運任せと考える様な歳になりました。

人間を長くやっていると、沢山の知人の死と向き合うことになります。
いつもやさしかったバアさん、頑固だったジイさん(その昔はお坊さんだったらしい)、叔父、叔母、恩人、友人と沢山の葬儀に参加しました。怖くてお葬式に行くのが嫌だった怖がりの少年も、いつしか年齢と経験と共にお葬式で亡くなった故人の顔を見るのも平気になって来るわけです。

最近のお葬式では故人様に手を合わせて「人生お疲れ様でした!私もそのうちに行きますから、またよろしくね」と素直な気持ちで言えるようになりました。



私が人生で二度目に人骨を素手で触ったのは私の愛する父の遺骨でした。


父の生前にはよく父と二人でお酒を飲みました。
酒の席で父はよく「俺が死んだら綺麗な海に流してくれ」と、私に話していました。若かった私はその父の言葉を「本気半分・冗談半分」のような気持ちで聞いていたような気がします。

そんな父がある日、脳出血で倒れました。

病院での半年間の入院生活の末に、無事に退院することが出来ましたが医者からは「再発の恐れがある」と家族は宣告されていました。

その宣告は一年後に悲しい現実となりました。

父が退院してから、父との会話の中で頃合いを見て「お父さん死んだら海に散骨してくれって言ってたけれど…本当?」と聞いたところ「ああ そうしてくれ」と言うのが父の変わらぬ言葉でした。

平成13年のまだ「海洋散骨」という言葉が世間に知られて居なかった頃の話です。

父の遺骨の一部を持って、私は南の島に行き、父の遺骨を素手で散骨しました。

その時は、父の遺骨を素手で触ってもまったく怖くありませんでした。

そんな私が人生最後の仕事として「他人の故人様のご供養のために洗骨や粉骨、そしてご散骨などを執り行う仕事」に就かせて頂き、今日に至っています。

昔の自分からは想像も出来ない事です。

そして今の私の心は、人様の最後の最後の時に立ち会わせて頂く最高の仕事に就けたことを万物のお歴々に感謝の気持ちであふれております。