2024年 サマーセミナー ご報告(6月28日(金)から6月30日(日)) | 沖道ヨガ九州のブログ

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ヨガを日本に紹介したレジェンドである沖正弘師の大切な教えを守り、これから現代の生き方をヨガを通して考え実践していく、楽しい会です。

 2024年サマーセミナーが6月28日(金)から6月30日(日)まで大分の九住高原「パルクラブ」で開催されました。

28名の参加者があり、講師として岐阜から林久義先生、台湾から頼秋玉先生、また料理家の冷水希三子先生に来ていただきました。今回の行法は、「パルクラブ」のゲストハウスの内外でおこないました。緑の木立や芝生に囲まれた大自然の中で、広々とゆったりした気分で行うことができました。梅雨の末期で、時より激しい雨が降ってきたりしましたが、野外での活動などのときは、不思議と止みました。天の恵みでしょうか。

 

(6月28日)

 セミナーは予定より遅れましたが、首藤会長のあいさつと池田の講師紹介で始まり、まず午後2時ごろから林先生に「チベット仏教の瞑想~夢ヨガと禅定」と題して講義と実習を学びました。講義は、仏教の基本的な教えを説明しながら進められました。過去沖道ヨガ九州でお話された、十数回の林先生の講義内容は、チベット仏教と日本的霊性の成り立ちや歴史、さらには日本の近現代社会や政治情勢との関係などでした。その中で今回の講義の一貫したテーマは、「パドマサムバヴァの予言」で、最初のクラスはその序章のようでした。

 

 「夢ヨガ」の実習は、今回はありませんでしたが、夢ヨガは、熱ヨガ、幻身ヨガ、光明ヨガなどともに、「ナロバの六法」の一つのようです。過去に大分住吉浜で教えていただいた「夢ヨガ」は、窓の外から聞こえてくる波の音を聞きながら行いました。上下の唇は少し離し、歯は軽く合わせて、上歯の裏近くに置いた舌先に意識を向けながら、鼻と口の両方からゆっくりと息を出し入れすると、舌先が微かにピリピリする感覚を感じます。この状態で心の中に浮かんでは消えるイメージを追いながら、しだいに夢の中に入っていくと心は静まっていきます。過去のセミナーで、深夜緊張感からかよく眠れないときに、「夢ヨガ」を試みましたが、自然に眠りに落ちることがありました。私は以前の記憶にしたがって自己流にやっていますが、機会があれば、次回は改めて実習をお願いいたします。

 

 午後の二時限目は、頼秋玉先生の「三密ヨガ~統一心、統一体、調和息」でした。二階の和室で行われ、壁を使って背中や体側を伸ばす動きなどを学びました。ゆったりした呼吸で一つ一つの動きに意識を向け、時折印(ムドラ)を結びました。特に骨盤を意識し、足は大地(床)をしっかりと踏みしめました。

 温泉入浴のあと、第一回目の食事は、スリランカの古典カレーライスでした。幾種のスパイスが交じり合った香ばしい匂いが辺りに漂いました。食欲をそそり、おかわりをする人も出ました。

 

 

  (写真 頼先生実技 1、2)

 

 夕食後は、首藤和好会長が「台湾と日本の交流と歴史」というテーマで以下の内容の講話を行いました。

①17世紀の初め、台湾をオランダから追放して、建国の父と呼ばれる民族的英雄・鄭成功のお話でした。鄭成功の父は鄭芝龍、母は平戸出身の田川マツで、平戸市と台南市は今でも交流が続けられています。

 ②初代台湾総督児玉源太郎の右腕、後藤新平が、当時日本の各分野で活躍した人材を呼び寄せ、サトウキビの品種改良、台北の上水道の敷設、発電所、ダムの建設など台湾の近代化に貢献しました。

 ➂日本の敗戦後の国民党の弾圧と思想統制。

 ④李登輝総督による民主的な総統選挙が行われ、今日の台湾の民主主義の基礎を築いた。

  今回参加され台湾の方々も、今まで知らなかったお話もあったと感想を述べられていました。

 この日の最後は、林先生の講義の続きがあり、クムニュエ(チベット体操)の呼吸法が行われました。 お話の後「生活行持集」の眠りの誓いを読んで午後10時に就寝しました。

 

(6月29日)

 6時に起床。外に出て、雨に濡れた芝生を踏みしめながら、ハウス栽培用につくられたブドウハウスまで歩きました。朝の体操は頼先生の指導で始まり、準備体操のあと立位の背骨のローリングウエ―ブ体操を行いました。ゆっくりした動きでしたが、柔軟性とバランス感覚も必要で、かなりの体力も必要です。

 

(写真 朝の体操)

 ゲストハウスに戻り、朝食を済ませた後、二階の和室で林先生の「三管四輪」呼吸法を学びました。「三管四輪」は、背骨の中央を通る気の流れ(クンダリーニ)と背骨の左右に平行して流れる副次的な管二つ、計三つの管を通る入息・出息の呼吸法です。 

座法を取り、最初に左(右)の鼻を指で軽く押さえて(指を鼻に置く感覚)、左(右)の鼻から息を吸い込みながら、体を後ろに反らし、吐く息で体を前に倒しながら吐き切ります。次は右(左)の鼻から、同様の呼吸と動作を行います。最後に中央の管ですが、今度は両方の鼻を左右の指で軽く押さえ、両鼻から息を吸い込みながら、体を後ろに反らし、吐く息で体を前に倒しながら吐き出して行き、最後に頭頂から気を出し切ります。一度だけのご指導でしたが、私が理解した範囲で記してみました。この呼吸法は、瞑想法やチャクラを意識したマントラなどの準備段階でおこなうとのことでした。

 

 続いて、頼先生の「トライヨガ」Ⅰに移りました。トライヨガは、アメリカ人のカリジ先生が創始者で、インドヨガが基本になっているようです。頼先生は長年にわたりカリジ先生に師事されており、研鑽をつまれています。トライヨガは、体、呼吸、心(身口意)の三密を基本としいて、体はアサナ、ムドラ(手印)、呼吸はカパラパティなどの呼吸法やマントラ(真言)、心は冥想法です。

 トライヨガの特徴は、背骨のローリングウエーブと、ゆっくりとした動きのアサナです。背骨を波打たせるように一つ一つ動かしていくことによって、背骨の中を通る神経、ホルモン、血液がスムーズに流れるようになり、それぞれの背骨に繋がる筋肉や血液の流れもよくなり、体全体が整ってくるようです。ゆっくりした動きは、気づきの体操ともいえ、動く冥想ともいえます。さらに、体の各部分が正しい位置に修正されます。沖道ヨガとも共通点が多いと思います。基本となる猫のポーズやコブラのポーズ、ローランジなどで実習をしました。柔軟性が必要ですので、初心者の方には少し難しかったかもしれません。

 

 昼食後は、一階のホールで林先生の「チベット仏教とマントラ」の講義と実習でした。林先生のお話はチベット仏教と、もう一つの流れは先生のご著書「令和と霊咊の日本的霊性」にもあるように、日本的霊性でしょう。もともと日本的霊性とは、鈴木大拙先生の思想です。鈴木先生にとって日本的霊性とは、親鸞聖人の南無阿弥陀仏の浄土信仰により、初めから生かされ救われことを体得する道と、道元禅師などの座禅による仏性(心の中のブッダ)を体得する禅宗です。私にはどちらも心を解き放つ放下行による、悟りの体得であり、救われのように思われます。これらは、自然に道元禅師が「利他行」を、親鸞聖人が「宿業懺悔・報恩感謝」の慈悲行(菩薩道)へとつながっているように思われます。

林先生は、この二つに新たに日本古来の古神道や修験道を日本的霊性として取り上げられ、チベット仏教的視点から再構築されているようです。確かに歴史の表舞台には出てくることが少ない修験道などは、雑密ともいわれます。独自の密教の修行体系を持つと同時に、神仏混合的な要素を持っており、歴史の裏舞台で活躍するとともに、深く民衆の中に入り込んでいたようです。私が地元の郷土史を調べる中で、修験道の流れを組む家の古文書に、仏教、神道、道教の祝詞があったことを覚えています。長崎県は海に開けた土地で、山岳信仰と海を舞台に活躍した松浦党などの信仰が深く結びついていたようです。この文書の中には、経絡や薬草など医学資料もありました。古神道も密教的修行法と、多神教的な神々や民衆の中の仏教と深いつながりを持っていたようです。

また、弘法大師空海は、平安時代に唐に渡り、西安の青龍寺で恵果和尚に密教を伝授されました。インドの中期密教で、真言密教です。空海の身口意の三密は、身は印契(ムドラ)、口は真言マントラ、意は曼荼羅瞑想です。沖先生は、空海を日本に最初にヨガをもたらした人物、また、道教の無の思想を体現した老子もヨガの行者とおっしゃっています。沖先生のヨガの考え方は、大変に幅広いものがあったようです。

インドヨガのマントラ(真言・聖音)は、オームに始まるようです。チベット仏教ではオームがオン・アー・フンとなり、中間のアーの部分がオンマニペメフンでは、マニペメ(観音菩薩)と置き換わるように、様々の形に変化しているようです。

 

林先生の講義の後は、再び頼先生の「トライヨガ」Ⅱに移りました。今度は、ヨガベルトやヨガブロックを使った体操が中心となりました。ヨガベルトを使えば、より膝裏の関節を伸ばし、腰を正しい位置に戻す効果があります。ヨガブロックを使う猫のポーズやローランジも関節や筋肉がよく伸び、体形がより美しくなります。また、腰痛などの矯正にも役立ちます。トライヨガでは、アライメント(alignment)といって骨や関節を正しい位置に戻すことが大切にされています。また、二つブロックを使って、開脚を正しく開くようにする体操もありました。

 

 林先生の最後の講義とマントラは、8世紀に北西インドウッデイヤーナ国の大成就者で、チベットに密教を伝えた「パドマサムバヴァ」の予言が主題となりました。

パドマサムバヴアの予言とは、「鉄の戌年における暗黒の妨げを回避するための警句」のことのようです。これは、トウルク・サンガク・リンポチェによって、17性周期(2022年)の水虎年、サガ・ダワの29日目に書かれたとされています。内容は、2030年の鉄の戌年にこの世で大きな戦争が起こるだろう、というものです。その戦争とは、核戦争の可能性を懸念しているとのことです。大変複雑は内容ですが、戦争を避ける方法を次のように要約されています。

1)四方にグル・リンポチェの像と塔を建てる。 2)「自然成就の願い」またはその凝縮系である「ヴァジュラグル・マントラ」を声に出して唱え、祈りの旗を四方に置き、願文と吉祥の詩を唱える。 3)栄光ある金剛杵菩薩の悟りの活動(抑圧、焼却、追い出し)を行う。グル・リンポチェの像は、自分の手段、場所、時間の状況に応じて、大きさと質の「すべての出現と可能性を圧倒するグル・リンポチェであるべきである。それらをマントラで正しく満たし、聖別し、各々の場所に祀りなさい。」

 そして、・・・・・「鉄の犬(2030年)の障害は、水の雄の年(2024年)以降に避けることができる。この方法は敵を倒すものであるから、間違いなく回避されるであろう」と記されている。

ロシアによるウクライナ侵攻や、イスラエルによるパレスチナのガザへの攻撃などの中東情勢など、核兵器による戦争の危険性が高まっていることなどを考えると、この予言よる警告と戦争の回避への提言も身に迫るものがあります。2030年に起こる可能性がある核戦争を回避するには、ことし2024年からこの行動を始めることが必要であるとされています。

 グル・リンポチェの像と塔の建立や、「ヴァジュラグル・マントラ」を声に出して唱えるという祈りが四方に広がり、世界が救われるというもののようです。

 講義の後半は、林先生のご指導で、「ヴァジュラグル・マントラ」を全員で唱えました。「OM AH HUM VAJRA GURU PADMA SIDDHI HUM」

 オン アー フン ヴァジュラ グル パドマ シツディ フン

 

 

 

 (写真 林先生講義)

 

  さて、沖先生は第二次世界大戦のとき、日本軍のスパイ(諜報員)として戦いました。しかし戦後は、大反省して考え方を180度転換、ピースメーカー(平和を実現する者)になることを決意され、ヨガの実践と平和活動に身を捧げられました。

沖先生は、亡くなる直前のヨーロッパ講演「ラスト・レクチャー」の中で、平和を実現するためには、言葉だけではなく、自分自身が平和な状態になることが必要だと語られました。

それは、平和な体、平和な心、平和なライフスタイル(生活)を実現することです。

平和な体を作るには、柔軟な筋肉、正しい姿勢、深い呼吸、きれいな血液が必要です。柔軟な筋肉を作りあげれば、心も柔軟になります。背骨が真っすぐで、正しい姿勢になれば、心がくつろぎます。その結果誰かと喧嘩したいとは思わないでしょう。笑っているときのように呼吸が深くなれば、誰かと争う気持ちにはなれません。また、悪い食べ物や、自分に合わない食べ物を食べると、血液が汚れて、暴力的になります。沖道ヨガの動禅(アサナ、修正法、強化法、浄化法)はこの四つの要素を達成するために行います。

 平和な心を作るには、沖先生は欲望と感情、知性(考え方)のコントロールが必要だとおっしゃいました。欲望とは、お金、財産、性的欲望、名誉(人からよく見られたいなど)などの過剰な欲望。感情とは、恐怖、不安、憎悪、不平、嫉妬、高慢などの否定的感情です。怒りや憎悪は、感謝の心に変えることができます。相手を罰したいという欲望は謝罪に変えることができます。それは相手が悪いという考え方を止め、自分が正しいと思う心から、自分が悪かった、「すみません」というふうに変えることです。このように否定的な感情を肯定的な考え方に変えることによって、すべての感情をコントロールできると、沖先生はおっしゃっています。

 平和なライフスタイル(生活)を実現するとは、他者を助け、お互いがよくなる、活かし合いの生活だとおしゃっています。好き嫌いではなく、他者を同じ尊い命をもつ存在として、それぞれの良いところを伸ばし合うことだと思います。それは簡単なことではありません。一緒に何かをやり始めると、かならず「自分が、自分が」、「自分の物、自分の物」という感情が沸いてきます。まずはその感情に気づき、修正をしていくことだと思います。

 徹底的に他に捧げる生き方をされた沖先生は、次のようにおっしゃいました。「奉仕とは自分自身ではなく、まず他者を基本(第一)に置くことです。実行することは難しいことですが、そうすれば恐怖心は消え去ります。自分が相手を憎くめば、相手も自分を憎む。自分が相手に与えれば、相手もあなたに与える。自分が相手をゆるせば、相手もあなたをゆるす。それが自然法則です。自分は聖なる者になろうとしているのではなく、そのようなやり方をするのが、気分がいい(feel good)からです。自分の真似をしなさいとは言ってないのです」とおっしゃっています。沖先生のような生き方をした方がおられたのだという尊敬の念を忘れず、私も身近な人々に少しでもお役に立つ生き方を目指しながら、自分らしい生き方をしていきたいと思います。

 国家間の争いは、一人ひとりの間の争いが拡大したものであり、一人ひとりの心の中の欲望や憎悪、また自分の都合のよいように作り上げた妄想がつくり出したものではないでしょうか? 日々の生活の中で、一人ひとりが平和な状態を作りあげ、実行していくことが、平和な社会、平和な世界の実現につながっていくと思います。

 

 二日目の夜は温泉入浴の後、一階のホールでディナー・パティーに移りました。冷水先生とボランティアの小野寺亜希さんが作る丹精込めた料理は圧巻でした。地元の取れたての新鮮な食材とさまざまなスパイスを使い、国内外の調理法で作られた料理が次々とテーブルに並びました。パエリア、ビビンバ、コチジャン、鳥団子スープ、魚介のバジルサラダ、キュウリやセロリなどの野菜サラダ、骨付き鳥の煮込みなど。あまりの美味しさに瞬く間に食べ尽くされて、ヨガの人たちは少食という話を聞いておられた、冷水先生たちを驚かせてしまいました。一つひとつの料理について、冷水先生から説明を受け、参加者たちからも、調理法やスパイスの種類など熱心に質問が寄せられました。また、食事のときの配膳や皿洗いなど、参加者の方々にお手伝いしていただきました。

 

 (写真 食事風景) (写真 パエリア)

 食事の後パーティに移りました。最初は頼先生の師で、トライヨガの創設者であるカリジ先生の印度風琴とマントラのCDを聞きながら、全員でマントラを唱えました。とてもリズミカルで、繰り返すうちに次第に全員の声がホール全体に響き、共鳴しました。次は、音楽に合わせて、皆で踊りました。決まった形は特になく、自然に出てくるままに、体で自由にリズムをとり、手足を動かしていきます。とても愉快な気持ちになり、心が解放され、笑顔があふれました。

 

 (写真 マントラの合唱) (写真 みんなでダンス)

 最後は上野京子さんのライヤー(竪琴)の演奏です。演奏者を囲むように椅子を半円形に並べて座りました。力強いマントラとエネルギッシュな踊りの後に、一転して静かな竪琴の調べがホールに流れ始めます。透明に響いていく玄の音の一つ一つに耳を澄ませていると、自然に目を閉じて聞き入ってしまいました。心なごむ時間でした。

 

(6月30日)

 起床時間は6時でしたが、5時ごろ目を覚まし、2階の窓の外を眺めると、森はうっすらと朝靄におおわれ、小川の流れや小鳥のさえずり声が聞こえてきました。雨も止んだようで、早朝から納池(のいけ)公園を訪ねました。車に乗り合わせて、5分程で着きました。駐車場で車を降りると、目の前に天を衝くような杉の巨木が聳えています。杉の根元には納池神社の鳥居がありました。鳥居を潜り下りて行くと、赤い屋根の神社が見えます。小さな石の太鼓橋を渡ると納池神社に着きました。社殿の前に輪になって並び、片岡進さんの指導で、紐体操を始めました。3~5㎜、1.5m程の紐を使って体操をしたり、また頭や腰に巻いたり、肩にタスキ掛けしたりしました。とても気持ちがよく、体操が終わってもずっと紐を付けたままでした。

神社の横にある池の水面には雨上がりの靄が薄っすらとかかり、夢の中の風景に迷い込んだような気分になりました。池の隅々から山々の伏流水が湧き出し、流れ出ています。池の中に浮橋があり、橋をわたる人もいました。納池神社の歴史は南北朝にさかのぼり、明治時代には、東京の上野や京都の嵐山とともに、太政官制公園に指定されたとのことです。帰りは神社の背後に回り、杉やタブ・カシの木の間を抜ける小道を散策しながら駐車場へと戻りました。

 

(写真 納池公園入口の杉の大木) (写真 納池神社前で紐体操)

 

 朝食におにぎりをいただいた後、2階の和室で池田和博が「沖道ヨガの基本とは?」のテーマで、実技と講義を行いました。最初に「沖道ヨガの目的は?」との質問からはいりました。『ヨガの喜び』で沖先生が述べておられる「ヨガの目的は、悟りを体得し、人間としての本当の生き方を求め、生きとし生きるものすべてが共存共栄できる世界を建設することにある。そのためにこそ心と体を健やかにするのである。」という言葉を紹介しました。また、悟りの体得とは「真実を把握しうる能力を体得すること」であるという沖先生の言葉を私なりに解釈しました。

 そして、70数年間の私の体験から、三つの苦しみの体験を語りました。苦しみは病気という形で現れますが、それは一つの警告であって、悪いものではありません。自分を反省し、良い方へと解釈し、行動に移していくと、新しい人生を開く良いチャンスになると思います。その方法が丹田力開発と仏性啓発であり、三密行です。

 動禅(ヨガアサナ)は、動きと呼吸と意識を一つにして(三密)行います。姿勢を正し、丹田に意識を向け、完全呼吸をしながら、吐く息でゆったりと行っていると、次第に筋肉の動きが呼吸と一つになり、まるで呼吸をしていないような胎息(胎児の呼吸)になります。精神統一した状態で、静禅と同じ冥想状態を目指します。

 冥想(静禅)も正しい姿勢から、腹式呼吸か完全呼吸をしながら意識を統一していくと胎息になり、冥想状態(三密)に入ります。三密状態になれば、自分の中にスペースができ、自分を受け入れ、他者も受け入れることができます。過去を悔やみ、未来を心配し、今起こったことに執着することがなくなり、今ここに心を止め、生命の不思議にふれることができます。

 アサナは、前屈、後屈、ねじり、体側を伸ばす動きを、呼吸と意識を合わせて行う練習をしました。修正呼吸体操も動禅と同じ三密の原理で行いますが、今回は私の体験から不眠体操などを行いました。その基本は、丹田力を強め、丹田を中心に動くことです。仏性とは、仏さまの心です。すべての人が持っている良心であり、悟りの種子です。他者を同じ尊い命をもつ者として思いやり、理解しようとする心です。自分に起こることすべてに感謝できる心、生かされていることに感謝できる心です。どんな苦しいこと辛いことが起きても、すべてを教えとして積極的に解釈し、行動に移すことができる心です。本当に不可能と思えるくらい難しいですが、目標として進んでいこうと思います。

 

 最後の頼先生の行法とお話は、一階のホールで行いました。講師を囲むように、椅子を並べました。テーマは「沖道ヨガから学んだこと」です。カパラパティなどの呼吸法や、手印(ムドラ)を交えながら、椅子に座ってから背骨のローリングウエーブなどを実習しました。

 お話は、沖道ヨガとの出会いや、台湾沖道ヨガ会の先輩方との交流などでした。台湾沖道ヨガ会の初代会長は故白林英昭さんで、肝臓を患った折に三島の道場を訪ね、沖先生からヨガや断食指導を受けられ、回復されました。白先生は台湾に帰ってから、友人と共に台湾沖道ヨガ会を立ち上げ、発展の基礎を作られた方です。その後沖先生の御恩に報いるために沖道ヨガの普及活動に務め、ついに台湾(中華民国)沖道ヨガ会を台湾政府に認可された組織として創設されました。今では、台湾全国各地に沖道ヨガ会の教練場が広がっています。

沖先生は特に弟子の方々には厳しい指導をされたイメージが強いのですが、白先生は「沖先生はとても優しい方だ」とおっしゃっていました。沖先生は三島道場では、癌やノイローゼ、半身不随などの多くの難病患者も指導し、回復に導き、いかなる人にも分け隔てなく接して、奉仕行に身を捧げられました。その愛の心を、白先生は感じ取られていたのではないでしょうか。

 白先生を支えられ共に活動しておられた方に故林英昭先生がおられます。林先生は沖先生の多くのご著書を中国語に翻訳された方です。頼先生は林先生と共に、沖先生のご著書を読む会で勉強会をしておられました。頼先生は林先生から頼まれて、沖先生の英語版「ラスト・レクチャー」を中国語に訳されました。また、台湾沖道ヨガ会の元会長の江麗光先生から沖道ヨガや仏教、冥想などを学ばれました。頼先生は昨年沖道ヨガ会の会長を引き受けられ、沖道精神を守り、これらの先輩たちの歩んでこられた道を引き継いで行こうとしておられるようです

  

 最後の昼食は、軽食でとお願いしていましたが、ボリユームたっぷりの「フジッリ」パスタでした。くるくるしたらせん状の形をしていて、目で見ても楽しく、とてもおいしかったです。

 食事の後、冷水先生に料理との出会いや調理で心がけていることなどをお話しいただきました。

冷水先生は、はじめから料理家になろうとしたわけではなかったそうです。最初アパレル会社に入社されましたが、何か自分のやりたいこととは違うと感じて、1年で辞め、フードコーディネーターの教室に通われました。その後一時は大阪のレストランで働きましたが、お店に来るお客さんから「美味しかった」といわれるのはやっぱり嬉しかったそうです。お店を辞めてからは、奈良の料理旅館で働いたり、ファーマーズマーケットに出店したり、ご縁に導かれるような感覚で自然に、目の前にある仕事に取り組んでいったそうです。その後鎌倉から東京へと住まいを変えて現在に至っています。

「家族や友人たちなどみんなで食卓を囲み食事を楽しむということに喜びを感じている」という冷水先生。

冷水先生はサマーセミナー前日に佐賀県三瀬村の小野寺さんご夫妻宅を訪れられました。自然農法やカフェを営むご夫妻と共に、セミナー用の食材を探されたと聞いています。自然と人との関わりや、食べ物の安全性、農家の方々など生産者の思い、人が集まって飲食することのあり方そのものについて、常日頃から考えておられるようです。

「料理研究家で、料理にまつわるコーディネート、レシピ制作などや、テレビ、雑誌、広告などでもご活躍」と聞くと、何か華やかな世界の人なのかと思いがちですが、本当は素朴な方で、自分の生き方を大事にして歩んでいる方だなと感じました。冷水先生が、「私のやっていることは、ヨガをやっている皆さんと同じことをやっているのではないですか?」とおっしゃった意味が少しわかったような気がしました。

サマーセミナーの3日間、冷水先生と小野寺さんお二人は、ずっと立ちっぱなしで、参加者のために調理をしていただきました。ありがとうございました。

 冷水先生のお話が終わったあとは、1日目の夜に時間の都合で自己紹介できなかった方々に、改めて自己紹介していただき、セミナーの感想も述べていただきました。5年ぶりのサマーセミナーで、失敗もありましたが、スタッフもそれぞれの特色を発揮して役割を果たし、みんなのハーモニーがとれた会になったと思います。

最後は首藤会長の閉会のことばで、セミナーを終了しました。  (池田和博記)

 

 

(集合写真)