40年前のこと
片側1車線の道路から1本入れば、急激な街並みの変化に戸惑うほど。
古びた戸建群が道路際まで迫り、アスファルト道路は、至る所補修されず。
人通りは少ないその道の行き止まりにある長屋は、トタン作りの、これまた古びたアパート。
日も当たらぬ陰湿な土間を通り、目的の102号室、我が居宅でした。
鍵を掛けても揺すれば開いてしまうほど、鍵をかける意味もない、入口木戸。
板張りの間に無造作に置かれた錆びた流し台、続き間も板張りで、掃き出し窓を開ければ、外気の土間に、ただ置かれた浴槽の周りを、トタンで囲む。もちろんトイレは共同。
そんな部屋でも、友人は多々訪れてました。しかし、・・・
徐々に、知り合いの知り合い、またその知り合いの連鎖で、開け放たれた入口から人々が。
いつしか、君は誰?
「行き場のない君たち 道に迷った時 いつでもここへ」と、そんな相談場所でもないのに。
何か問題を起こしたのか、または巻き込まれたのか、血生臭い話をする若者たち。
生々しい欲望の渦に入り込み、厭世観で、自暴自棄する彼ら彼女ら。
そのような場所に、他の若者と異種の彼は、よく来ていました。
私自身、その彼に幾度となく助けられ。
その彼が、いや、今や飲食店、中古車店のオーナーであるそのおっちゃんが、数十年ぶり長崎へ。
居酒屋で酒を酌み交わしつつ、思い出話に。
「沖ちゃんが(わたしです)作った具無のシチューやカレー、洗面器で作ったのに何故かおいしかった」(記憶にない。ただ丸い鍋を洗面器代わりにしてたような気が・・)
「沖ちゃんが作った、これまた具無の焼きそば、あれはマジでうまかった!」
(!!そうそう、よく作ってた。確かにアレは旨かった)
40年ぶりに、今
懐かしの赤白パッケージに、数多の記憶が蘇る。
具だくさんで作った焼きそばは、やはり旨かった。
ただ、具は、
思い出だけで十分かも
そう思った
日清焼きそば