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 なぜかブログに新規投稿できなくなって4日たちました。システム不具合の影響かと思っていましたが、そうでもないようなので、ログインをやり直して、ようやく新規投稿できるようになりました。
 
 平成23年3月11日、環境農園のある沿岸部の集落にも4メートルの津波が押し寄せました。
 津波から3日目、集落に戻って見たものは、まさに悪夢の光景でした。
 その中でも特に印象的だったのは、バス停留所の案内板でした。濁流にもみくちゃにされ、打ちのめされても、それでも立っていました。
 この沿岸部の集落にとってバスは、市の中心部、街に行ける唯一の手段でした。
昭和30年代、終点のところにバス待合所もつくられていて、子どもたちの遊び場でした。にぎやかな街の入口のようなわくわくする場所でした。
 街から来た人は、ここから1キロメートルほど歩いて海まで行ってました。
 大震災の津波で、近くにあった市バスの営業所も津波で流され、バスも通ることがなくなりました。
 震災の翌年、集落に戻る人も増えてきた頃に、ようやくバスが復活しました。
 緑色した市バスが通るのを見るだけで、街とつながっていると安心できます。
 南隣の荒浜は海辺まで市バスが運行し、海水浴客などを乗せていましたが、今は住む人がいないので、集落の手前で折り返し運行しています。
 これらのバス路線については、来年、新たな地下鉄が開通するのに合わせて見直し提案がされています。
 バスは沿岸部の集落に住む人にとって大事な交通手段であり、以前のようなにぎやかさを取り戻すためにもなくてはならないものですので、慎重に検討してほしいと思います。