苦しみや悲しみは仏さまが引き受けてくださる
川越市のおかやす学(岡安学)です。
このブログ記事は、2021年5月4日に書いたものを加筆修正しています。
『仏説無量寿経』というお経があります。
この中に、「無有代者(むうだいしゃ)」というお言葉があります。
代(か)わる者(もの)有ること無し、という意味です。
今、みなさんの中で、会社や職場で、こう言われて辛い思いをしている人はいらっしゃいますか。
あなたの代わりなどいくらでもいる、と。
わたしは、かつての雇用主である住職やその奥さんから、コロナ禍で法務が減ってきてから、退職するまでの2年間、この言葉を言われ続けてきました。
あなたの代わりなどいくらでもいる。別に、あなたに仕事を頼まなくても、ほかに頼める僧侶はいくらでもいるのだから、と。
でも、わたしは、この言葉を受け流してきました。
なぜ?
だって、わたしの代わりになれる者など、この世に一人もいない、から。
これを「無有代者(むうだいしゃ)」と言うのです。
もっとわかりやすい言葉ですと、「かけがえのない」と言うのです。
いのちのことを「かけがえのないいのち」と言います。
「かけがえ」は、「掛け替え」と書きます。
掛け替えがない、のです。
壁掛け時計が壊れれば、新しいものを買って、掛け替えればいいのです。
壁掛けカレンダーも年が変われば、新しいものに掛け替えればいいのです。
でも、あなたのいのちは、掛け替えできるでしょうか。
あなたの存在そのものを、掛けかえることができますか。
できないのです。
レンタルすらできないのです。
だから、あなたのいのちは、かけがえがない、のです。
もし、会社で、職場で、あなたの代わりなどいくらでもいる、と言われたら、どうか気を病まないでください。
だって、あなたは、誰にも代わることができないいのちを、生きているのだから。
実は、この『仏説無量寿経』の「無有代者(むうだいしゃ)」の前に、さらなるお言葉があるのです。
「身自当之(しんじとうし)、無有代者(むうだいしゃ)」
「身自(みずか)ら之(これ)に当(あたり)て、代(か)わる者あることなし」
かけがえのないいのちをいただいている一方で、わたしが受ける悲しみや苦しみは、誰も代わってくれない、という意味です。
こどもが、日々の生活で、病気で、苦しんでいても、親はその子の悲しみや苦しみを引き受けて代わってやることができないのです。
だから、かけがえのないいのちでもあるのです。
「無有代者(むうだいしゃ)」は、伝え方によっては、これほどの差があります。
わたしの苦しみや悲しみは、誰も代わって引き受けてくれない。
わたし自身が、引き受けなければならない。
ほんとうにそうなのでしょうか。
違うのです。
わたしたちが引き受けられないような深い悲しみや苦しみがあるからこそ、仏さまは、そのままの、わたしの悲しみや苦しみを引き受けて、あなたを必ず救う、と誓われているのです。
おかやす学|川越市の僧侶兼傾聴カウンセラー (okayasumanabu.com)
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