4月29日 昭和の日
激動の日々を経て復興を遂げた昭和の時代を顧み、
国の将来に思いを致す日です。
(国民の祝日に関する法律第2条)



第124代 昭和天皇御誕生日
1989年(昭和64年)1月7日、昭和天皇崩御、今上陛下(きんじょうへいか)
御即位より2007年(平成19年)に「昭和の日」が制定されるまで、昭和天皇
が植物への深い愛情と博識をお持ちで、自然をこよなく愛されたことから
みどりの日」(現05月04日、自然に親しむとともにその恩恵に感謝し、豊か
な心を育む日)とされていました。
(御尊影:平成26年(2014年) 9月10日 ANNニュース)



「雑草という草はありません。」
昭和天皇、皇后両陛下のお留守中、お帰りになられたらお褒め頂けると思
いながら
侍従の入江相政氏(後の侍従長)が張り切って御座所(天皇、皇后
両陛下の
お住まい)の庭の草刈をされました。


お帰りになった昭和天皇が、どうして草を刈ったのか入江氏に尋ねられま
した。
雑草が生い茂って参りましたので、一部お刈りしました。」と答え
た入江氏へ昭和天皇が諭されました。

雑草という草はありません
どの草にも名前があり、どの植物にも名前が
あり、それぞれ自分の好きな場所を選んで生を営んでいます。二酸化炭素
を酸素にかえて私たち人間の命を支えています。人間の一方的な考え方
雑草として決めつけてしまうのはいけません

..
入江相政氏著「宮中侍従物語」(1985年出版角川文庫)
..
撮影:2007年 7月31日
岡山市南区北七区(旧、灘崎町).なださきレークサイドパーク


本来 「雑草」 という名前・種類がない植物、二酸化炭素を酸素にかえて私
たち
人間の命を支えている草を人間の都合・好みで雑草と捉え、選り分け
ては
ならないという
植物への深い愛情を示されたお言葉です。

昭和天皇は生物学者であられただけでなく、敗戦によって荒廃した国土に
緑を取り戻すため、1950年(昭和25年)から催された全国植樹祭では、毎年
全国各地を精力的に巡られ、陛下御自身で苗を御手植えになりました。

その御心は今上陛下に受け継がれ、現在に至る全国各地での国土緑化
運動、「鎮守の森」の再生と発展に繋がっています。(後述)



昭和天皇と戦後日本
(新規ウインドウで開きます)
――― 記事内容 ―――
(抜粋)
1945(昭和20)8月15日、太平洋戦争終戦。
御前会議の御意(対話外交による和平維持)に反した開戦にも関わらず、
昭和天皇は終戦間もない同年9月27日、通訳1名だけを伴われ連合国軍最
高司令官総司令部(GHQ)を訪れられ、最高司令官ダグラス・マッカーサー
へ「自身の運命については如何様のものであろうとも私が直接全責任を負
います
と申し出られ、後日農林大臣(当時)を通じて国民の衣食住の点
のみにご高配を賜りますよう
」と皇室の御物(財産)の目録を渡されました。

マッカーサーは、「諸事実に照らしても明らかに天皇に帰すべきではない責
任を引受けようとする勇気に満ちた態度は私の骨の髄までも揺り動かした」
自らの命と引き換えに自国民を救おうとした君主が世界の歴史上いただろ
うか、日本の天皇は命乞いをしなかった唯一の君主」「私は初めて神の如き
帝王を見た」等と、国民を第一に案じられる
昭和天皇の御心に感動。
「断じて日本の国民の中に餓死者を出すようなことはさせない」と、以後アメ
リカ本国から食糧を調達し続け、日本は戦後の食糧危機を脱しました。


昭和天皇の強い御意により、1946年(昭和21年)から8年半、約33,000㎞に
及ぶ
全国御巡幸を敢行され、各地で奉迎する国民一人一人に生活・食糧・
居住などの状態を尋ねられ、戦地、戦中の辛苦、家族などの戦死の話に涙
を流されました。

人々は、政府・軍部の
架空思想の普及により「神」とされていた天皇陛下の
慈愛深い御心と御姿に触れ、陛下が苦しみ、悲しまれていたことを知ました。
自分たちの苦しみ、悲しみを陛下が共にして頂いたと心から感じた人々の
「陛下とともに頑張ろう」 という気持ちが活力となり、めざましい戦後復興を
遂げました。


その後も国民の生活を第一に案じ続けられ、「国民に住居が行き渡ってい
ない
」、「国民を優先するように」と皇居御所の建て直し・食糧の優先配給を
断り続けられ、国民の生活水準が戦前をはるかに上回った1961年(昭和36
年)まで防空壕生活を過ごされました。
御心のご継承
敗戦によって荒廃した国土に緑を取り戻すため、昭和25年 (1950年) から
催された全国植樹祭では、毎年全国各地を精力的に巡られ、陛下御自身で
苗を御手植えになりました。

その御心は今上陛下、御皇族に受け継がれ、現在に至る全国各地での植
樹祭、国土緑化運動、「鎮守の森」 の再生と発展に繋がっています。

また、御即位後間もない昭和 2年 (1927年) より、農業関係者の苦労を体
感するべきと皇居内で始められたお田植えも受け継がれ、苗の御手植えと
稲の御手刈りが天皇ご一家 (今上陛下、皇后陛下、皇太子ご一家、秋篠宮
ご一家) による毎年のご恒例行事になっています。

そして戦災の苦しみと悲しみを国民と共にされ、戦争の惨禍に向かわれ続
けた昭和天皇の御心は今上陛下、御皇族に受け継がれ、戦陣に散り戦禍
に倒れた幾多の尊い御霊を追悼され続け、世界と我が国の平和、我が国と
諸外国との恒久和平を祈り続けられています。

全国御巡幸で戦災者に寄り添われ、戦後復興後も国民の生活を第一とされ
た御心も今上陛下、御皇族に受け継がれ、遠隔の離島を含む全都道府県ご
訪問で国民に温かく寄り添い頂いています。

全国各地で発生した自然災害には、発災時より被災地に御心を寄せられ続
け、被災者の健康・生活を案じ続けられながら 「復旧活動の妨げにならない
よう、被災地の負担にならないように」 との御心遣いで遠隔の地であっても
日帰り、分刻みの強行スケジュールで被災地・避難所をご訪問され、被災者
に温かく寄り添われながらお励ましされました。



平成の御代
全国御巡幸で戦災者に寄り添われ、戦後復興後も国民の生活を第一とされ、
一般参賀でのマイク(ご挨拶)ご導入など、晩年まで国民とのふれあいを大
切にされた昭和天皇の御心を受け継がれ、日本で暮らす人々、日本で過ごす
人々全てに温かい御心を注がれ続け、より身近に温かく寄り添い下さる御皇
室を築かれてこられ、古来の伝統を大切に継承されながら御皇室の慣習的
な古い仕来りをお取り止め、あらためられるなど時代に即した御皇室を築か
れながら、日々多忙を極める御公務・諸行事への御臨席などとともに、古代
より世々御歴代天皇が 【日本民族の最高位の祭司】 として執り行われてこ
られた祭祀を大切に継承され、元日未明の 「四方拝」 から大晦日の 「大祓
(おおはらい)」 まで幾多に亘る宮中祭祀と、伊勢神宮等への御親拝・御親
謁におかれまして天地全ての神々へ国家国民の安寧と多幸をお祈り頂きま
した今上陛下、皇后陛下の御退位、御代替わりまで2日となりました。

宮中三殿
日本民族の総氏神であり、御皇室の祖先 (皇祖) の天照坐皇大御神
(あまてらします すめおおみかみ) をお祀りする賢所。(中央)
国内全ての御祭神をお祀りする神殿。(手前)
御歴代天皇 (皇宗) の御霊、御皇族の御霊をお祀りする皇霊殿。(奥)
天神地祇 (天地全ての神々) をお祀りする神嘉殿。(最奥、附属殿舎)

 
御退位当日の30日、天地全ての神々に国家国民の安寧と多幸をお祈り続
け下さいました宮中三殿への御拝礼で御退位(【退位礼正殿の儀】の挙行)
を御奉告され、同30日夕方 (17:00) から皇居正殿 「松の間」 で国内外に
御退位を宣明される 【退位礼正殿の儀】 におかれまして国民に対し、
天皇
陛下として最後のお言葉
を賜ります。

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