11月 3日 文化の日
自由と平和を愛し文化をすすめる日です
(国民の祝日に関する法律第2条)

第122代明治天皇御誕生日
(1852年11月03日御誕生..1912年.(明治45年).07月30日崩御)

【明治天皇の御聖蹟と「文化の日」制定】
明治天皇は、民族どうしで骨肉を争った戦国時代、諸外国との外交を断絶
した鎖国時代を経た江戸幕府の廃絶、天皇親政の御宣言(明治維新)に
際し、「民族が一つになった、一つの家のような国家を築く」という神武天皇
の建国理念、天地の神々に国家民族の平安を祈られながら国を治めてこ
られた御歴代天皇の政祭理念
(下記リンク)を根源とした民主主義の原理
【五箇条の御誓文】、道徳教育の規範 【教育ニ関スル勅語】の発布により
民主的な
道徳国家を再生されるとともに、日本古来の伝統文化を重んじら
ながら欧米諸国との外交の利便性を高める太陽暦(西暦)の採用をはじ
めとする西洋文化を取り入れられるなど、
近代国家の礎を築かれました。

道徳国家再生のため、本来は道徳教育の規範として当時(1890年)の
総理大臣・文部大臣に対して発布された【教育ニ関スル勅語】は、後々
に本来の理念が押し曲げられ、戦前戦中は独走した政府・暴走した軍
部により国民の戦意高揚・軍国教育に利用され、戦後は日本の共産主
義国化を図っていた左翼・左派組織が第一の目標としていた御皇室制
度打倒の「天皇=戦争」思想普及に利用されたため、「戦争につながる」
「軍国主義」等の誤った認識を生みましたが、「一つの家のような国家を
築く」という建国・政祭の理念を根源とされた道徳教育の規範【教育ニ関
スル勅語】では、建国の御世から幾世紀を経たいつの時代においても

変の正道
であり、国の内外を通じても道理に反しない人間としての道徳
日本人としての美徳を説かれています。

1927年(昭和 2年)より、近代国家建設・道徳教育に幾多の御聖蹟を遺さ
れた明治天皇の御偉業を偲ぶ国家祭祀 「明治節」(祭日)とされました。
第2次世界大戦後に天皇と国民が一体となった祭祀(前述)が廃止された
なか、明治天皇の御偉業を後世永遠に伝えるべきであるという声が高まり、
1948年(昭和23年)7月20日公布・即日施行された「国民の祝日に関する
法律」により「文化の日」に制定されました。

【五箇条の御誓文】
神武天皇、御歴代天皇の「民族が一つになった、一つの家のような国家を
築く」という日本建国、政祭の基本理念を根源とした民主主義の原理
<読みと意味>
広く会議を興し、万機公論に決すべし
・・ ひろくかいぎをおこし、ばんきこうろんにけっすべし
広い人材で会議を開いて論議を行い、大切なことは全て公平な
意見によって決めましょう。
上下心を一にして、盛に経綸を行ふべし
じょうかこころをいつにして、さかんにけいりんをおこなうべし
身分の上下を問わず心を一つにし、積極的に国を治め、整えて
行きましょう。
官武一途庶民に至る迄、各其志を遂げ、
かんぶいつとしょみんにいたるまで、おのおのそのこころざし
をとげ、
人心をして倦ざらしめんことを要す
じんしんをしてうまざらしめんことをようす
文官・武官から国民に至るまで、各自の志し・職責を達成できる
ように努め、人々を失望させないことが肝要です。
旧来の陋習を破り、天地の公道に基くべし
きゅうらいのろうしゅうをやぶり、てんちのこうどうにもとづくべし
今までの悪い習慣はやめて、普遍的な道理 (天地の公道 )に
基づいて行動しましょう。
智識を世界に求め、大に皇基を振起すべし
ちしきをせかいにもとめ、おおいにこうきをしんきすべし
知識を世界に求め、天皇が国を治める国柄と伝統(皇基 = 日本
治国の基礎、天皇が治める国)を大いに発展させましょう。

我國未曾有の変革を為んとし、
・・わがくにみぞうのへんかくをなさんとし、
躬を以て衆に先じ、天地神明に誓ひ、

・・ちんみをもってしゅうにさきんじ、てんちしんめいにちかい、
大に斯国是を定め、万民保全の道を立んとす

・・おおいにこのこくぜをさだめ、ばんみんほぜんのみちをたてんとす
衆亦此旨趣に基き協心努力せよ

・・しゅうまたこのししゅにもとづききょうしんどりょくせよ

我が国は未だかつてない大変革を行おうとするにあたり、私は自ら皆さん
より先立ち
、天地の神々や祖先に誓い、重大な決意のもとに国政に関する
この方針を定め、国民の生活を安定させる大道を確立しようとしています。
皆さんもこの趣旨に基づいて心を合わせて努力して下さい。


朕(ちん)=. 天皇陛下が詔(みことのり:御言宣・命)、公式な文書で使用
されていた自称(一人称)表記。

【教育に関する勅語】
神武天皇、御歴代天皇の「民族が一つになった、一つの家のような国家を
築く」という日本建国、政祭の基本理念を根源とした道徳教育の規範
<読み>
(ちん)(おも)うに、我が皇祖(こうそ)皇宗(こうそう)国を肇(はじ)むる
こと宏遠に、徳を樹
(た)つること深厚なり。

我が臣民、克
(よ)く忠に、克(よ)く孝に、億兆心を一にして世々厥(そ)の美
を濟
(な)せるは、此れ我が國體(国体.=.国家体制・国柄)の精華にして教育
の淵源
(えんげん)(また)(じつ)に此(ここ)に存す。

(なんじ)臣民、父母に孝に、兄弟(けいてい)に友(ゆう)に、夫婦相和し、
朋友相信じ、恭倹
(きょうけん)己を持し、博愛衆に及ぼし、學を修め業を習
ひ、以
(もっ)て知能を啓發し、徳器を成就し、進んで公益を廣め、世務を開
き、常に國憲を重んじ、国法に遵
(したが)い、一旦緩急あれば義勇公に奉
じ、以
(もっ)て天壤無窮(てんじょうむきゅう)の皇運を扶翼(ふよく)すべし。

(かく)の如きは、獨り朕が忠良の臣民たるのみならず、又以(もっ)て爾
(なんじ)祖先の遺風を顕彰(けんしょ う)するに足らん。

(こ)の道は、実に我が皇祖皇宗の遺訓にして、子孫臣民の倶(とも)に遵
(じゅんしゅ)すべき所、之(これ)を古今(ここん)に通じて謬(あやま)らず、
(これ)を中外(ちゅうがい)に施して悖(もと)らず、朕、爾臣民(なんじしん
みん)
と倶(とも)
拳々(けんけん)服庸(ふくよう)して、咸(みな)(そ)
徳を一にせんことを庶
(こい)(ねが)う。
<意味>
私は、私達の祖先(皇祖)・御歴代の天皇(皇宗)が、(海原に囲まれた太古の
日本に政
(まつりごと)を広く行き渡らせ、「民族が一つになった一つの家のよう
な国家を築く」という)
.遠大な理想(深厚)のもとに、道徳国家の実現(徳を樹つ
る)
をめざして国をおはじめ(建国)になったものと信じます。

そして、忠孝両全の道を全う(克く忠に克く孝に)して、全国民が心を合わせて
(億兆心を一にして)努力した結果、今日に至るまで(世々)、見事な成果をあ
げて参りましたことは
(厥の美を濟せるは)、もとより日本の優れた国柄の賜物
(國體の精華)であり、教育の根本(淵源)もまた、この道徳立国の達成にある
と信じます。 
■■
国民の皆さん(爾臣民)は、子は親に孝養を尽くし(父母に孝に)
兄弟姉妹は互いに力を合わせて助け合い
(兄弟に友に)
夫婦は仲睦まじく解け合い
(夫婦相和し)
友人は胸襟(心)を開いて信じ合い
(朋友相信じ)
人に対しては慎み深く、自分の言動を慎み
(恭倹己を持し)
全ての人々に愛の手を差し伸べ
(博愛衆に及ぼし)
学問を怠らず
(學を修め)、職業に専念し(業を習ひ)
知識を養い
(知能を啓發し)、人格を磨き(徳器を成就し)
進んで人々や社会のためになる仕事に励んで公共のために
貢献し
(公益を廣め世務を開き)
法律や秩序を守り
(常に國憲を重んじ、国法に遵い)、非常時は
誠意と勇気をもって公共に奉仕し
(一旦緩急あれば義勇公に奉じ)
天地の自然・神々
(天壤)から授かり、私達の祖先が築かれた道徳国家の
永遠
(無窮)である国の歩み・運命(皇運)を相互に扶助(扶翼)することを
願います。

これらのことは善良な国民皆さんだけのことではなく(忠良の臣民たるのみなら
ず)
、私達の祖先が今日まで示し残された伝統的美風(祖先の遺風)をさらに
明らかに広く知らせること
(顕彰)でもあります。

このような国民の歩むべき道は、私達の祖先
(皇祖)・御歴代の天皇(皇宗)
示し遺された教訓
(遺訓)として私達子孫の守らなければならないことであると
共に、昔も今も変わらない正しい道であり
(古今に通じて謬らず)、国内外にお
いて道理に反せず
(中外に施して悖らず)私も国民の皆さんと共に(朕、爾臣
民と倶に)
、慎んで心に留め(拳々服庸し)、その徳(私達の祖先が示し遺された
道徳)で一つになることを心から念願します
(庶幾う)


元々の国土(日本列島誕生前のアジア大陸東部)で暮らしていた民族、
大陸奥地から東部へ移動して日本列島誕生(大陸から分離)後に定住した
民族、日本列島誕生後に大陸から渡来した民族など、海に囲まれた国土
に幾多の民族が混在、衝突していた原始時代の日本。

その原始日本の国土、葦原中國
(あしはらのなかつくに)に政(まつりごと)
を広く行き渡らせ、「民族が一つになった、一つの家のような国家を築く」と
いう神武天皇の建国理念、天地の神々に国家民族の平安を祈られながら
国を治めてこられた御歴代天皇の政祭理念を根源として、道徳国家再生の
ための道徳教育の規範として、当時の総理大臣・文部大臣に対して発布さ
れた【教育ニ関スル勅語】

前述のとおり、後々に独走した政府・暴走した軍部により、本来の理念・
目的が押し曲げられ、国民の戦意高揚・年少者への軍国教育までに利
用されたため、第2次世界大戦後に連合国軍最高司令官総司令部(G
HQ)の占領政策により公文書への記載・教育が禁止されました。

併せて「思想・言論の自由」などが保障された中、日本の共産主義国化
を目標としていた国際的な共産主義組織 「コミンテルン」 (1919年設立
~1943年廃止)の日本支部が、左翼・左派組織・過激派(後に左派組織
から分裂)の中核となって活動を強め、戦前・戦中の政府・軍部と同じく
本来の理念を押し曲げ、第一の目標としていた御皇室制度打倒の「天皇
=戦争」思想普及に利用されたため「軍国主義」「戦争につながる」など
の誤った認識を生みました。

本来の理念を押し曲げた思想普及に利用した、利用している組織・思想
者たちは特に、「一旦緩急あれば義勇公に奉じ」(非常時は誠意と勇気を
もって公共に奉仕し)の詔詞を「戦争になれば義勇を国に奉じ」「戦時は
国に命を捧げ」などと今なお戦争・軍国主義に結びつけて訳し、誤った認
識を主張していることは悲しい限りです。

しかし
下記リンク
.「現代に息づく建国理念」.でも述べていますが、各地の天災時・
被災時等に官民一体となり、国民が心を一つにした被災地の復旧・被災者
の支援・募金活動、被災された方を見舞う心、亡くなられた方を哀悼する心、
そして、そのような災害時・非常時であっても諸外国の各紙で絶賛される
日本の優れた治安・秩序は、まさに神武天皇建国の「
一つの家のような国
の理念、【教育ニ関スル勅語】の
共助・互助の精神道徳精神幾世紀を
経た
日本、日本人の心に息づいている姿であり、警察・消防・自衛隊皆様は
もとより、被災地の復旧・被災者の支援を一心に惜しまない労力を注がれる
民間、ボランティア皆様の活動などは、まさしく
.「一旦緩急あれば義勇公に
奉じ」
の精神であり、義勇(誠意と勇気)を公(社会)に奉じておられる素晴ら
しい心、素晴らしい姿です

日本建国の理念
海原に囲まれた国土の中で、いくつにも分かれた部族・豪族間の争いが絶え
なかった太古(縄文時代)の日本の平定をめざされ、現在の橿原神宮(奈良
県橿原市)で御即位された初代 神武天皇が発せられた詔(みことのり)
掩八紘而爲宇 (八紘を掩ひて宇と為さむ)
葦原中國(日本)に政(まつりごと)を広く行き渡らせ、民族が
一つになった、一つの家のような国家を築く。
八紘(はっこう)を掩(おお)いて = 広く行き渡らせ
宇(いえ)と為(な)さむ = 一つの家のようにする
(記述:日本書紀巻第三神日本磐余彦天皇神武天皇)
日本建国の歴史・理念
建国理念、屈折の歴史
現代に息づく建国理念

建国神話「掩八紘而為宇科学的立証
「縄文時代の日本は、争いが少なく平穏だった」
岡山大学大学院教授ら、全国の縄文遺跡で出土した人骨を分析。
わが国の縄文時代(約14000年前~紀元前501年)における暴力による死亡
率は、石器時代(狩猟採集民時代)の大量虐殺を示唆する人骨が発掘された
欧米など他国のデータと比べ、
5分の1以下の約1.8%であると算出、英国の
科学雑誌に発表。(2016年 3月30日)


元々(日本列島誕生前)は、同じアジア大陸の旧石器人であった日本の先住
民族と、日本列島誕生(大陸から分離)後に大陸から渡来した民族が、海原に
囲まれた国土の中で幾多の部族に分かれていた太古の日本。


縄文時代、九州の高千穂宮から畿内までの海上交通・交易航路の拠点作り、
稲作などの殖産を奨励、国家の地盤づくりを行いながら到達された大和国の
橿原宮にて「
掩八紘而為宇」の詔を発せられた神武天皇の建国理念に基づ
いた
仁政と武力によらない教化で部族を統治、その教義に感化・帰化した部
族とともに古代国家を形成した建国史の考古学的・科学的な立証です



明治天皇御上陸地
岡山市中区江並三蟠.(さんばん).


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明治天皇御上陸記念碑

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