(2017年09月03日OHK みんなのニュース)


慶祝.秋篠宮眞子内親王殿下、御婚約内定
平成29年09月03日
眞子さま、小室圭さん、ご婚約内定おめでとうございます
お二人で築かれていく幸せなご家庭が目に浮かぶ、とっても微笑ましく、心温
まる会見でした。

御婚約内定の昨日に投稿させて頂いた記事に、岡山県庁舎への
懸垂幕掲示のお知らせ、御皇室と岡山のゆかり等を加え、新たに
投稿させて頂きました。



(NHK報道特別番組「眞子さま 小室さん 婚約内定会見」)

会見冒頭、眞子内親王殿下より、「7月の九州北部豪雨と、その後の各地に
おける豪雨の影響で今も尚たいへんな思いをされている方々がいらっしゃい
ます。亡くなれた方々をお悼みするとともに、被災された方々が早く落ち着い
た生活ができますよう心より願っております。」
との、九州北部・全国各地に
おける豪雨災害・被災地へ心を注ぎ続けておられるお言葉がありました。


眞子内親王殿下におかれましては大学2年生(19歳)の時、2011年
03月11日
の東日本大震災から4ヵ月後の同年
07月から御皇族・内親王であることを隠
され、一大学生として震災ボランティアに参加、岩手県山田町・大槌町、宮城
県石巻市で活動されました。
ご学友たちから呼ばれるニックネーム
.「まこしー」と名乗られ、避難所の子供
たちからは
.「お姉ちゃん、お姉ちゃん」.と慕いなつかれていたそうです。

報道番組等で放送される現状に胸を痛められ、震災直後は被災者が使うタオ
ルの袋詰め作業を妹、佳子さまと一緒に手伝われながら当時は未成年だった
自分に
.「今できること」.を考えられ、一大学生としてボランティア活動すること
を決意されたそうです。

同年10月16日の
.眞子内親王殿下ご成年をお迎えになるに当たっての記者
会見
..「関係者の方にお話をうかがったり、メディア報道を通して震災の状
況について理解したように思っておりましたけれども、実際に行ってみないと
分からないことがあると実感致しました。」
(抜粋).と述べられています。

会見冒頭のお言葉は、被災地の惨状の中で被災された方々、子供たちに接し
ながら活動されていた実感から被災地へ注ぎ続けておられるお気持ちが溢れ
たお言葉でした。

御皇室とゆかり深い岡山



岡山県庁舎へ慶祝の懸垂幕が設置・掲示されました
【掲示期間:.2017年 9月 3日(日)~ 9月 8日(金)】
(情報・画像..2017年 9月 3日 OHK みんなのニュース)

御皇室と岡山のゆかり
第124代 昭和天皇、香淳皇后の第四皇女(今上陛下の御姉様),であられる
旧名、順宮
(よりのみや)厚子内親王(あつこないしんのう)が、1952年(昭和
27年)10月、旧岡山藩藩主 池田家第16代当主、
池田隆政氏と御成婚。
1953年(昭和28年)2月、池田隆政氏・厚子様とともに有限会社池田産業
(現、
池田動物園)
.を設立、経営されました。

池田厚子様
.(1931年(昭和 6年).3月 7日お生まれ)
日本赤十字社岡山県支部有功会 名誉会長
1988年(昭和63年)~2017年(平成29年).6月19日、伊勢神宮祭主。

1965年(昭和40年)頃、敗血症で岡山大学医学部附属病院
.(現、岡山大学
病院)に長期入院された際に昭和天皇、香淳皇后がお見舞いのため頻繁に
岡山へ行幸啓されました。
今上陛下
.(当時、皇太子).同妃美智子様をはじめ、御皇族が岡山を行啓、
御成りの際に案内役を務められました。

皇太子殿下、浩宮徳仁親王
(ひろのみや なるひと しんのう)が行啓された
際も池田邸を御訪問、厚子様と会食されています。
皇太子さま 岡山後楽園御視察

古くは、古代(飛鳥時代)701年、修験道の開祖、役小角の門弟が紀州熊野
本宮を遷座した吉備児嶋、福岡の里(現、倉敷市林 熊野十二社権現)で五
大門弟が設けた五院を管長とする「五流長床衆」(五流山伏・児島山伏)は
朝廷に尊崇され、天皇・御皇族・貴人の熊野行幸・参拝時の先達
.(道案内、
道中・参拝の作法伝授)を勤めていました。
後鳥羽天皇、皇子ゆかり 「熊野権現」】(熊野権現・五流修験の歴史概要)

建国の御世までさかのぼりますと・・・
<縄文時代>
神日本磐余彦尊.(後の初代神武天皇).一団が太古日本の平定のため、
九州の高千穂宮から大和国へ向われる際、現在の児島湾
宮浦沖の高島
へ仮宮
.「吉備国高嶋宮」.を御創建、滞在された3年間(日本書紀)で.「一
挙して天下を平定するため」
.の船を建造・整備、食糧を備えられました。
吉備児島 「高島遺跡、吉備高島宮址
(昭和15年 文部省指定.「神武天皇聖蹟伝説地」)

<弥生時代>
西暦199年、第14代 仲哀天皇急逝後の西暦 200年 3月、神功皇后が諸
国統治の帰途に
.「吉備児嶋」へ寄港、児島一円を行啓され、児島東部の
沖に浮かんでいた小島(鉾島)に仮宮を御創建、滞在されました。

瀬戸内 「胸上港」 歴史.(胸上・児島にゆかり深い神功皇后)

<古墳時代>
農水産物に富み、西暦400年頃から瀬戸内海沿岸の集落で発達した製塩
により古代有数の地方国家
.「吉備国」.繁栄の一役を担っていた吉備児嶋
を国家建設の重要拠点としていた大和朝廷は、九州(日向、高千穂宮)
.
畿内(大和国)を結ぶ海上交通・交易航路の拠点、首都としていた
.「郡」に
西暦556年、地方行政組織の先駆けとされる朝廷直轄領の屯倉
.(みやけ)
を設置しました。

児島 「宮浦の里」(古代、三宅郷)

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