これまでの人生を振り返って、特に学生時代とか若い頃は本当に大変だったなぁ、と思います。
なぜかと考えると、本来の実力の120%位で生きていないと、先生を始めとする大人に目をつけられたり、
非人道的な扱い(注意されたり批判されたりなど)を受けたりするから。
だから常に物凄く疲れていて、「何もしたくない。死ぬまでずっと寝ときたい。」という願望を、
高校生くらいから持ち続けていました。
このように、行動動機の95%位が不安か恐怖か承認欲求だったため、そりゃあ生きてても楽しくないし、疲れるよな、と思います。
では、不安も恐怖も承認欲求もなければ、私はどんな行動を取っていたのでしょうか?
まず、とにかく体力がないので、疲れて通学途中に行き倒れていたでしょう(笑)
私の弟が知的障害者なのですが、よく「道路で倒れています」と通報されていました。
彼も通学途中で力尽き、行き倒れていたのでしょう。
私の子供も体力がなく、1週間まともに歩いて通学できたことがありません。
(山道を含む、片道1.4kmの通学路です。)
それと同等の体力の私ですが、先生や大人達から非難されないよう、高校時代には大学受験の勉強をしながら
運動部に所属し、学校以外でも塾や練習試合などこなしていた為、ゾンビのようでした。
私の大きいトラウマの一つが、高校時代の過酷な生活です。
そして、不安や恐怖や承認欲求以外で選択したことは何だろうか?と振り返ってみると…
「何がそんなに辛いのか知りたい」でした(笑)
子供の頃不思議だったのが、親や大人たちが「仕事がしんどい」と言っていたこと、
そして、家庭を持っているおばちゃんは、大きな怒りを溜めている事が多いこと。
それがどんな気持ちなのか知りたかったので、仕事をすることによる辛さ、家庭を持つ事の辛さを
体験する選択をしました。
「なるほど、こう言うことか。」と納得し、満足しました(笑)
「○○がいけん。○○がしんどい。」との愚痴は山程聞けましたが、
やはり体験してみないと理解できない感覚だったので、体験できて良かったです。
また、子供の頃に見ていたTV番組で、タレントさんたちの波乱万丈な人生を見た時、
「人生の地獄って、どういう感じ?」というのも知りたくなったので、こちらも体験できて良かったです。
話は戻りますが、なぜ私はこんなに不安や恐怖を感じやすいのか?という問題があるのですが、
一説によると、不安や恐怖は「エゴ」なんだそうです。
この場合は、自己愛としての「エゴ」とは少し違う意味合いのようで、「思考」という表現が的確なのかな?
分かりやすく言うと、「悪魔の囁き」みたいな感じらしいです。
不安や恐怖は、頭の中で鳴り響いている、悪魔の囁きなんだそうです。
私の場合、その悪魔に取り憑かれている度合いが強いため、不安や恐怖を強く感じるようです。
では、どうしたら良いのか?
それは、不安や恐怖心が湧いてきたら、「これはエゴだな。」と思うことなんだそうです。
不安や恐怖は幻想で、本物は安心とか豊かさなんですって。
あまり実感はないのですが(笑)
これが体感として理解できた方は、人生が豊かな方へどんどん変化しているようなので、
私もそうなれたら良いな、と思っています。
最近はエゴに関する情報を好んで入手しているのですが、その影響で、
これまでの自分の行動動機を客観視でき、こんな記事ができました。
少しでも面白い、参考になった、共感する、という方がいらしたら嬉しいです。
それでは、またノシ