書くことで気持ちが落ち着くなら、書いてみよう。
どうも、チューニングが合っていない。
いや、合っていないはずだ。
かなりの大人が、大学院に行っているのだから。
(自分で言うとアレだが)実年齢よりかなり若く見られる外見と、周囲の人々の優しさと、マスクという偉大なアイテムのおかげで、状況的にはギリアウトで大学院に潜り込んで(!)はや一年と少し。
がむしゃらだった一年目に比べ、少し回りが見えてくるようになった二年目、現実が少しずつ見えてきて、毎日ちょっとずつ凹んでる。
固定概念ってものに、じわじわやられてる。
今更、本当に今更だけど、概念として、大人は大学院生ではない。
多くの人々にとっては、20代だけが大学院生で、「社会人なんですけど、大学院生なんです」と毎回説明する。それが面倒。
昨日は、名刺交換されそうになったけど、渡す名刺もないし、「院生なんです」と名刺交換を断った。
そして、そんな自分に凹んだ。
社会人生活長かったからねー。名刺交換断るなんて、アリか?とかも含めて凹んだ。
と、凹む理由も分かっている。
20年同じ業界で働いていて、最終的には管理職だった。その業界での知識は、人並み以上にあると自負している。
ただ、大学院は全く別の分野に行った。
この分野の知識は薄い。
年齢と立場が合っていない。だからいつも、微妙にしんどい。
でも、それを選んだのも自分だ。
現場で働いていた時、お客様に対応しながら、この仕事は天職と思っていた。
仕事がしんどいことはあっても、辞めようと思ったことはなかった。
ただ、管理職になり現場を離れたら、あまりの楽しくなさに途方に暮れた。
あと20年この仕事を続けていくのかと思うと絶望し、初めて仕事を続けていくことに疑問を持った。
元々語学の勉強をしていたので、定年になったら大学院に行こうと思っていたが、色々あって、その計画を早め、大学院に入学した。
と、書いててぼんやり分かってきた。
最初はフワフワしてよく分かってなかったんだな。
大人が大学院に入学する、ということを。
希望とかときめきとかいうフィルターが外れたら、現実が見えてきただけなんだな。
もちろん、周囲の誰も、私のことをバカにしない。それどころか、褒めてくれさえする。
なのに、私が一人で凹んでいる。若くない自分にスネている。
でも、これだけは言える。
今、24歳に戻りたいか、と聞かれたら、全力でノー!!!!と答える笑。
まあまあしんどかった20代、あんな時にもう戻りたくない。
それに、今の私でやっと、大学院の知識レベルに付いていける程度だ。
24歳で大学院に入っても、物を知らな過ぎて、結局私は凹んで、スネているだろう。
結局私は、どんな状況にいても凹んでスネているのかもしれない。
ただ、これだけは言える。この選択は間違ってなかった。
大学院生という名目はあるものの、社会的な肩書はなくなり、収入も激減したけれど、2年前の自分より、今の自分がはるかに幸せだ。
毎日を楽しく過ごせている。
結局、それでいいんだ。
全ては自分の捉え方次第。
固定概念を持っているのは私だな。
良かった。書いたら気持ちが落ちついた。良かった。