『一文字弥太郎の週末ナチュラリスト、朝ナマ!』
11年半、土曜朝4時間の生放送。
一文字さんはよく、何年になる?と聞かれても答えないと言ってました。
答えたら、『そんなに長いん、じゃあそろそろ。』って終わったらいけんもん。
って笑いながら。
だから私も数えてなかったけど、改めてすごい時間です。
「夜中にUFO(焼きそば)にさらわれたんよー」
「いや、自分から乗ったんでしょ!」
やらかしっちゃった失敗談から始まることが多かったオープニング。
リスナーさんだけでなく、私も心地よく土曜日の朝を発進できていました。
メインパーソナリティーとアシスタントは、なんとも不思議な関係です。
家族でも恋人でも親友でもないのに、
11年半、土曜日ごとに顔を合わせて、面と向かって4時間話す。
間違いなく、一文字さんは、私にとって誰よりも話した人です。
ペンの回し方でその日の機嫌を知り、
お菓子のつまみ方で、今度こそ本気のダイエットかどうか分かったり。
仕事に厳しかった一文字さんです。
最初の頃は、特に、
あの心地よいスピード感を邪魔しないように、
相槌がうるさくならないように、
言葉に詰まったら、少しフォローをさせていただいて、
話がふられたら全力で返す。
そんな事を緊張しながらも、楽しく心がけていました。
もちろん、しまったぁ、も多々。。
言葉で注意されたことは一度もないけれど、ちょっと動く眉毛で察したり(笑)
ありがたくも「名コンビ」といっていただけるとしたら、
私なりのこんなこだわりも、少し役に立ったのかもしれません。
でも、この心がけは、大切な事ではありますが、
ほんの入り口だと感じています。
「岡さんに紹介したい人がいるんよ〜」
「岡さんも来れる?」
「岡さんどう思う?」
僕は人見知りだ、、と言いながらも、「人に会え」の心情で広げた大切な人を紹介してくれました。
振り返ると、多くの、知って、考える時間を共有させていただいたからこそのコンビだと、
僭越ながら自負しています。
数々の出会いは、
阪神淡路大震災の慰霊祭。
福島の帰宅困難区域。
フレコンバッグの並ぶ浜通り。
金輪島の慰霊祭。
ハンセン病を知るため岡山・愛生園へ。
精神科医療の現場。
不登校生徒のための学校見学。
視覚障害を持つ方と絵を見に行く、おしゃべりラジオ美術館。
上げればキリがないくらいの「旅」につながり、
ナチュラリストの太い枝葉となって、番組を広げ続けてくれました。
自分が「い〜かがなものか!」と思う事を、
一緒に、知って考えてもらいたい、と番組で伝える使命は、
とても強かったなぁ。
そんな社会派テーマを、「暗証番号を忘れ慌てた話」「国際ロマンス詐欺に騙された話」
「便座の温水シャワーが壊れた話」と一緒にできる、それが一文字さんでした。
リスペクト!!
ここ数年は、ビシバシ時代のリスナーさんの多方面でのご活躍を知り、
「俺より出世してから〜〜」と言いながらも、企画や放送でご一緒し、とてもうれしそうでした。
まだまだ、いろんな旅をご一緒したかったなぁ。。。
みなさんも同じ思いですね。。
家族でも恋人でも親友でもないけれど、明らかに戦友でした。
先週は辛い役目で、さみしい放送になりましたが、
憧れであり、戦友として戦ってきた分、
悲しみも大きく、大げさではなく、半身もがれた気持ちです。
今思うと、一文字さんの演出なのかなと思ったり。。
馬鹿話しながら、お酒を飲みながら、
その、パワーに付いていきたくて、必死に食らいついていた11年半もまた、私の大切な日常でした。
さみしいです。。。
でも、明るい放送にします。
私が笑わないと、リスナーさんに一文字さんの笑い声が聞こえないと思うので。
いただいたご縁を大切にしますからね!
そういえば、、
コロナ禍となり、間にアクリルパネルが置かれた時、驚きました。
ずれる。ぶつかる。吸気が感じ取れない。。
いつもの調子が狂い「なにこれ!」と顔を見合わせたことを思い出します。
放送は心と声の繊細な振動なんだな、、ということを実感しました。
あれから一回も、パネルを外せずじまいだったなぁ。。
これからも、土曜日の朝をよろしくお願いいたします!
岡佳奈