部屋に向かって歩いていると横に止まっていた白いバンがゆっくりと動き出した。



勝手に動き出す白いバン。




クルマが無人暴走し始めたのだ。




前方には止まっているクルマが何台かある。




ぶつかってしまったら終わりだ。




会社にばれて、大変なことになってしまう。




僕はクルマを追いかけて運転席に飛び乗ろうとする。




「前のクルマにぶつかる前になんとか止めなきゃ!」




なかなかうまく乗り込めずいかず、路上に止めてある車に当たってしまった。




絶望的な思いに駆られながら、どうにか飛び乗って、サイドブレーキに手をかけた。




フットブレーキだったらもっと早く止められたのに。





そもそも、なんで僕がこんなに焦っているんだろう。




僕は周りの人に事情を話して、無罪放免であることを証明しようとした。




でも、誰も僕の話を聞こうとしない。




タイヤを止める輪止めもしていない、サイドブレーキも引かれていない、ギアもニュートラルになったまま(ニュートラル以外だとブレーキなしでも動かない)。




荷台のドアが空いていて、荷物を降ろそうとしたら、動き出したようだった。




責任のないはずの事故に、僕は責任を感じて、なんとかしてわかってもらおうと、説得しようとしていた。




でも、わかってもらえる感じがしなかった。




説明する人も選んでいた。




影響力がありそうな人。




この人に話しても意味がない、と思う人は素通りしていた。




僕は人を選んでるんだなぁ、とあざとさを感じた。

 






気づくと真っ暗な布団の上にいた。




夢だった。




ドライバーの仕事をやめて一年。




まだ、事故への恐怖感が残っていた。





加えて、


「説明しても、最初から最後までちゃんと聞いてもらえない、わかってもらえない」




深層心理の中にある、人への不信感と、話し下手で説得力がないと思っている自分へのあきらめが、瞬間的に頭をよぎって、こころが折れてしまう現実の自分に繋がって落胆した。




自分で満足できる人間になれるよう、誰にも文句を言われないように努力をした時期もあった。




しかし、努力を続けた結果、身体を崩した。




それでも、見ぬふりして続けたら感情が分からなくなった。




身体が思うように動かなくなった。




活力がなくなった。




納得いく状態を維持できず、無理をやめて健康を取り戻すことを第一に考えて生活することにした。



しかし、安定した健康は、未だままならない。





どんな生き方だったら、

健康を維持したまま、

意欲をもって、

自分にできる努力で、

納得のいく結果を得られるんだろう?




求めるところは、人の幸せだ。




僕が好きで僕にできる役割で、

自分も人も幸せになれたらいい。




ただ、それだけでいい。



お人好しと言われるかもしれないが、僕だけ幸せになっても、周りの人が不幸なままでは心から幸せだとは言えないし、喜べない。



これはただ純粋な願いだ。






幸せはあなたのすぐそばに🍀



天地人に感謝

生かされていることに感謝