ここに至るまでのお話


手術を終えて退院した後の記憶があまり残っていない。日々をどんな風に暮らしていたのだろうか。


ある記憶といえば、毎週決まった日に、心療内科へ行っていたこと。


それもかなりおぼろげだ。


だから、断片的でうろ覚えな記憶で書いていると思って頂きたい。


かかりつけだった病院へ行くと、一週間の体調について話をする。話している間、医者は黙々とパソコンの画面に向かって話した内容を打ち込んでいる。特に何かアドバイスをするわけでもない。


うつ状態が酷かったり薬が合わなければ別の薬に変更して、また次の週を通う。


その繰り返しだった。


症状があれば薬で対処する、という今考えてみたら「そんなことで治るわけないやろう」とツッコミを入れたくなる治療?を信じて、ひたすら通い続けていた。


他に潰瘍性大腸炎もあったので、そちらの方は別の病院に月に一度通っていた。


朝は起きれていなかったと思う。


食事が以前と変わってパン食になっていた。甘い菓子パンが大の好物で、朝食がわりに毎日のようにたくさん食べていた。


知識がついた今思えば、過食傾向があったようだし、小麦と砂糖と悪い油の中毒にかかっていたと感じる。


薬の影響で喉がかわくことが多く、水分補給はポカリなどのスポーツドリンクを水代わりにガバガバ飲んでいた。


気分的にも体調的にも運動する気になれず、家でごろごろしていることが多くて体重はみるみるうちに増えてゆき、気がつくと20キロ近く体重が増えていた。


当時は病気の影響だけだと思っていたが、突然キレて暴れたり、ひどく落ち込んで動けなくなったりと、気分の上がり下がりがひどかった。


自分の精神状態の異常さ、体のだるさ、社会からフェードアウトしてしまったことには、強い劣等意識と違和感があった。


「なぜかわからないけど、あー、イライラする!」とわけもなくイライラしていた記憶もある。


血糖値の急な変化と薬の影響があったのではないかと思う。


頭の中に常に色々なネガティブな言葉が流れるように浮かんでいて、落ち着けなかった。


昼間は眠くて夜になると目が冴える、徐々に睡眠がずれてそういう生活になっていった。


「夜はケモノから襲われる危険があるから眠るのは危ない!」と人間の本能が呼び覚まされていたような感じだ。


また、自分のことを否定し続けていた。「社会人として勤まらなかった。情けない」


そう思う反面、自分が選んで進んだ道、選んだ会社が世の中だと思っていたので、そんなところでは生きていけないとも感じていた。


そして、役に立たない自分なんてこの世に必要がない、という思いも常にあった。


「国民の義務である、税金を払えない僕はダメ人間だ」とか他にも色々と、今考えるとおかしな理由で自分を責め続けた。


もちろん、それでいいだなんて、思ってなかった。なんとかしなければならないと焦りが強かった。


失業手当の関係で職安に行った時には、なんとか社会復帰をしよう、スキルアップをしようという思いから、職業訓練を申し込んだこともあった。


しかし、体調が悪くなり自分をコントロールできず、初日から通うことなく諦めてしまっていた。


そうすると、さらに自分がダメな人間だということ強化する結果になり、自分を信頼できなくなっていった。


(つづく)



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