毎夜、私が作った「未熟な母(実母)を叱る」テープを聞いていると、私の母は、私と何が違うのか?

どこで、大人になれなかったのか?どのような努力を怠ったのか?

当時の私は、シングルマザーで毎日の生活が必死だっただけに、母と自分の努力の違いが、鮮明に見えて、母と私の「思考行動パターン」が、全く違うタイプだということに気が付いたのです。

 

母と私の問題に1つの答えが出せた時、当時所属していた市民団体の代表に私の心境を語り、そして、ある提案をしたのです。

それは、テープの内容をミュージカルにして、会員として集まってくる人たちが活動できる場所を作りたいというものでした。

 

当時はボランティア団体も数えるほどで、特に「いじめ」に関係する団体はメディア等で注目されつつあり、時々この団体の代表もメディアで紹介されていたので、会員が少しづつ増えていました。

不定期に会員たちは、代表に呼び出されて事務所に集まるのですが、内容はいつもメディアの取材しかなく、数名の発起人は世間話をしているだけで、殆ど活動の実態はありませんでした。

彼らに反して私や他の会員は、貴重な時間を使い、「意義のある活動をしたい」と考えていたのです。

 

この代表も私同様、幼少期から親との問題を抱えており、心の問題解決は出来ていませんでした。

だからこそ、互いに理解出来ることも多く、私の作ったテープを聞いて、「このような斬新な方法もあるのね!」と驚きながらも私の提案は、条件付きで了承してくれました。

 

1、「子どもサポートフォーラム」と別組織で行う事

2、資金は全て、私が持ち出しで行う事

3、代表の弟(心を病んでいる)をメンバーに入れる事

4、会員とのトラブルや失敗の際の責任も、全て私が負う事などでした。

 

結果、その話合いによって、「分科会・ダルメシアン」が立ち上がり、私が代表になりました。

早速、会員たちに声をかけて、ミュージカルの参加を呼びかけました。

集まったメンバーは、学生や主婦の数人でしたが、中でも一人のお母さんが私のサブとして一緒に最後まで、責任をもって動いてくれました。

脚本も私の母親を叱る内容から、一般の子育てに悩むお母さんの思いを代弁するような内容に書き換え、練習のたびに参加者の思いや、言い回しなどによってもどんどん変わり、素晴らしい作品になって行きました。

 

ミュージカルの練習は、私達親子の絆を一層深めるものともなり、小学生の息子は同級生を誘って劇中ダンスをしたり、裏方や照明担当にと、私の助手となって動いてくれました。

参加者はお芝居に無縁の人達ばかりで、緊張感で震えながらも、台本片手に一生懸命自分たちの思いを舞台の上で表現することが出来て、分科会・ダルメシアンの初のミュージカル「未熟なママに捧げます」は、大成功を収めました。

 

ミュージカル成功によって一番嬉しかったことは、代表の弟を始め、心を病む参加者もいましたが、本番終了後には、心の病が治っていたことです。

この当時私は、新宿区の依頼を受けて高齢者のカラオケ講師をしており、「独自の音楽療法」(岡田式PMT音楽療法)を用いて認知症や病後のリハビリなどで苦しむ生徒に、回復の手伝いをしていました。

そんなこともあり、ミュージカルの練習時にも、私独自の音楽療法を用いていたのです。

 

当時、このような趣旨で素人が演じるミュージカルや、音楽療法のスタイルがどこにもなかっただけに、新聞で大きく取り上げられて、テレビやラジオ等でも私の体験も交えて、ダルメシアンの活動を紹介してもらえる機会が増えていきました。

それにより、翌年「脱オキバリ育児宣言!!」を公演することになりました。

前年のミュージカルから多くの事を学んだおかげで、ミュージカルの運営や段取りはある程度簡単でした。

メンバーに関しても、メディアのおかげで参加者も増え、ありがたいことに運営資金として、助成金まで頂けることになったおかげで、わたしの持ち出しは、ほぼ無くなりました。

しかし、ミュージカルに関しては楽になったものの、次に想像もしていなかった問題が浮上したのです。

 

その問題とは、

1、子どもサポートフォーラムの代表が、プロらしく演じないと、自分の団体に傷が付くといって、ミュージカル本番の1週間前に、代表の知人で、自称・プロの脚本家と言う人を連れてきて、引っ掻き回そうとしたのです。

 

2、代表が助成金の話を発起人の一人に歪めて伝えたらしく、その発起人が「助成金はミュージカルのためのものではないらしいじゃないか?岡田さんがなぜ、独り占めするのか?子どもサポートフォーラムのメンバーに分配するべきだ!」と、驚くようなことを言ってきたのです。

 

本番までには、ことごとく邪魔で無駄な行為をされましたが、そのおかげではっきりと、代表の思いが分かったので、2回目のミュージカルの後、事務局長にこれまでのいきさつを話し相談しました。

 

彼は代表とは違い、私の思いや活動を評価してくれており、貰ったアドバイスは、別団体を立ち上げて活動した方が良いというものでした。

私はすでに別団体として「分科会・ダルメシアン」を立ち上げて、母体よりも大きな活動実績を積んでいるのでむしろそれを生かさない方がもったいないと言われたのです。

それ以前からも事務局長には「他の団体に関わって欲しい」と言われて、関わってきた団体もあり、また、私個人でいくつかのボランティア団体から、「独自の音楽療法をしてほしい」と言われて、すでに関わっている団体がありました。

最終的には事務局長の言葉が背中を押し、新団体「サークル・ダルメシアン」を立ち上げました。

 

ここで学んだことは、NPOやNGOと呼ばれる市民活動団体が掲げている主旨と実態は、「違う」ということでした。

しかし、デメリットばかりではなく、20年たった現在「虐待心理研究所」を立ち上げて、サークル・ダルメシアンの歴史をたどる際、すでに忘れていたミュージカルの様子がこれほど詳細(真実と違う箇所もありますが)に、私の知らないところで作られていたことです。

このページは、大変ありがたいものでした。

 

これまでの活動で、さまざまな市民活動団体とご縁があり、実態を見て来ましたが、残念ながらその多くも、子どもサポートフォーラムと同じでした。

ではなぜそうなるのか?ですが、問題は、代表となる人の人格が大きく左右するからです。

特に、心が絡む団体の代表者の多くは、未だ自分自身の問題が解決出来ておらず、「心が病んでいる」からなのです。

そこに、本人の自覚が「ある・なし」は、分かりませんが、多くは自分探しの一環が、団体立ち上げにつながっているからです。