$岡田ユキのブログ


昨年11月26日に、青木和江さんが他界されました。
彼女とは5年前にエステで知り合い、意気投合して、気が付けば私の主催するNPO団体、サークル・ダルメシアンのメンバーとして活動を共にし、プライベートでも良き友人でした。
彼女はいつも明るく前向きな人で、私や周りの人はそんな彼女を「太陽さん」と呼んでいました。
ですが、そんな明るい彼女こそが実は、私たちの知らないところで、難病と闘っておられたのです。
初産の後、膠原病を発症し、月の半分は実家(福島県いわき市)で静養、
残りの半分は東京のご家族と過ごすというような、生活パターンがあったようです。
病気が原因で時々具合が悪くなることも、入退院を繰り返しておられたようです。
享年56 歳と早すぎる死でしたが、30年間病気と闘われていたと聞くと、「楽になって良かったね!」と、言わざるを得ません。
彼女とは昨年、3月11日に皆さまもご存じの東日本大震災が起こり、彼女から「助けて欲しい!」との電話をいただき、お米や水、衣類他を集めてお会いしたのが、最後となりました。


$岡田ユキのブログ



青木です。
ご無沙汰しておりますが、お変わりないですか?
また 今年も桜の季節が訪れました。
この度の大災害(地震 津波 原発事故)で、美しい故郷が未曾有の事態となりましたが、皆様方からの暖かい応援メッセージとても感謝です。
私の親戚の殆どが福島や仙台で、今も安否不明の家族がおり、他にも義母の実家で大きな農業経営していた家族や従業員の方々は避難生活を強いられています。
特に 風評被害によりメディアの方も入って来ないので状況も把握していない為、いわき市内は30㎞圏外にもかかわらず、海岸線の救援活動もなく手付かずで支援物資もなかなか届いていないのが、現状…外出できない老人が大変困っています。
また 原発事故の不安からか自主避難する方も少なくありません。
しかし経済的に大変な事も、子供達の学校も心配で、不安を抱えながら戻りつつあります。
そして、私の実家の母や妹家族も避難して来ましたので、兄の家と我が家とでお世話させて頂いています。
こうした中 今私達が何かする事で故郷に恩返しをしたいと思い、微力ながら笑顔と足りない物資を届けて皆様の希望と笑顔を取り戻す為、頑張ります。
先日も いわき出身で自らも被災した方と協力し合い、危険地域(メディアも入らない)を大変な状況下で何度も物資を届けて頂きました。
会社でも今後暫くは義援金を送り続ける事となりました。
毎日 故郷の復興と1日も早い原発の収束を願ってやみません。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
メールの内容でも分かるように、かなり無理をされていたのでしょうね!
そんな和江さんの事を思うと、悲しくて、寂しくて、悔しくて、この3ヶ月泣きましたが、そろそろきっちりとお別れしなくてはと思い、生前彼女から聞いていた、いわき市の様々な場所を回り、お別れをしてきました。
ハワイアンズも互いに好きだった場所でしたので、Donationを持参し、和江さんの分まで楽しんできました。
その後は、いわき市内の被災地をまわり、がれきの山や廃墟になってしまった集落を見てきました。
そんな中、唯一の希望を与えてくれたのが、美空ひばりさんの歌碑でした。


苦しめられてきた両親の死では泣けなかった私でしたが、和江さんの死から立ち直るのに、これほどの時間がかかるとは思いもしませんでした。
この5年間、彼女に支えられ、励まされて育んだ強い友情だったからこそ、受ける悲しみも大きかったのでしょう。
今はただ、和江さんには安らかに眠って欲しいと思います。
「今まで、本当にお疲れさまでした」そして、「ありがとうございました」

写真は、2009年9月11日、馬事公苑の関係で競馬場に行った時の物です。