ども、足止めされている岡田達也です。

 

 

 

元サッカー日本代表の中田英寿さんが

「自分探しの旅」に出かけたのは何年前だったろう?

 

彼はそろそろ見つけることができたんだろうか?

それともず~っと探し続けるんだろうか?

 

それに引き換え。

僕は探しにいくほどの「広さ」も「深さ」も「可能性」も持ち合わせていないので、探しに行く必要がない。

いつだってダメな自分をしっかりと見つめながらの毎日を送っている。

 

 * * *

 

大学を卒業したら東京に行ってみたかった。

2年……、いや1年でもいい。

仕事なんてフリーターで十分。

ただただ

「東京という街がどういうところなのか?」

「雑誌POPEYEで読んだ通りの街なのか?」

「歩いてるだけで本当に芸能人に会えるのか?」

それをこの目で確かめたかった。

そんな軽すぎる思いで自分の進むべき道を選択しようとしていた。

東京を満喫したら鳥取に戻ってサラリーマンになろうと決めていた。

 

 *

 

大学の先生の勧めで役者を目指すことにした。

いや……

それはあくまでも表向きで

実際はそれを理由にして東京に行こうと企んだ。

役者になる気は皆無だった。

 

 *

 

縁があってキャラメルボックスに入れてもらえた。

本当に役者になってしまった。

芝居なんてやったことがなかったのに。

それどころかまったく興味がなかったのに。

それは、自分の人生にとって、あまりに予想外の出来事だった。

そう、言うならば「アクシデント」だ。

なので数年やったら鳥取に戻ろうと思っていた。

 

 *

 

芝居は難しかった。

想像していたものと全く違った。

何一つ、思い通りにできなかった。

「キャラメルボックス史上ワーストの初舞台」と言われた。

セリフを言いながら歩けないレベルだ。

本当に酷かった。

 

だから。

一生懸命やるしかなかった。

頑張るしかなかった。

だけど演技の才能がなかった。

だから、唯一、自分でもできそうなこと

「続けること」

それだけで勝負するしかなかった。

 

 *

 

3年が経った。

5年が過ぎた。

10年やってみた。

でも、どうにもこうにもいかない。

もちろん“できるようになったこと”もたくさんある。

なんだけど、それをはるかに上回るスピードで“できないこと”が見つかっていく。

もう少しやれば

もうちょっと頑張れば

できるようになるかも……

 

そうこうしているうちに鳥取に帰る機会を失った。

 

 *

 

母・秀子さんは真面目で固い人だったので、僕には公務員になって欲しいと言っていた。

しかも鳥取で。

 

「鳥取で公務員」

「東京で役者」

 

……真逆すぎる

 

母の期待に背いたまま49歳まで生きてしまった。

 

 *

 

去年、母・秀子さんが亡くなった。

父・隆夫さんが「鳥取に帰ってきてほしい」と言った。

そりゃそうだろう。

83歳で一人暮らしは厳しいものがある。

 

年老いた親とどうしていくのか?

とても一般的で大勢の人が頭を悩ませる問題にやっと直面した。

 

幸か不幸か、僕の両親は49歳まで健在だった。

それは世の平均値からすれば長いほうじゃないのかな、と思う。

だから好き勝手にやれた。

親の存在に甘えたまま芝居を続けてきた。

 

 *

 

「あなたの人生なんだから」

そうアドバイスをくれる人がいる。

その気持は有り難いし、言ってることもよく理解できる。

ただ。

今、隆夫さんにやってあげられることは、可能な限りやっておきたい。

そう思って、鳥取にいられる限りはいることを選択した。

それは芝居をやる上でも、金銭的にもとても厳しい選択となる。

だけど。

今それをしておかなければ、僕は、間違いなく後悔する。

 

 *

 

これから新しい生活となる。

確実にこれまでとは変化する。

「自分探し」とまでは言わないけど

新しい生活がどんなものかを探していかなければならない。

 

 *

 

先日、東京を出た。

鳥取に帰る途中で、人に会うため大阪に寄った。

そこまではいい。

よかったのだけど

いざ鳥取に帰ろうとしたら……

豪雨の影響で鉄道が止まっている。

 

新しい人生、初っ端から前途多難な香りがしている。

 

 

長文にお付き合いくださりありがとうございました。

 

 

 

では、また。