ども、マイナス7℃の岡田達也です。

 

 

 

今、ワークショップで旭川にいる。

 

一面の雪景色。

ちょっと寒い。

いや、かなり寒い。

最高気温がマイナス7℃だそうだ。

 

ちなみに昨夜の私はこんな感じだった。

 

気温も寒いので

いつも通りお寒い話を書こうと思う。

 

 * * *

 

母・秀子さんの葬儀の前。

「棺に入れるものをご用意ください」と言われ、自宅をひっくり返してみたが何も出てこない。

彼女の“超せっかち身辺整理術”のおかげで、入れたいものすら無い。

まぁ、それはそれで有り難い。

その後の始末を考えればとても楽だし。

 

それでも、身の回りのものが少しだけ、ほんの少しだけ残っていた。

 

 *

 

秀子さんの病気が見つかって、初めての開腹手術の後

父・隆夫さんと僕は担当医のN先生に呼ばれ、術後の説明を受けた。

 

先生が僕たちに話をされる。

最初は夫である隆夫さんに話しかけることが多かった。

 

ところが……

「はぁ」

「ほぅ」

「へぇ」

父の返事は生返事ばかり。

 

そう

父は耳が遠くなっていた。

当時77歳だったが、すでにかなり聞こえていないらしく

N先生の話にもあまり興味が無いように見受けられた。

 

僕は焦った。

 

お母さんの一大事だというのに!

こ、この人!

聞く気がないぞ!

 

なんてこった!

 

僕は必死で先生の説明を聞き、今後のことなどを話し合った。

その姿を見て、さらに父は態度を引いていった。

「ま、コイツが聞いとけば良いや」とでも言いたげに。

 

N先生は徐々に気付き始めた。

「このご主人、何を言ってもダメかも……」

口には出さなかったが、話しかける量があからさまに変わった。

父ではなく、僕向きに話す時間が増えていったのだ。

 

 

説明の後、部屋を出た。

僕は尋ねた。

「ねぇ、ひょっとして耳が聞こえないの」

 

「さぁいな。耳が遠いだが(笑)」

 

「いやいやいや、笑うところじゃないぞ」

 

「そうかえ。だって聞こえんだもん(笑)」

 

「いやいやいや、開き直るところじゃないぞ」

 

「歳取るといけんな(笑)」

 

「……俺の話、聞いてるか?」

 

「まぁ、でも達也が聞けば同じことだが」

 

「いやいやいや、そりゃね、今日はそうかもしれないけど」

 

「なんだ?」

 

「この先だよ、この先!」

 

「この先?」

 

「俺が東京に戻ったら、今後はお父さんが先生の話を聞かないとダメでしょ?」

 

「う~ん、そうなるな」

 

「そこで聞こえなかったらまずいでしょ?」

 

「でも聞こえんもんは聞こえんで」

 

「……」

 

この人と付き合いが長い僕もさすがに呆れていた。

 

この人、本当に事態の深刻さが飲み込めているのだろうか?

 

あぁ

我が父親ながら情けない

何を言っても響かない人であることは重々承知していたが、このままではイカン。

 

僕は補聴器を買わせる決意をした。

 

 

 

つづく