ども、繋がっていたい岡田達也です。



昨日、陳内くん、三津谷くん、大内、僕の4人で取材を受けた。

話の流れの中で陳内くんが言った。
「『パスファインダー』に出演させてもらったとき、千穐楽の挨拶で「また逢おう!」と言ったんです。そうしたら、それが実現して再びキャラメルボックスさんに呼んでもらえました」

それを聞いた三津谷くんが言った。
「僕はブログを書いてるんですが、最後は必ず「へばねぇ~」って書いてるんです。これは青森弁で「またね」という意味なんですけど。「さよなら」とか「バイバイ」はそれでおしまい、みたいでイヤなんです。またねだったら次がありそうじゃないですか」

それを聞いた陳内くんも言った。
「わかる! 僕もブログを書いてるんですけど、必ず「ならね」で終わらせてます」

へぇ~、二人ともそうなんだ。

 * 

この日記を書き始めたのは1999年。

その頃は毎日更新でもなく
書き方もまちまちだったのだけど……

2000年に入った頃から、日記の最後に「では、また。」と記すようになった。

最初のうちは
「では、また。」だったり
「では、では。」だったり
「では、劇場で」だったりと日によって違うけど
必ず一文を入れるようになった。

そのときのことを今でも覚えている。
「う~ん、これで終わりにしたくないなぁ」と思ったのだ。

「こんなどうしようもない日記だけど、また覗いてもらえないかな」とか
「せっかく岡田達也を知ってもらったのに、それでおしまいじゃさみしいなぁ」とか
とにかくそんなことを思っていた。

だから、次の機会に繋がる言葉を探した。

もう一度、会えますように
もう一度、繋がれますように
もう一度が叶いますように

その結果が「では、また。」だった。

本当は「では、またお会いしましょう」と書きたかったのだけど
「これは日記だから会うっていうのもへんだしなぁ」
「なんだかちょっとキザだなぁ」
みたいな理由で短くしておいた。

それから16年、使い続けている。
(いつぞやの『また逢おうと竜馬は言った』の上演中だけ「また逢おう」に変えていたときもあったけど)

 *

三津谷くんも陳内くんも、同じような気持なんだなぁ。

 * 

これはきっと肌感覚の問題であって
「さよなら」という言葉の持つ響きが
僕にはどうしてもお別れに繋がってしまって感じられるのだ。
だからできるだけ「さよなら」は使いたくない。

あ!
別に淀川長治さんを否定してるわけじゃありませんよ、念のため。

 *

自分では“淋しがり屋”だと思っていなかったけど
ひょっとすると、根っこはとんでもない淋しがり屋なのかもしれない。


明日も会えるといいですね。



では、また。



追伸

蜷川幸雄さん、一度鍛えられてみたかったです。
ご冥福をお祈りします。