亡くなった人だけが通れるみちと
一般にはそういう風に言われています。
進む方向には穴がると言われます、
ぽっかりと、灰色の渦のような、異次元への入り口を思わせるような穴と
言われます、
しかし、私は、その様なものは、見たことがありません、
その当時は、「死者の通り道」という言葉も知りませんでた。
わたしが見たと言うか、幻覚の様な風景と言うか、感じたのは、
友達の家にお邪魔している時に、遠くから人の話し声が
聞こえたので、耳を凝らしていると、お年寄り、特に女性の話
声が、聞こえるのです、
友達の家は、踏切の直ぐ傍、団地の外れ鉄道沿いの道
で、買い物の方や、駅に向かう人達がいますので、
その方たちだと、思っていました、
夜も更けて、深夜に近くになり、酒宴も盛りになり
酒が入ると声が大きくなるのは、酒のせいですが、外の
人通りは、殆んど、駅からの帰り人だけになり、
終電車が通り過ぎて、外は、極たまに靴音がする時間
となったのです、
部屋は、宴会真っ盛り、
でも、お年寄り「おばあさんの声」がはっきり聞こえるのです、
外に気を巡らすと、頭の中に、踏切の左側から入り、線路を歩き数十メ-トル
先の方で歩いている人が消えるので、
「何だろう」と考えていると、「此れが、昔から言われている、亡くなった人が通る道」
なのでは、ないのかと思ったのです。
昔の書物では、手に蓮の花一輪を持って、無言で歩く姿を描いていますが、
そんなに、深刻な顔をしていなく、お伊勢参りの様に、楽しそうに
歩いている人が多く見られるので、そんなに悲しい道でもなく
「案外楽しいモノなのかも」と外の様子を感じ取りました。
「死者の通り道」
おどとおどろした、ものでは無く、お伊勢参りの道中の様な
道すがら知らない人同志、楽しく歩む道なのではないので
しょうか。
何度かお邪魔したのですが、その道を通る人は、
今日は少ないとか、多いとかは、なく、絶えず同じような人数です。
そう言えば、長野の善光寺に行った時に、善光寺の地は、
太古の昔から、生きている人も、亡くなった人も、
通る道なんです、縄文時代からの遺跡も発掘されていますと
善光寺のお坊さんから言われた事が有るのです、
その為に善光寺は、個的な宗教、何々派のお寺ではなく、
どの派の宗派にも属さない特異なお寺なのです。
ですから、色々な宗教の派出所的な小さな寺が門前通りに、沢山有ります、
その昔、「上杉謙信も武田信玄もこの善光寺を中心に戦闘を繰り返しています」
善光寺の秘仏は、山梨に持ち帰ったと、武田側は言います、上杉側は、
違うと言いますが、
私は、善光寺の秘仏などと、言い争う事などどうでもよいのでは、
この善光寺の地が、一番大切なのではないでしょうか、
太古の昔から、長野で取れる黒曜石を全国に運ぶ道
翡翠を全国の大王に運ぶ道で、大切な道の交差点ではなかった
のか、などとおもいます、
勿論亡くなった方も通る道なのではと、考えます。
詰り、「死者の通る道」と言いますが、
そんな怖い道ではなく、人が集まり、便利な道、
その二次元の道の上に三次元道路、そのまた上に四次元の道路が
重なって居るのではと、思います。