人の生き様 | 姓名判断師 岡田健慈のひとりごと

姓名判断師 岡田健慈のひとりごと

姓名判断、改名を行っている岡田健慈の日々のひとり言を書いていきます



久々にブログを書きますがこれは私の勝手な考えですので、

必ずしも正しい考えでは有りません。


人とお会いして、先ず感じる事は、人は自分で何か行動しているのは、自分が決めて

行なっていると思って居ますが、自分の意思よりも自分に付いている霊、守護霊とも

云いますが、この霊による作用で人は行動していると思います、

それは、色々な事に作用しています、趣味や食の好み、人の好き嫌い、性格までも

作用しているのです、

一人の人には、複数の霊が憑いています、その時その時で、作用している霊が

変わります、ですから趣味が作用している霊と性格や、癖、食の好みなど作用

している霊が違います、

しかし人により違いますが、概ね、数人(2~3)程度です。

自分がどの様な方向に歩んでいるのか、後ろに憑いている霊を注意深く認識

していれば、大体分かる筈です、

自分の希望とは違う結果を出す時に、これは足を引っ張った霊の仕業だと思い

恨む事も有るでしょうが、後で考えてみれば、「助けて頂いたんだな」と云う

事もあります。

普段誰も見ていないと思い、悪い行動などをしていると、しっかりと後ろから

見られているので、悪い霊が憑いて益々性格や行動が悪くなります。

助けてくれる筈の守護霊がソッポを向いてしまいます。

誰もみていない事はないのですから、恥ずかしい行動は絶対に取るべきではない。

憑いている霊も様々ですが、概ね自分の根性に似た霊が憑くことが多いのです、

悪い霊に操られない様に、普段の行動、生き様は大切です、

何と云っても、この世は修行場なのですから、100バーセント幸せの人などこの世に

存在しません、皆何かしらの悩みを抱えているのです、

悪い事を成す人の考えで、欠如しているのは「誰も見てないと何をしてもよい」と

思っている事です。

この考えは非常に危険です。


この世は教室です、出来る人には、難しい問題、出来るとまたそれ以上の難問が

出されます、この世では、苦労ばかりで苦労苦労の連続で、幸せのではないが、

ひとたび魂に帰れば永遠の幸せを手に入れる事が出来るのです、

この世で上手く行き過ぎて仕舞うのは、前世で善行を積んだからこの世で

幸せなんだと言う方が居ますが、私はそうは思いません、前世で善行を

積んだ人は、この世に生まれて来る必要はない。

この世で上手く行き過ぎた人を見ても、人間的に素晴らしいと

思われる人は、そうは居ないと思います。

それよりも、苦労に苦労した人の方が人間的にも素晴らしく

人に優しく、笑い顔などは、神仏の彫刻の様に素晴らしい。


私は、鑑定をするとき、本人を見るよりも、その後ろに居る霊を視ます

本人が相談内容を話し出す時に前面に出てくる霊が悩みの事柄を

成しています、悩みのヒントを教えてくれる霊もいるし、邪魔する霊も

「成長させる為にしているんだ、邪魔するな」と言わんばかりの霊もいる、

そして怖いのは、怪我をさせる霊です、「これ以上入ってくるな」と

足や手を怪我をさせるのです。

それと、約束しても約束しても、相談相手に会えない事が多々有ります、

それは、どの様に注意しても会えない様に邪魔をするのです。

何年たっても、いまだに会えない人が沢山います、

この様に、わかれば助けられるとか、見えればアドバイス出来るなどと

云うものでは有りません、

よくテレビなどで、厄除けとか徐霊とか、行っていますが、殆どは、

除く事は出来ないのです。

お坊さんがお経を読んでも、お経は釈迦の生き方の哲学を唱えても

何の力もご利益も無いのです、

本人の生き様を変える以外に方法はないと思います。