お盆 | 姓名判断師 岡田健慈のひとりごと

姓名判断師 岡田健慈のひとりごと

姓名判断、改名を行っている岡田健慈の日々のひとり言を書いていきます





毎年、ギラギラした夏が来ると思い出すのが、太平洋戦争、原爆、日航機事故、、お盆、帰郷、でしょうか、お盆について少しだけ話します。
 
 皆さんお盆と云えば、先祖が返ってくる神聖な行事と考え、新盆や法要を行います、所によっては迎え火を炊いたり、東北地方では、三角の光の筋のネオンを、新盆の霊が迷っては、大変と夜に目立つように屋根より高く飾り、東北地方の独特の優しさを感じます。


精霊棚に胡瓜と茄子で馬と牛を飾り、故人の思い出の品や御供え物をして迎える訳ですが、
 
その昔、よく、年寄りに云われたものです、お盆には川や海に近づいてはいけないと、そうなんです、実はお盆というのは旧盆でこそ8月の13・14・15日とされていますが、


実は、地方により農作業などの、都合の良い日に合わせて行っているものなのです、


仏教では8月1日「釜蓋朔日」(かまぶたついたち)と云って、地獄の釜が開くとき、つまり8月1日から既にもうお盆なのです。


 ここでは詳しく述べませんが、旧暦でいうと7月15日は、既にお盆、あの世から亡くなった人の霊を呼ぶ訳です。
 
 もうお解りでしょうか、昔から、イタコとか「こっくりさん」、の作法こそ少し違えど、降霊の儀式と全く同じです。


しかも、地獄の釜が開いた時、大化の改新以降より日本国民が総出を挙げて行う、一大降霊会、それが盂蘭盆、つまりお盆なのです。


大昔の人に言わせれば、新興宗教である、仏教の儀式の様に勘違いする方が
沢山居られると思いますが、神式でも、まったく同じに行います。


 大量の霊が、水を霊媒にして海や川から遣って来る訳ですが、そこで問題になるのが、生きている人間にとって、都合の良い、ご先祖様だけが家に遣って来るのは、一体誰が最初に言い出したのかと思いますよね


、時折ご先祖の霊に混ざって行く宛てのない、さ迷う、見知らぬ者が着いて来ている事だってある訳んですが。
 
行く宛のない霊はお盆の間、水の近くや草むらの中、林や森の中にじっと潜んで生きた人間を羨ましく思っている霊など、


少し前に、提灯を子供に、持たせて、田畑、川山などに、居られる霊を、
「お盆、お盆 お盆が来た」と、日が落ちて暗くなった野山に、練り歩き、提灯の
火に乗っかって、お連れする行儀が通例になっていますね。
 
これは、毎年、夏になると、海や川で必ず水による犠牲者が後を絶ちませんが、この霊達だけではなく、戦や不慮の事故での亡くなった方々の霊でもあるのです。
 

文頭にも書きましたが、思い出して下さい、子供の頃、祖父や祖母に水に近づくなと云われた事を、理由のない事で祖父母が孫から楽しみを奪ったりしません。


 解釈を変えれば、コックリさんをやっている時、自ら手を離し、霊の通り道をふさいでいるのも同然なのです、


想像してみて下さい、降霊中に大勢の霊が川や海から這い上がってくる中、よくお盆中に泳ぐ気になれるものです、


魚釣りや、昆虫採集など昔お盆時期に現区と言われていたことは、
霊の怒りをかい、引き込まれることも有る行為だと思わもれませんか、、

矢張り、お盆時期は、先祖が諌めた事は、けして行ってはなりません。

帰ってきて家族と一緒に楽しいひとときを過ごし、また帰っていくという日本古来の信仰に基づく行事ですが考えれば怖い話ですよね、

もちろん殆どのご先祖様達はそれぞれに手土産を持って帰られる訳ですが、手土産もなければこの世に未練を残した霊が素直に帰ると思うのも、生きた人間の勝手な思い込みとかと思います、

盆時期は先祖が言われた事を守り、過ごことが

肝心と思います。