人の不幸を願うな | 姓名判断師 岡田健慈のひとりごと

姓名判断師 岡田健慈のひとりごと

姓名判断、改名を行っている岡田健慈の日々のひとり言を書いていきます




霊と言うと亡くなった方の霊魂と誰しもが思いますが

この死者の霊を死霊(しりょう)と言うのに対し、生きている方の

霊魂が肉体を離れて飛び回るものを生霊と言いますが

普通の生活していて自分にはそういった類、は

全然関係ないと思って居られる方が殆だと思いますが、


人間は霊長類と言われる様に霊は誰しもが持っているのです。


死霊と同じように、生霊も何らかの強い念を抱いていると

現世に対して影響を及ぼすことがあり、これが霊障となって人を

悩ませる原因となるのです。


以外に、生霊が飛ぶという現象は日常的なもので、

憎悪や嫉妬などの負の感情だけでなく、誰かを恋しいと思う恋慕の情や、

故郷に帰りたいという感情など、何らかの強い感情を念じると無意識のうちに

感じていると、霊魂が生霊となって感情の向かう先の人物や関係した土地に

飛んで行ってしまいます。


場合によっては生霊がそのまま相手の人物に取り憑いてしまったりすることもあります。

何かを考えながら行動をしている時に、

勝手に意識が飛び、気がつくと時間が経っていたという経験など有りませんか、

もしあれば、それが生霊を飛ばした結果だと考えられます。

このように生霊を飛ばすという行為は日常的によく起こることですから、

生霊を飛ばしたからといって心配は不要ですが。


あまりにも強い情念によって生霊を飛ばし続けると、お互いに害が

生じてしまいます。


飛ばした先で生霊が人に取り憑いて危害を加えたり、

また大きな力を飛ばしてしまった身体の側が「抜け殻」のように

なってしまったりするなどの問題が生じてきます。


このような生霊はもはや「怨霊」と言います。

飛ばされた側も飛ばした側もどちらもその霊障により不幸になることが多いのです。


天平の時代から江戸時代にかけて、怨霊の時代とも云えます。

平安の時代安倍清明は有名な陰陽師ですが、この怨霊

退治のプロで有る訳ですが、現代でも活躍して欲しいと思うのは

わたし、だけでは無いと思います。


憎悪や嫉妬から生まれた生霊は、その対象となる人物に取り憑きます。

取り憑かれた人は怪我や病気になったり、最悪の場合は命を落とすと言われています。

憎悪や嫉妬の対象の目的が達成できたとしても、

安易に生霊を飛ばすことを考えてはいけません。怨霊となった生霊は、

飛ばした先だけでなく、飛ばした本人をも不幸にするからです。


古くから「人を呪わば穴ふたつ」という諺があります。

他人を呪い殺すのであれば自らも命を落とすことになるので、

葬る穴は2つに成ってしまう、という意味です。


このように怨霊となる生霊を飛ばすと、取り憑かれた側も、

飛ばした側もどちらも不幸になるのです。

もちろん自らの命を削ってでも相手を不幸にしたいと思うのは自由ですが、

そのような思いこそが「呪い」と呼ばれるものであることを認識

し自分も不幸になる事を避けられません。


嫌なことは忘れて、相手の不幸を願うよりは自らの幸せを願う、

そういったことが最も素晴らしい選択だと思います。