子供の頃の上野 | 姓名判断師 岡田健慈のひとりごと

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最近、久々に上野駅に行くことになり


昔の上野公園を思い出します。


子供の頃の上野に行く時は、


近くのバス停まで5分程歩きバスに乗るのですが、


今とは違い女の車掌さんが大きながま口の様なバックをへその


当たりに下げていました、黒い皮で出来て金属の鎖で首から下げて


バックの中は切符と、現金が入っていて、手には切符と鋏を持ち


中央の入り口の脇に手摺に摑まって、立って次は「どこどこの停留所です」


などと言っていました、後ろを見ると、砂利道なので、土煙が濛々として


何も見えないものでした。


床は木で出来ていて、軽油の油のにおいがしてその頃は、とてもいい匂い


だと思っていましたね。


30分程で駅に着き、その当時は中々来ない電車を待ち、茶色の電車が来ると


親の手をしっかり握って、手を放すと飛んでもない世界に引き込まれる


様な気がして、それは汗びっしょりに成りながら手を離さない様に死に物狂いで


乗り込むのでした。



直ぐ荒川大橋を渡り鉄橋を渡るときは、このままさぶんと、電車ごと落ちるのでは


ないかと何時もハラハラしたのを今でも覚えています。


そのうちに、煙突が見えて来ると、親が 「お化け煙突」 だと教えてくれたけど


お化け煙突は4 5本有り、一本に見えたり三本に見えたりしたが、


見える角度により見え方で変わるので、そんなに不思議とは思わなかった。



上野駅に着くと、珍しい電車が沢山止まっていて、荷物を持って歩いて


いる人が沢山いて、上野公園口まで行くのはとても大変でした。


公園に行くと階段の端とか西郷さんの銅像の近くには、


白い服を着て、戦闘帽をかぶり、カンからを前に置き


ぺこぺこ頭を下げている兵隊さんが沢山いて


お金がカンに入ると、「おありがとう、ございます」と頭をさげるのですが


子供の視線は低いので、頭を下げた時に見せる鋭い目つきは


それはそれは恐ろしいものでした。


上野公園で一番の楽しみは、サイダーを飲むことでした、その当時は


麦わらを切ったストローで飲むのですが、中々一本を全部飲める子供は


いませんでしたね。


公園内では、ふうてんの寅さんがやっていたガマの油売りがまったく同じ


様にやっていましたが、映画の寅さんの様な優しい人は絶対にいませんでした


、子供が前の方に居ると、「ガキは銭を持たないから、前に出て来るな」とか


「引っ込んでろ」うとか、鋭い眼光で、すごむので、恐ろしくて近づけるものでは


ないのです、楽しそうなのは、映画の中だけです。


上野公園の動物園では、お猿の電車が大の人気で、お猿の電車に乗るためには


長い行列に並ばなければならないので、乗るには大変でした、


今考えると、大人が運転する子供の電車に前に鎖を付けて座らせた猿が


乗せられているだけで、その電車が何週か回わるだけで、猿は楽しそうでは


なく、隙あらば逃げようとしている様子、のちにイギリスか何処からか、


動物虐待の象徴だと言われて、廃止に成ったのですが、子供の頃は


とてもさみしく残念でした。


よく昔に帰りたいとか、言う人が居ますが、私は昔には絶対に、


戻りたいとは思いません。