今日不発弾処理に思う | 姓名判断師 岡田健慈のひとりごと

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今日不発弾処理で東京の新幹線など交通がマヒしたことで、


思うことは、戦後はまだ終わってないんだとつくづく思う。



子供の頃川口市で生まれ育って良く聞かされた事と


今回不発弾処理した旧日本陸軍の高射砲の実弾は戦争に負けて実弾を


井戸又は、穴に埋めたと思われます。


実は中学生の母国の入り口の前の林の中に高射砲の砲台跡有りました。


社会の勉強で高射砲跡を見学したのを覚えています、


母が言うには、戦争中にB29が東京に空爆に来た時に丁度上空で旋回して


帰る飛行機が多かったということです。



殆ど、高射砲の弾は当たることが無く、防空壕の中で震えていたとよく聞かされた


記憶が有ります、


でも時には高射砲弾がまぐれ当たりをすることが有り、


防空壕の中でその時の事をよく聞かされました、


防空壕のなで防空頭巾をかぶり赤ん坊を抱いて震えている時に


飛行機が機関車の音とそっくりな音で上空を飛んで行ったと思ったら


遠くで物凄い地響きがしたそうです。


朝になって近所の人達が近くにB29が墜落したという話で騒然としていたそうです、


早速、近所中の人達が見に行ったそうです。


母は父親と朝食後出かけて行った処、丁度オートレース場に落ちた処に縄を張って憲兵や兵隊さんが


深い穴の中に溜った航空燃料をひしゃくで汲み上げて木桶に入れてリヤカーで軍関係施設に


運んでいったと言っていたのを覚えています。


周りには、ガラスが散乱していて、その当時日本には無かった、ガラスの中に針金が入っていて


ガラスが飛び散らないガラスを初めて見たそうです、


飛行機の中にはアメリカ人の死体が何人有ったそうです、見物に来た人の中には


死体に石を投げつけて、日本の兵隊さんに怒られた人も居たそうです、


一番印象に残ったのは、


母曰く、兵隊さんの中に真っ赤な長いブーツを履いていた女の人が居たそうです、


日本では女性が飛行機に乗るなんてその当時考えらない事です。



そして、燃料を全て汲み上げて、機体を軍関係者が持ち去り


遺体は憲兵が遺体検視後今のオートレース場脇の墓地に


埋葬したそうです、その時仏教葬で執り行ったそうで、


近所のおじいさんが日本語では解らないだろうから、


決して成仏できるものかと、言っていたそうです。


一年後、戦争が終結した、数日経った時米兵が墓を掘り返して


遺体を持ち帰ったそうです、誰が教えたんだと当時話題だったそうです


全てアメリカは何処に落ちたかそして何処に葬られたか百も承知なんだと、


近所の故老が言ってたし、アメリカはすごいと、これでは戦争に負けるはずだと


皆納得したそうです。