供養 | 姓名判断師 岡田健慈のひとりごと

姓名判断師 岡田健慈のひとりごと

姓名判断、改名を行っている岡田健慈の日々のひとり言を書いていきます


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追善供養とは本当に必要かと


若いころから、何時も疑問に思っていました、




供養とは、インドから始まったと書物に書いて


あります、香や花、燈明、飲食などを真心から


捧げることと言うのであれば、


仏教がはじまる以前からおこなっていたのでは


ないでしょうか。




原人の発掘調査から、故人を花で満たして葬った


証拠が見つかったと相当前にニュースで知った事を


思い出します。


思想や宗教が違っても、故人に対して思うことは


変わってないものです。





しかし、それをお金儲け、に利用するやからが


いるので、本当に必要なのかと思うのです。


仏教で言えば、釈迦は故人の為に仏を唱えた事は


有りませんし、偶像を作lったり拝んだりしてはいけないと


あれ程言い残したのに、仏像は作るわ、生きる為の


哲学を教えた事や、言った事を、故人の供養の為


と云って、詠って聞かせている。



キット、釈迦が見たら呆れはててしまう事ばかりしている。


偶像を拝むように仕向け、困っている人別に種類を増やし


他の宗教から連れてきて、遇像の種類を増やし


まるで、子供のお菓子からはじまった、オマケのポケモン


シールの種類の様に増やしコッチノ方が強いとか


いや、此れが一番力が有るとか、


全く変わらない事だと思う。





そんなことで、供養はビジネスの為に作り出された


物ではないかと疑念心から最近まで


疑っていました。




処が最近、故人の命日近くの有る日に


故人の霊をみたのです、


目を閉じて眠っていたのですが、眩しさを感じて


起きた時夕日の様に明るくなり


此れはまた霊だなと重い目を明ずに閉じて


いると、光が動くから、暗くなったり明るくなったり


これは、オーブだなとおもい動かずにいたら、


顔の前に明かりが近づくと目だけが瞼の前に


見える、これは故人の誰々だとハッキリ分った


ので、そういえば、丁度命日の日に近いなと


想いながら目を閉じているのに誰か分かるから


霊は不思議だ、目を明けて見えるのは、


元次元の世界しか見えないのです。


次元の違う世界をみるのは、目ではなく


心です。




誰でも、必ず寝ている時に瞼に真っ暗闇


でも、目を閉じてるのに明るく見える時が


有るはずです。


それは、オーブと呼ばれるものです、


明るさが金色だったり夕日色だったり


赤が強かったりで、霊によって違います。




目を明けても見える霊は波長が合うと見えますが


普通は、心で見ます。


話は戻りますが、その霊がどうも供養を欲している


ような気がしました、何か供養する事で、霊の世界


での、活躍のみなもとになるのではないでしょうか。


供養とはお金を掛けてするものでは無く、


故人を思い出しこころを込めて故人の冥福を


祈ることで故人が霊の世界での力となって


いると確信しました。


生きている人の真心は、故人の力になって


あの世での活躍の元になるのだと


教えて頂いた霊に感謝を


しました。



これは、つい最近に有った事です。