日本テレビ系列で映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」のPartⅠ~Ⅲを3週連続で放送していました。何度見ても楽しい映画ですが、30年以上前に制作された映画とは思えない新鮮さがあり、米国の歴史的な変遷や現状について改めて考えさせられました。

PartⅠが公開されたのは1985年ですが、その頃は米国経済が歴史的転換を遂げた時期でした。
米国経済の変遷を概観すると、第二次世界大戦後、世界最大の大国として西側陣営の盟主となった米国は1950年代に黄金時代を迎え、経済・文化などの面で今日に至る原型を確立しました。
しかし60年代になるとベトナム戦争の激化や国際収支の悪化など陰りが見え始め、70年代にはベトナムからの撤退、二度にわたる石油危機などによって政治的には国際的威信が低下、経済的にはインフレと不況が同時進行するスタフグレーションに見舞われました。これにベトナム戦争の社会的後遺症も重なって失業率上昇や治安悪化など、70年代は米国社会全体が疲弊した時期でもありました。
そうした時に登場したのがロナルド・レーガン大統領です。1980年の大統領選で「強いアメリカ」をスローガンに掲げて勝利し、就任後は大幅減税と規制緩和によって経済活性化に取り組みました。この政策は「レーガノミクス」と呼ばれます。レーガノミクスには問題点もありましたが、その効果によってインフレ沈静化に成功し、やがて景気回復も始まりました。
1985年はちょうどそうした時期に当たっています。同年には先進5カ国(米、英、仏、西独、日本)の財務大臣・中央銀行総裁が「プラザ合意」によってドル安誘導・金利引き下げを実施しました。これは円高時代の幕開けとなりましたが、同時に今日に至る市場のグローバル化と国際経済協調の枠組みを作る大きな転換点となった年でもあったのです。

「バック・トゥ・ザ・フューチャー」はそのような米国復活の途上にあった時代の空気を反映していると見ることができます(制作者が意図したかどうかは別として)。そして、PartⅠでその1985年から30年前の1955年=黄金期に戻って‟古き良き時代”を懐かしみ、PartⅡでは30年後の2015年にタイムスリップして、どんな未来が待っているかを想像するというわけで、当時の米国人の心情の一端が表れているような気がします。
PartⅡでは、30年後から1985年に戻ってみると、そこは以前とは違う様子になっていて、例のビフが大富豪になっていたというくだりがあります。ビフは、当時すでに異色の不動産王として有名だったドナルド・トランプ氏をモデルにしていたのはよく知られていますが、その32年後の2017年に大富豪から転じて大統領に就任したわけです。
ちなみに、映画では30年後の世界で、玄関の指紋認証シーンや家具の音声アナウンスなど、今では実現していることがいくつか描かれています。もっとも、この映画のもう一つの主人公であるタイムマシン「デロリアン」のように空飛ぶ自動車は実現していませんが…

なお、この「デロリアン」については、約3年前のこのブログ(2017年3月31日付)で『「バック・トゥ・ザ・フューチャー」とトランプ大統領』とのタイトルで一度書きましたので、今回のタイトルを映画風にしてみました。
3年ぶりの続編というわけですが、‟PartⅠ”を再度ここに紹介します。(なおビフのくだりで「30年後の世界で大富豪になっていた」とあるのは当時の私の勘違いでしたが、そのまま掲載します。この部分の正しい内容は先ほどの記述のとおりです)
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 最近、たまたま米映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」について友人と会話する機会がありました。
同映画では、マイケル・J・フォックス演じる主人公・マーティは近所の不良少年ビフにいつもいじめられますが、そのビフのモデルとなったのが若き日のトランプ氏だそうです。同映画の「パートⅡ」では、マーティが30年後の未来(2015年との設定)にタイムスリップしてみると、そのビフが大富豪になって世の中を牛耳っていた様子が描かれています。このため昨年トランプ氏が大統領選に勝利したことで「同映画は未来を予測していた」と話題になりました。
 実は同映画にはこのほかにもう一つ、トランプ大統領の政策や米国経済を考えるうえで興味深い題材が登場しています。あのタイムマシン「デロリアン」です。マーティはそのデロリアンを開発したドクと一緒にタイムスリップするわけですが、このベースとなったのがかつて実在した伝説の自動車「DMC-12」(通称デロリアン)です。
この車を作ったのは、ジョン・デロリアン(1925-2005年)という人でした。米自動車トップメーカーのGM(ゼネラル・モーターズ)のエンジニアとしてデザイン設計やエンジン開発などで数々の実績を挙げた人で、47歳の若さで副社長に抜擢され、次期社長候補とも目されていました。しかし次々と新機軸を打ち出す個性派のデロリアンは、次第に周囲の経営陣との対立を深めて孤立するようになり、1973年、48歳の時にGMを退社します。
 後に彼の自伝的書籍『晴れた日にはGMが見える』には、消費者の利益よりも自社の利益を優先していた元上司、社内外から寄せられた意見や批判に一切耳を傾けない経営陣、新しい提案をして実行しようとして上司に妨害された経験など、会社の官僚的な体質や権力闘争の様子が生々しく書かれています。
そしてデロリアンは1975年、理想の車づくりを目指してデロリアン・モーター・カンパニー(DMC)を設立したのでした。この会社で製造したのが、あのタイムマシンのモデルとなったDMC-12(通称デロリアン)です。カモメが翼を広げたようにドアが開くガルウィングドア、無塗装のステンレス製ボディなど斬新なデザインを備えた未来型スポーツカーで、開発に6年もかけ、1981年に販売を開始しました。自動車業界のスターが世に送り出す「夢のスポーツカー」として話題を集め、発売前から予約が殺到する人気ぶりでした。
自分の才覚でのし上がり、徹底的にモノづくりにこだわったジョン・デロリアンのこの人生は、まさに米国の栄光を体現するものだったと言えるでしょう。
ところが栄光は長くは続きませんでした。デロリアン(DMC-12)の販売価格が当時の高級スポーツカーの2倍以上もしたことや、米国経済が不況に陥ったこと、工場を作った北アイルランドで港湾ストが続発して部品供給が途絶えたことなど、不運が重なって売り上げが急速に減少していきました。そんな折、ジョン・デロリアン自身がコカイン取引に関わった容疑で逮捕されてしまいます。のちに裁判で無罪となりますが、この事件がとどめを刺す形となって会社の資金繰りは行き詰り、1982年についに会社は倒産してしまいました。デロリアンの発売開始からわずか2年足らずのことでした。結局、デロリアンの生産台数は約9000台と言われています。
輝かしい栄光とあっという間の転落。それゆえに、デロリアンは伝説の名車となり、1985年公開の「バック・トゥ・ザ・フューチャー」でタイムマシンとしてよみがえったのでした。主人公を乗せて過去へ未来へと何度もタイムスリップするデロリアンには、まさにアメリカ人の夢が詰まっていると言えます。今日的な観点で言えば、製造業復活への願いと表現できるかもしれません。現在トランプ大統領が最もこだわっている点でもあるわけです。
しかしトランプ大統領が言うように、メキシコへの企業移転をやめさせたり、輸入品の関税などを課して米企業を保護するといったやり方は、米国の製造業を真に復活させることにはつながりません。なによりも米国企業の競争力そのものを高めるような政策が必要なのであり、米国の企業自身もその努力がもっと必要なのです。
実は、米国の自動車業界は長年にわたって陰に陽に政府による救済や支援を受けてきた歴史があります。それが甘えとなって、かえって競争力の低下につながってきたとも言えるのです。このことについては、次号以降で詳しく見ていきます。